移住者への呼びかけが疑問でした2021/03/09

庭の椿。2012年にほぼ枯れていたのを剪定して植替え、9年目にして復活の開花です。
私が文章や絵を書くことは今までも紹介してきましたが、
この趣味と言うか特技というかを、収入に繋げられれば……

私は無職で、障碍者雇用・生活支援センターでも心無い対応をされてしまって、
その後のコロナ禍で就職を諦めていたけれど、先週ふと思ったのです。

地域のフリーペーパーで、ライターとかイラストレーターとして
非正規でもいいから採用してもらえる見込みは無いかなあ。

それで、ネットで調べてみたんです。

地域のフリーペーパーはいくつかあるので、会社やバックナンバーとか色々見ていたら、結局、非正規でも無理だと分かったのですが、
とても気になる記事を目にしてしまったのです。

「県内には大きく2種類の方言があります。方言を使うと親しみを持たれる一方で、方言を使わない人に対しては、『上から目線』と受け取られがちです。県外からの移住者の皆さんは気を付けたいですね」

私は、物凄く違和感を持ちました。

呼び掛けるべきは、
「県外移住者の皆さんも方言を使おう」ではなく、
県民に対して、
「方言を使わない人に対する偏見はやめましょう」
であるべきじゃないですか?
そう思いませんか?


私は方言を喋れません。
耳で聞いたり文字で読むのは分かるけれど、
自分で文章に書くことも出来るけれど、
自分で喋ることはできません。

苦い思い出があります。

小学校の頃、クラスの女子は自分の事を「うち」と言っていたし、
私の母親もそうでした。

けれど、私は「わたし」と言っていたし、
他の方言も一切喋らなかったので、気取っていると思われていたのです。

なぜ方言を喋らないのか、自分でも分からなかったけれど、
当時の私の分析では、
周囲の人達との会話というよりも、テレビや本で言葉を知ったからではないかと思っていました。

成人して社会人として働くようになっても、方言を使わない事で、
わざと共通語を話して自分を良く見せようとしているみたいに思われていたようです。
特に、私はタメ口も使えずに、誰に対しても丁寧語だったから。


自閉症スペクトラム障害と診断されてから、
色々と調べる中で知ったのは、
自閉症の場合に方言を喋らない事は広く知られている、ということ。

私が幼い頃から方言を喋らずに共通語の丁寧語だったのは、
私が自閉症スペクトラム障害だったからなのだと知ったのです。

人は皆、自分の物差しで相手を図ります。
自分と違うように感じるからと言って、相手を偏見の目で見るのはやめて欲しい。
そういう偏見を、県民性だと言って野放しにしないで欲しい。

多くの人は故郷を愛していますよね。
けれど、私は故郷を愛したくても愛せない。

幼い頃から孤独で、
ありのままを受け入れてもらえなかった私には、
故郷は無いも同然。

私の故郷になってくれる人も見つけられずにいます。

発達障害ゆえなのか?(イラスト添付)2021/02/27

自作スクリーントーンモノクロイラストをスキャンしてペイントで着色
私が自閉症スペクトラムという発達障害であること、
小説を書いていることは、以前に紹介した通りです。

私は、小説のイメージには困らない。
以前に「戯曲講座」を受講した際に、先生から、

「君の場合、イメージがあり過ぎるのが欠点」
と言われ、落ち込んだ。

私のイメージ力は底無し。
小説投稿サイトに昨年11月に登録して、ほぼ毎日更新している。

なぜもっと早く登録しなかったかというと、Web小説の世界では、私の小説は読まれないと思っていたから。

それは正しい見解だったと思う。

全く読まれないわけではないけれど、
私の小説や詩を読んでくれる人は少ない。

少ないとは言っても、ゼロではないし、
誰かが読んでくれることがモチベーションになるから、書き続けることができ、
それが今の私の生きる力にもなっている。

ただ、落ち込むことも多い。
読者が少ないということよりも、
「ああ、そうか。やっぱり感性が全く違うのだな」と思い知らされて。

小説投稿サイトの世界では、読んだ作品に、スタンプや💗や★、さらにはコメントなどで応援や感動を込めることができ、
私も少しは頂いている、というか、頂けていることが奇跡というか……。

お返しをしなくてはと、応援してくださった方の作品を私も読む。
もちろん共感して面白いと思うこともあるけれど、
悲しい事に、それは少ない。

お返ししたい気持ちは山ほどあるから、
共感しなくてもお返しをすることもあるけれど、とても心苦しい。

物凄くたくさん読まれて、応援ポイントや💗や★を桁違いに持っている作品も読んではみるけれど、
残念なことに、私には全く共感できない。

なんの捻りも無い、どこにでもある、誰でも思いつく、ただ主人公の願望や欲望を満たす為であろう話の、どこが面白いの?
としか思えなかったりすることもある。

けれど、そんな作品が読者の物凄い共感を得て、
要するに需要があるのだから、それが民主主義。


アニメ化された作品を見ても、
私が面白いな、良いな、と思うものは、ほぼコミックスが原作。

原作がWeb小説で最近量産されている深夜アニメの大半は、
Web小説を書くからには、勉強にもなるだろうと、
最初は見てみるけれど、つまらないだけではなく、
中には不快になる物もあり、見るのをやめる。

好みは人それぞれだし、
私の感性が世間一般の人達と違っている為なんだろう。

私は、〇本新喜劇を見ても全く面白くないし、大半のドラマも面白くない。
新喜劇で、みんなが笑っている場面でも、
ただのダジャレやズッコケが、どうして大笑いするほど可笑しいのか分からない。

好きなお笑い芸人もいるけれど、大半のお笑いは、
みんなが笑うのが不思議でならないほど面白くない。

ドラマは、私は先読みが出来てしまうので、
ありきたりのストーリーや見え見えの演出にはウンザリする。

ミステリーでは、事件が起きた現場にいくつもヒントがあるのに、それに気づかない名探偵にウンザリする。
サスペンスなら、犯人を追い詰めていく過程を楽しめるからウンザリしなくて済むけれど。

つまり、Web小説だから面白いと思えないというのではなく、
世の中のエンタテイメントの大半が面白くない。

こんな私が書く小説や詩は、
読者から共感をあまり得られなくても仕方がないと思う。

それが辛い。
今の感性を望んだわけではなく、
生まれ持ってしまっただけだから。


笑いのツボが違うのは、発達障害の特性の一つらしい。

世間一般の皆様のツボは頭では理解できるから、
そこを押えて書くことは難しくはない。
けれど、それは、私が書きたいものではない。

イラストは、探し物の途中で
昔描いたモノクロイラスト(スクリーントーン使用)を見つけたので、
スキャナーで取り込んで、ペイント3Dでざっと色付けしたもので、
Web作品の表紙に貼り付けました。

興味を持ってくださった方は、
以下の短い物語と詩に、どうぞお立ち寄りください。
目を通していただけるだけでも嬉しいです。


伝説風短編物語「ウミとソラと旅立ちの物語」
https://novelup.plus/story/208957577

詩集「ソラとウミとホシと……」
https://novelup.plus/story/978730962

1都3県緊急事態宣言はザルで意味がない2021/01/07

私は、昨日も今日も朝がなかなか起きられず、自閉症スペクトラム障害二次障害の双極性障害の鬱で一日中眠くて思考停止だし、好酸球性副鼻腔炎が少し悪化して頭痛はするし、喘息の咳は出るし、最悪の状態。

それでも、ブログを書こうとしているのは、今朝、10時半に起きて、TVのニュースを見たら、呆れて我慢できなくなったから。

私は、度々、政府のやり方を批判してきたが、約1か月前の12月2日にも、「新型コロナ、政府への提言」として以下のような内容を書いている。

「65歳以上の高齢者と基礎疾患のある人のGo To トラベル停止または自粛というのは、本人たちの感染を予防する意味しかない。若い人たちがGo To トラベルによって移動すれば、移動した先で感染拡大を引き起こす。その対策は全く考えられていない。」

結果は、その通りとなった。
首都圏の感染爆発は止まらず、Go To トラベルで来県した若い世代を発端にした感染爆発が止まらず、我が県では、日々感染者数最多を更新し続けている。1都3県に次ぐ感染爆発で、昼にはとうとう県独自の緊急事態宣言が出された。

実は私、こうなる前の昨日、ニュースを見て泣いたよ。
現実に起こっている事態が、あまりにも恐ろしいので。
欧米諸国に比べれば、まだまだ少ないと高をくくっているのかもしれないけれど、世界最高水準の医療機器や医療技術を持ちながら、実は医療体制が極めて脆弱であることを、多くの人は知らないのだろう。
日本は、過去のサーズなどの感染被害を幸運にも免れた為に、医療体制が見直されないまま、新型コロナウイルスに向き合わなければならなくなったのだ。

国は、この期に及んでも、まだ甘い考えを捨てきれていない。1都3県の緊急事態宣言と言ったって、飲食店を含む営業時間の短縮(午後8時まで)で1都3県の住民に外出自粛を要請する一方で、県をまたぐ移動は制限しないと言う。
アホですか!!!!
県をまたいで他県の営業している店舗に行くに決まってるじゃないですか。
いい加減に、自粛要請じゃなくて、強制力を持つ実行力を持つ政策を打ち出してくれないと、本当に大変な事になるよ!!!

私がブログに何を書こうと、政府には届かないのは分かっている。
私が不甲斐なく思うのは、私程度でも分かることを、政府のブレーンが分からない事だ。或いは、ブレーンは分かっていても、政権側が聞く耳を持たないか。
おそらく後者だろう。いくら何でも、私程度で分かることを、政府のブレーンが分からないはずは無い。

ザルでしかない1都3県の緊急事態宣言は、あまり意味がなく、大した効果はないだろう。
効果が現れるにしても、物凄く時間がかかるはずだ。1ヶ月程度では何も変わらない。感染者も死者も増え続けるだろう。軽症と判断されて入院も出来ずに自宅やホテルで急変して無くなる方も、現時点で少なくとも120人らしいけれど、もっと増えてしまうよ。

順番を間違っているよ。
顔色を見ながらじわじわ初めて、状況を見て後から厳しくするつもりなら間違いだよ。
一気に厳しい政策を出して、状況を見て少しずつ緩めるのが正しいやり方だよ。

政府よ、もう一度真剣に考えて欲しい。
今成すべきは何かを。

新型コロナ、政府は悪者になる覚悟を持て!2021/01/05

暫く政策批判を避けていたのは、私などが書いたところで誰の耳にも届かないというやりきれなさと、圧倒的な孤立状態による精神的不安定によるものだ。

コロナ禍で誰だって孤立しているよ、と思われるかもしれない。会いたい人に会えない孤立と皆が闘っていると。
小学4年生の頃から世界に絶望していた私の孤独を理解できる人は少ないだろう。誰からも理解されず、だから、普通の社会生活を送る為には自分を偽るしかなく、悩みも愚痴も哀しみも、ただ自分の中で抱え込むしかない孤独。

私は、年末年始、こらえきれずに何度か泣いた。けれど、泣いても慰めてくれる人も肩を抱いてくれる人もいないし、涙を流すことで感情が浄化されることもない。そんな浅い涙ではない。
絶望と孤独の縁でも、私は一人で立ち直るしかない。


TVなどで、著名人が政策批判をしても何も変わらないのだから、フォロワーが2人しかいない私が何を書いても何処にも届かず、誰の目にも留まらないのは明白。
その上、精神的にどん底となった私は、暫く創作もできていない。ただただ眠く、意欲も沸かず、無理して文章を綴ってはみたが、やはり納得できるものは書けなかった。

それでも、再び政治批判の記事を書くことにしたのは、政府の不甲斐なさに我慢できなくなったからだ。

政府には、悪者になってでも「日本を、国民を救わなくては!」という気概がない。
次の衆議院議員選挙で勝たなければ、と思っているし、次の政権も狙っているから、目先しか見ていないのだ。

見るべきは「今」であり、数か月後とか1年後とかではない「もっと先」なのに。
「目先」に捕らわれるから、責任の擦り付け合いをする。責任を認めると、次期政権を執れなくなるかもしれないから。

残念なことに、日本にはびこる同調圧力は、自民党内にもはびこっているようだ。少しでも尖がると叩かれる。出る杭は打たれる。
申し訳ないけれど、私はS氏が新しい首相になった時、自民党にがっかりした。もとからアンチ自民だけど、他にもっと適任がいたし、自民党員も分かっていたはずだ。本当の適任者が選出されなかったのは、いわば同調圧力みたいなものが働いたからだと私は考える。或いは、立身出世しか考えない無能の集まりであったのか。

経済を止めない為にGo toも止めず、緊急事態宣言も出さなかった。
けれど、Go toを押し進めようが、緊急事態宣言を出し渋ろうが、感染拡大すれば、経済は停滞し、倒産や失業は増大するのだ。

政府は、甘く考えているのではないか。
たとえ一時的に倒産や失業が増えても、ワクチン接種が進み、いずれは特効薬も実用化されるなどしてアフターコロナとなれば、すぐに挽回できるなどと考えているとしたら、考えが甘すぎる。

倒産や失業については、統計に上がっている数は実は氷山の一角に過ぎないはずだ。統計上の数字よりどれだけ多くの倒産や廃業があるか、解雇や雇い止めなどの失業がどれだけあるのか、実際の数字は分かっていない。

一律配布された10万円の大半が預貯金 (タンス預金も含めて)になったという推計もあるようだ。
10万円をもらわなくても困らなかった人もいただろうが、先が不安だから、今を我慢しても10万円を消費に回すより将来に備えたかったのだ。
事業や店を止む無く廃業した人や、1日1食で耐え忍んでいる人、雇い止めで従業員用アパートなどを追い出されて住む場所さえ失った人、そんな人達が存在することを、見過ごすべきではない。
そして、軽症と判断された比較的若い世代が、入院できない為に自宅で急変して死亡したり、感染確認される前に死亡したりしている現実。


かつての日本が、短期間で高度経済成長を成し遂げ、消費が美徳とされ、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国となり得たのは、一億総中流と言われたほどに国民が豊かさを感じられたからだ。
少し頑張れば収入を増やすことができ、欲しいものを買うことができ、豊かな生活を得られると希望を持て、実際に多くの労働者が細やかな豊かさを享受できた。

コロナ禍にあっても経済的打撃を受けていない会社や個人もあるだろう。日本にはスラムが無いとされてきたけれど、経済の二極化が進めば、持つ者と持たざる者の格差はますます広がっていく。そうなると、経済発展は望めなくなる。
不安や絶望が拡大すれば、多少の収入があっても、それを消費には回せない。将来に希望が持てなければ、それは仕方のない事だ。

倒産や廃業が増え、雇い止めや早期退職や人員整理で失業者が増えれば、人々の不安や絶望は拡大し、購買力は低下する。アフターコロナになったとしても、すぐに新しい会社や店ができたり、一気に雇用が回復したりするわけではない。
底力を失えば、経済的にも精神的にも、立ち上がるのに時間がかかる。一般大衆の購買意欲が低下したままでは、経済が活性化するのも難しくなる。コロナ禍で住む家や食べ物の心配をしなければならない人が溢れる中では、一部の富裕層がいても経済活性化には繋がらない。

だから、今守るべきは、倒産や廃業に追い込ませない事。失業させない事。その為には、経済活動よりも感染拡大を止める事を最優先とするべきで、予算をどれだけ使おうと、休業要請する飲食店だけではなく、イベント業やスポーツクラブ等の経営が困難となった事業所や従事者、誰一人取りこぼすことのない経済的な補償をすべき。

多くの政治家や大企業や大企業の役員や、経済的に打撃が無い人達は、身銭を切っても社会の底辺で苦しむ人達を助けるべきだ。今は苦しんでいるそんな人達に、自分達の政治活動や経済活動が支えられてきたことを自覚すべきだ。

同調圧力や自粛を頼みにするのではなく、強い政治判断で、選挙だの次の政権だの考えず、今できることを全てやって欲しい。
経済界に圧力をかけられようが、時期選挙に負けることになろうが、悪者にされようが、国民に恨まれようが、一番大切なのは、感染拡大を止める事。どんなに予算を使ってでも。

これ以上は一件の倒産や廃業も、一人の失業者も出さない、感染も抑え込む、その強い意志を持って政治に臨んでほしい。

たとえ悪者扱いをされても、政治生命をかけて国民に向き合ってほしいと願う。

ジギタリス~暗闇に何が見えますか?2020/12/26

幼い頃から、私には暗闇の中に七色の美しい模様のような物が見えていたことは、以前の記事で書きました。

ずっと気になっていたことを、今年の1月、精神科で発達障害の診断を受けた際、精神科の先生に聞いてみました。
私が暗闇に見ているものは何なのか。

先生は聞いたことが無く分からないと言いました。
「今も見えますか」と聞かれたので、
「幼い頃に見えたものほど綺麗ではないけれど、同じように色とりどりの模様のようなものが見えます」と答えました。
先生は言いました。
「わたし達が物を見ているのは脳の働きによるもので、それは人によって違うから、見えているものも人それぞれ」

精神科の先生ならば答えを知っているのではないかと思っていたので、私はとても落胆しました。
そして、今、思うのです。
「先生は、暗闇に何が見えますか?」と、聞いてみればよかったと。

もう30年くらい前だったでしょうか。
少女向き漫画雑誌を見ていたら、最終頁あたりの広告欄に、イラストカットと「ジギタリス」というタイトル、そして、「目をつむると見えてくる星雲にジギタリスと命名した」という内容の紹介が載っていて、私は、もしかして、私の見ているものと同じもの?と思い、ずっと気になっていました。

ただ、当時の私は、今より30歳以上若かったわけで、今よりずっと忙しく、考えなければならない事、しなければならない事が沢山あり、気にはなっても、そのままになっていました。
今に至るまで、「ジギタリス」を読んでいませんが、
今はネットという便利なものがあるので、ググってすぐに調べられます。

   **********

ぼくも子供の時から裸眼で星はほとんどみえませんがね、
目をつむったら見える星雲はあるんです
眠れない時無理に目をとじていると
どこからともなくわいて出て消滅する不定形の発光体です 
子供の頃ぼくはそれをよく観察しました
すると、ある一定の流れと形をもつものがあるとわかったんです
ぼくは、その一番でかい明るい星雲を“ジギタリス”と命名したんです

   大島弓子「ジギタリス」(1986年)より

   **********

うーむ、どうも私が暗闇に見ているものとは違うっぽい。

私の見ているものは、どこからともなくわいて出て消滅、はしません。
不定形の発光体で、一定の流れもあるけれど、目をつむった暗闇全体にそれは広がっているし、目をつむらなくても、明かりを消した真っ暗の中に、それは広がっているのです。
それの形は様々で、幼い頃によく見て一番綺麗だったのは、丸いおはじきの輪っかを繋げて冠のような形にしたもの。色も七色全部あって、形も様々。
前の記事に書いたように、手でつかまえることができました。
今は、一番たくさん見えるのは、小さいひし形がトランプの12みたいに一面に並んでいるもので、12どころか数え切れないほどに並んでいて、これは幼い頃にも見えていたけれど、ほかには七色の小さい丸い点模様。

ただ、あれに名前を付けるなら、「ジギタリス」というのは、とても合っている気がします。
ジギタリスの花の点々模様に似ているから。
もしかしたら、漫画の作者の大島弓子氏も、私と同じようなものが見えていたのかなあ。

どなたか、自分にも見えるよ、という方はいませんか?
形は同じでなくても。

あなたは、暗闇に何が見えますか?

絶望の淵、諦めの先に2020/12/25

随分大げさなタイトルだと思ったかもしれない。
けれど、決して大げさではないのだ。

私が、生まれた時から既に様々な困難に合い、多くの障害と病気を持っていることは、前の記事で書いた。
ただ、おそらくは、多くの人が?????と思うだろう。
その辛さ、苦しみはほとんど理解されない。
「命に関わるわけでもなし、大した事じゃないやん。もっと大変な人一杯居るよ」って思われそう。
だから、私も、誰にも言えない。

以前の記事にも書いた通り、障害者就業・生活支援センターでも、冷たく扱われた。
市役所の障害福祉課では、ヘルプマークを渡されただけだった。
専門知識があり、支援する立場にある職員でさえそうなのに、隣近所や職場やごく一般的な人達が理解するのは難しいだろう。

実の姉も、大した事とは思っていないらしく、詳しい事を聞こうとはしない。3ヶ月前にヘルプを送った姉からは、もう2ヶ月半連絡がない。仕方がない。姉はコロナ禍で仕事や家族を守るのに精一杯だ。
私は、姉が心に寄り添ってくれることを諦めた。

半年前にヘルプした親友。優しい人だけれど、彼女もあまり理解しない。
「心無い返信をしてしまってゴメンね、過去にも同じ失敗で多くの友人を失った」という彼女に、
私は「大丈夫。貴方は優しい人。一人じゃないよ」と返した。
私は、自分の本心を打ち明けることを諦めた。
差しさわりの無い日常のみの遣り取り。
それでいい。彼女が私の苦しみを理解できなくても、私を気に掛けてくれていることは本当だから。

NHKの発達障害に関する番組やサイトでは、ある発達障害者の
「助けを求める資質も必要」といった内容も紹介されていた。
それは、救いの手が差し伸べられたから言えること。
私は何度も助けを求めたけれど、どこにも届かなかった。
地域包括支援センターも、障害者就業・生活支援センターも、市役所障害福祉課も、助けてはくれない。
自閉症スペクトラム障害と言っても、IQが高いゆえに、自立に問題ないと思われる。
私のHELPの求め方が悪かった?
諦めずにHELPし続けろ?
もう無理。これ以上、傷付きたくはない。

TVでは「おうちで家族と過ごそう」というけれど、一緒に過ごす家族はいない。
「離れていても電話で話そう」と言うけれど、私は親友に電話をして辛い思いをしたから、もう自分の都合で電話はできない。

まだ仕事をしていた頃、別の親友の声が聞きたくなり、何時頃なら忙しくないだろうかと考え、夜8時頃に電話した。
「(月)だけど、今電話大丈夫?」と聞いた。
「なんで、この忙しい時に電話なんかしてくるの!」
親友はいきなり怒鳴った。
「忙しいならいいよ。ごめんね」
私は電話を切って泣いた。
忙しいかもしれないから「大丈夫?」って聞いたのに。
忙しいなら「ごめん、今忙しいから、〇〇時頃に電話してくれる?」って言ってくれればよかったのに。
きっと、親友は、そんな余裕がないほどに、何かに気を取られていたのだろうと自分を慰めた。数日後には、「あの時はごめんね」と電話があるかもしれないと。
とうとう彼女からの電話はなかった。
年賀状は欠かさず送っていたけれど、返信はあったり無かったり。
それくらいの事?と思う人もいるかもしれない。
けれど、異常な記憶力がある私は、様々なことがいつでも脳内でフラッシュバックする。
同じ思いは二度としたくない。

多くの事は、やがて時間が解決すると、よく言われる。
過去の記憶が決して薄れることの無い私の場合は、時間の経過は解決にならない。
相手は忘れていくけれど、私の中では鮮明なまま。
執念深いと勘違いされるかもしれないけれど、私自身も、そうなのかと苦しんだけれど、そうではなかった。

信じられないかもしれないが、私は、被災者でもないのに、東日本大震災の津波の映像がフラッシュバックする。
熊本の豪雨で家を失った方々のニュースを見るたび、辛くなって胸が痛くて涙がにじみ、鼻をかむ。
ちびまる子ちゃんでさえ、私は何度も泣いている。
一人暮らしの私は、TVも一人で見ているから、誰かに涙もろいと思われたくて泣くわけではない。

自らの行動で、心が痛くて苦しくなることを招きたくはない。

見た目には全く分からない障害。
私の障害や病気は、直接的に命の危険に関わらないし、感覚過敏で日常生活にどのような困難があるかなんて、誰も聞こうとはしない。
全ての感覚が超過敏であっても、感覚は目に見えないから、本人の気にし過ぎ、我慢が足りない、そんなの大なり小なり誰だって感じる……と思われるだろう。
私自身が、そう思って我慢してきたのだから。

感覚過敏によってどんなに日常生活が困難となるか、該当者以外は誰も想像だにしないだろう。
ましてや、私は、全ての感覚が過敏なので、そういう人は多くはないかもしれない。

自分でできる対策はする。例えば、TV画面は調整して一番暗くするとか、パソコンは専用眼鏡を使うとか、部屋の明かりは暗くするとか、TV視聴は字幕にするとか、外出時は耳栓をするとか……。
だけど、自分ではどうしようもない事のほうが多い。

食料品の買い出しに近所のスーパーに行っただけで、頭のクラクラと吐き気に襲われる。クリスマスや年末で店内放送も慌ただしく大音量となり、しかも暖房など入っていたら、もう地獄の苦しみ。
極力、車の運転は避ける。右折しようとして、信号無視の直進車にぶつけられそうになった恐怖と、病院からの帰りに事故車の隣を徐行しなければならなかった恐怖。
もう一つ、病院からの帰りのスーパーの駐車場で、私が駐車スペースにバックした途端に右側の車のドアが開き、左側には急に車が入ってきて、体調が悪かった上に前庭覚障害のある私は、目が回って車を真っ直ぐに止められず、少し斜めになったが駐車スペース内には収まっていた。
車から降りた途端、左側の車から降りた中年女性に言われた。
「もっとちゃんと駐車したら!」
その女性は、ピンク色の制服の左胸に「アイコデイサービス」と青い刺繍がしてあった。
以来、私はそのスーパーに車で行けなくなった。

長距離の自動車運転は、信号無視の車にぶつけられそうになった恐怖や事故車の隣を徐行しなければならなかった恐怖で、もう出来ない。
駐車場も怖い。
公共の交通機関も怖い。
長距離の移動ができないし、付き添ってくれる人もいない。
映画にも行けない。
交通手段の問題だけではなく、映画そのもののフラッシュや点滅、急速度のカメラワークなどで頭痛と吐き気がするからだ。
自宅では、TVを消して目を閉じて休めば良いけれど、一人の外出先ではどうしようもない。
だから、引きこもるしかない。

コロナ禍で、ステイホームを呼び掛けられるから、家から出なくても、周囲の目を気にする必要は無いけれど、何処に行くにも何をするにも一人で、障害や病気による日常の困難も理解されず、一人で抱えるしかない孤独。

私は、決して自ら引きこもった訳ではなく、若い頃からボランティアや地域活動を始め、色々な団体に所属して活動したり講習を受けたり資格を取ったりした。
けれど、詳しい話はここでは書かないけれど、朱に交わっても赤くなれない私の孤独は、癒されるどころか、弥《いや》増すばかりだった。

私の障害や病気は、直接命の危機には至らないけれど、孤独こそは死に至る病であるとは、誰も考えないだろう。
私は子供の頃から何度も絶望の淵に立った。
小学4年生の頃、既に友人関係に絶望した。仲が良く、親友と公言する同士が、陰では互いの悪口を言っているのを見聞きして、誰も信用できないと思い、遠くに行ってしまいたかった。
虐められ、仲間外れにされ、担任からさえ耳を傾けてはもらえず、親友と思っていた相手に裏切られ、職場では体調不良をサボリや怠慢と思われてパワハラ被害に合い、恋した人は、自分から超アピールしてきたくせに、私が辛くて弱音を吐くと離れていった。

私は、この世界に絶望しかない。
けれど、死を選んでも解決しない。
だから、私は、自分ではどうすることもできない事を全て諦めることにした。
もう子供を産んで母親になることができないと分かった時の哀しみ。
それを諦める事でしか、前には進めなかった。
公的機関の支援も諦めた。
再就職も諦めた。
異性に理解されることも諦めた。
姉の寄り添いも諦めた。
親友に理解されることも諦めた。

絶望の淵の、諦めの先に、ただ一つあるのが、こうして書くこと。

幸いなことに、コロナ禍にあっても、私には住む家があり、質素に暮らしてきたから仕事をしていた頃の貯えにより買い物もできる。

小説投稿サイトへの投稿は、世間で主流のライトノベルとは逆行した小説なので、PVは増えないけれど、読んでくれる読者がいれば、それで心の支えとなる。

絶望の淵から、全てを諦め、ただ一つ残った、現実ではない世界を描くこと。
収入にはならないけれど、今できることは、ただそれだけ。
だから、私は全力を傾ける。

長文を読んでくださって、ありがとうございます。m(_ _)m

不運多過ぎ人生2020/12/25

幸運な人、不運な人っているのだろうか。
幸運も不運も本人の捉え方次第と言う人もいるようだ。
幸運と捉えれば未来が開けるし、不運と捉えればそこまでと。
「人生万事西欧が馬」ってことわざもある。

でも、やっぱり私は、ちょっと不運多過ぎじゃないかって思ってしまう。

生まれた時、仮死状態だった。お腹の中に2週間も長くいて、臍帯つまりへその緒が首にグルグルと2回巻き付いていて、足をもって逆さにして背中をバンバン叩いて、初めて産声を上げたのだと、幼い頃、笑い話のようにして聞かされた。

私が生まれて1週間後くらいに、4歳半ほど年上の姉が父に連れられて初めて面会に来たそうだが、父がふと気付くと、生後間もない赤ちゃんの私が、口をモグモグさせていたという。なんと、姉が、自分が持っていた飴玉を、生後間もない私の口に入れたのだと分かり、慌てて取り出したという。姉は可愛い妹に美味しい飴玉を食べさせようとしただけで、目を離した大人達が悪い。
私は生まれた時も仮死状態だったのに、生後1週間で再び死ぬ目にあった。

私がこんな風に昔のことを語れるのは、成長してから聞かされたからではなく、2,3歳頃からの鮮明な記憶を持っているからで、出生時の事は幼児期に親から聞いて知っていたが、親は笑い話のように語っていたので、私も「へぇーそうだったんだ」くらいの認識しかなかった。
それが実はとても危険な事だったと知ったのは、大学で「小児保健」という授業を受けてからだ。死亡に至らなかったとしても、小児まひや知的障害など、心身に影響を及ぼす危険が高かったのだと初めて知った。

私は、幼いころ、暗がりに不思議なものを見ていた。とても綺麗で、虹色の様々な形のものがたくさんたくさん流れるように浮かんでいて、私はそれを掌で包んで捕まえることもできた。布団にもぐって、一番綺麗なそれを捕まえて、握った手の隙間から覗くと、捕まえたその綺麗なものが手の中にちゃんと見えた。
今は幼い頃ほどは綺麗ではないけれど、やはり暗闇は闇ではなくて、カラフルな虹色の模様で溢れている。
小学校の低学年で気付いたのは、明るい所では透明なシャボン玉のような〇が空中を動き回っていることだ。参観日で授業は早く終わり、母親は懇談会に出ていて、一人で南向きの和室でぼうっと宙を見ていて気付いた。空気が見えるのかな、と思った。
大人になって分かったのだが、私には五感全てに強い感覚過敏があり、目に見える世界が普通ではなかったらしいのも、感覚過敏によるものだった。匂いにも敏感だったし、他人に触れられるのも苦手だった。

中学生になって自転車に乗れるようになって気付いたのは、目の中に細い線路のようなものが見えることだった。視線を動かすと付いてきて、それが何なのかは分からなかった。
成人して家庭の医学を読んでいて、胎児期に網膜内の血管が消えずに残ることがあると知った。それのようだった。数年後に眼科を受診したが、やはり飛蚊症などの異常ではなかった。
なぜ読んでいたかと言うと、最初のページから最後のページまで読んだからで、小学校の頃から、教科書なども配布されたその日に全部読んでいた。
その家庭の医学を読んでいて、「卵巣嚢腫」という病気が目に留まった。胎児期に卵巣の中に表皮細胞が入り込み、成長とともに毛髪や脂肪や爪になって肥大し、重みで卵管を引っ張り、撚れることで激痛を起こすと書かれていて、これはもう30年も昔の記述だから、最新の医学書では違うかもしれない。

えーっ、卵巣の中に髪の毛や脂肪や爪が詰まっていたら気持ち悪いなあ……と思っていたら、その1年後くらいに、まさに私自身がそれであることが分かり、左側の卵巣を摘出した。
最近再放送されたグッド・ドクター第7回に出てきた伊代ちゃんが、たぶん同じ病気だったと思う。私の場合、摘出後に検査に回されたが、幸いにも悪性ではなかったようだった。
(この記事は、ブログを中断していた7月半ばに書き、投稿していなかったものです)

20代の若さで卵巣を片方だけとはいえ失ってしまう哀しみ。しかし、誰も分かってはくれなかった。特に年配の女性職員は「手術といったって子宮口から出来るから簡単でしょ」と冷たく、「お腹を切ります」と答えても無神経な態度や言葉は変わらず、入院や手術のための仕事の調整を泣く泣く自分でやっていたら、ようやく一人の人が「それはあなたのやることじゃなくて私達のやること」と言って代わってくれた。
最初に受診した近所の婦人科では「子宮筋腫」と診断されていて、治療などだんだん信用できなくなり、遠くの婦人科で「子宮筋腫じゃないよ」と言われて初めて発覚した。
私はその数年前から度々ひどい腹痛を起こし、救急搬送され、胃カメラまで飲まされて、「異常なし」で帰されたこともあり、やっと腹痛の原因が分かったのだった。
手術当日のこともよく覚えている。手術室で自ら全裸になって手術台(分娩台)に横たわらねばならず、音楽は掛かっているし、胸部麻酔ですぐに意識は朦朧となったけれど、冗談を言い合ったりしているのも聞こえて嫌だった。「卵管は温存」と言われたのは強く印象に残っている。
手術後、両親の顔を見ると、張り詰めていた気持ちが切れ、私はワアワア泣いてしまった。そして、麻酔が切れると、地獄のような痛みが待っていた。
回復し、自宅療養中に一時実家に戻っていたが、手ぶらで顔を出した義理の兄は、見舞いを言うでなく「へえ、痩せたね。やっぱ大変じゃったっちゃね」と言っただけだった。

回復してからも、私はとても疲れやすく、たびたび倒れて、職場でもベッドで休ませてもらったりした。浮遊感のあるめまいにも悩まされ、緊張をほぐす漢方薬など処方された。

子供の頃から呼吸器系が弱く、たびたび肺炎や気管支炎、胸膜炎になった。

職場のレクリエーションでバレーボール大会に参加したところ、膝をひねって半月板損傷となったが、担当者が保険に加入するのを忘れていて、保険金が貰えなかった。
町内唯一の総合病院に行ったが、炎症により溜まった水を抜くだけという10年遅れの治療をされ、何年経っても痛みが無くならず、歩いていると突然膝がガクンとなった。別の病院で、スポーツをするなら手術しなければならないと言われた。

病気ではないのだが、祖母が亡くなった際も厚生担当者が忘れていて「弔電」を貰えなかったことがある。私の祖母が亡くなって2週間ほど後に別の職員が朝礼時に「この度は祖母の葬儀で弔電を頂き、有難うございました」と挨拶したのを聞き、「えっ、弔電なんて私もらってないけど?」と思っていたら、厚生担当者が跳んできて「ゴメ~ン。あなたの時は忘れてたぁ」と言われた。
ゴメンで済む? 私は職場の皆に、弔電を貰っても挨拶もできないダメ人間と思われたに違いないのだ。
どうも私は運が悪いらしく、数えたらきりがない。多過ぎて、とても書ききれない。

若い頃からの無理(生活のため肉体労働など)がたたってか、悪い左膝をかばってしまうせいか、右足は進行性膝関節症になり、一時期は歩くのも困難だった。体重は軽いのに。

体質に合わない薬が多くて副作用が出やすく、高熱で点滴を打った際には、何かの薬が薬を点滴に足された途端にひどい吐き気で苦しみ、その足した薬を抜いたら治まった。吐き気止めの薬だと言われた。吐き気止めで吐き気が強くなったのだ。
他にも、「きんぴらごぼう」にはまり、唐辛子は1本だけでそれほど辛くしなかったのに初期の痔になり、専門医に処方された薬で治るはずだったのに、薬を塗ったらヒリヒリして、翌日にはひどく悪化して手術する羽目になり、2週間分の薬は体質に合わなかったのに返品できず、さらには、当時の私は歯科の麻酔さえ炎症を起こしていたために局部麻酔は使えないと言われて全身麻酔での手術となった。

飲み薬にも合わない物が多いし、初めはよくても、使っているうちに副作用が出てきて使えなくなる。副作用が殆んどないという薬でも副作用が出てしまう。薬だけでなく、化粧品も、塗った瞬間からヒリヒリするものが多く、今は通販で無添加の肌に合うものが見つかって助かっている。どうも私は、体の中も外も過敏すぎるようだ。

甲状腺の病気である橋本病であることも分かった。橋本病とは、自己免疫疾患の1つで、甲状腺機能が低下することにより全身の代謝が低下し、身体活動と精神活動が全般的に活動的でなくなり、疲れやすく、鬱になったりもするらしい。

母の介護をするようになって数年して、体中の痛みや起床後の手足のこわばりなどの症状が出るようになった。動き回っていると痛みやこわばりもなくなるし、母の介護のために自分のことは全部後回しだったので、母の状態が悪化して入院し数か月してから、漸く自分の症状について調べて間接リウマチを疑い、リウマチを見てくれる整形外科を受診し、神経障害性疼痛と診断された。
ところが薬が体に合わず、2回目に処方された薬の激しい副反応で救急搬送されることとなり、複数の病院に拒否されて最後に県立病院に受け入れられたが、病室に空きがなかったらしく、二日目は何の説明もなく運ばれた病室が、会話の内容から察するに重症癌患者の病室で、肩身の狭い辛い夜を過ごし、しかも、救急外来との間で申し送りが無かったらしく、当直の看護師に訴えても「聞いていない」の一点張りで入眠剤ももらえず、明け方まで一睡もできない苦しい夜を過ごさねばならなかった。

母は入院中から徘徊などの症状が悪化し、同じ敷地内の介護老人保健施設への入所を勧められたが、体調は良くなったものの認知症は進行し、それなのに、一年も経つと、状態が良いから今のうちに在宅へ戻れと面会の度に言われるようになった。
その秋、地域包括支援センターに相談の電話をしたが、「インターネットで見られる情報以上に提供できる情報はない。結局は家族が自分で見学して決めることだから」と、相談を拒否された。そのショックで、私は数か月間体調を崩し、外出もままならなくなった。

翌年の7月、40度近い高熱で、動けなくなった。お独り様のために自分でどうにかするしかなく、買い置きの経口補水液ゼリーや薄めたスポーツ飲料を飲みながら、2日後に熱は微熱にまで下がったが、頭痛や倦怠感、咳は治らなかった。
また肺炎か気管支炎かと思い、行きつけの内科を受診したら、好酸球性副鼻腔炎と診断され、さらに数日後には激しい喘息の発作を併発して夜も眠れなくなった。

その数か月後、要介護5となった母を、ようやくグループホームに入れることが出来て安心したのも束の間、突然左耳が聞こえなくなり、突発性難聴になった。

そして、NHKの発達障害に関する番組を見てまさに自分だと思い、自分は自閉症スペクトラム障害に違いないと思っていたのだが、受診の結果、高機能自閉症と診断された。
私には五感全てに強度の感覚過敏があり、記憶をたどると幼児期にすでにあったが、自分も周囲も気付いていなかっただけだったと分かった。五感全ての感覚過敏だけにとどまらず前庭覚過敏もあるし、聴覚情報処理障害もある。詳細はとても書ききれないので、別の記事で。
つまり、私が無口でノロマダだったり、運動音痴だったり、疲れやすいのを我儘や怠惰に思われたり、ゴーイング・マイウエイと言われたり、生き辛い日々を送らねばならなかったのは、自閉症スペクトラム障害や感覚過敏によるものだった。
その上、IQが高く、脳の情報処理速度が速い為に、周囲の人達とのずれが生じる。まさか自分のIQが高いなんて知らなかったし、どうせなら、IQ150とか180とかなら超越できたかもしれないけれど、130程度では中途半端すぎる。

高校を卒業して自炊するようになってから、健康や食生活には人一倍気を付け、高校卒業時の体重をほぼ維持しているし、たまに貧血や過呼吸を起こす以外は健康体だと自負していたのに、いくら何でも病気や障害の数が多すぎないか?

出生時に仮死状態だったこと
幼児期から感覚全てに強い感覚過敏があること
網膜に血管が残っていること
卵巣嚢腫(皮様性嚢腫・奇形腫)による20代の若さでの卵巣摘出
聴覚情報処理障害
橋本病 → 経過観察中
神経障害性疼痛 → 2つ目の薬の副反応で救急搬送。治療断念。
好酸球性副鼻腔炎(喘息併発) → 薬の副反応で治療休止
突発性難聴 → 一応の回復はしたが、聴覚過敏増強
自閉症スペクトラム障害(高機能自閉症)
金属アレルギー(鉄、プラチナ)
体の中も外も過敏すぎるのか薬の副作用が異常に強く、使えない薬が多いこと

これ全部、自分自身ではどうしようもないものばかり。

いくら何でも、一人の人間に多すぎるような気がするのだが?

漫画にしてくれないかなあ。2020/12/19

「創世神話(改)」を執筆するかたわら、昔の短編小説を無料小説投稿サイトに投稿しています。

「創世神話(改)」は、セルフリメイクだけれど、まだ全体の半分を過ぎたところなのに既に書籍版の文字数をこえているので、毎日執筆するのが大変。

そのかたわらで、昔の短編小説を3つのサイトに公開している訳ですが、「創世神話」よりも昔に書き始めた中編小説「貝の中の真珠のように」に、数日前、とても嬉しいコメントをいただきました。

とても美しくて絵になる小説だ、と。

実はこの「貝の中の真珠のように」という小説、思い入れが強すぎて、物語とは直接的には関係の無いエピソードもたくさん入っています。
人によっては、「ナニコレェ~」と引いてしまうのではと、心配していました。
そんなエピソードは削ればいいのに、と思いますよね。
ごもっとも。
でも、分かっていても削れない。

主人公の少年が憧れる年上女性の為人(ひととなり)や内面を書きたいという、無用の思い入れが強すぎて。
切なく美しい物語を書きたいという思い。
主人公の中学生も切ないけれど、その憧れの女性も、その届かない想いも、主人公の兄も、みんな切ない。
思い入ればかりが強い小説かも。


小説を書かれるほかの皆様がどうなのかは分かりませんが、私の場合、文字が頭に浮かぶこともあるけれど、
多くの場合は、映像として脳内で映画を見るような感じで浮かびます。(私が自閉症スペクトラム障害だから?)
それを漫画にできるとよいと思うのですが、残念ながら画力が足りません。
それに、漫画は、小説を書くよりも、時間も労力も費用も体力も遥かに多く必要ですよね。

かくして、頭の中の映像を必死で言葉に変換していく地道な作業をするわけで、
「貝の中の真珠のように」は、映像的表現が多いです。
自己満足に過ぎない小説ですが、
「美しく、絵になる小説」と評価して下さった方がおられて、本当にうれしい。

ちかごろは、プロでなくても本当に絵の達者な方が多いですよね。
昔は、プロの漫画家でも絵の上手な方ばかりではなかったけれど、
今は、本当にみんな美しくて魅力的な絵を描かれます。
憧れます。
どなたか、私の小説を原作にして、漫画を描いてくれないかなあ。
だけど、商業作品にはならないだろうから、無理でしょうねぇ。

もしよければ、下記をポチっとして、暇つぶしに読んでみて下さいね。

ノベルアップ+
https://novelup.plus/story/134988564

カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/1177354055218878005

ツギクル
https://www.tugikuru.jp/novel/content?id=50414

ブログをお読みいただきありがとうございました。

短編小説に愛の手を(T_T)2020/12/18

髪を切ってさっぱりしたので、昔書いた短編小説の手直しもはかどって、無料小説投稿サイトに公開中です。

カクヨムの短編小説コンテストに応募中なのですが、PVがまったく増えません。
増えないどころか、2作品は1PVしかないし、もう一つも3PV。
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

どうぞ、お優しい方、ワンクリックでお助け下さい。
読者選考でランキングが下位だと、予選落ちで審査員に読んでもらえないらしいのです。
私は人付き合いが苦手で、SNS上にも友人がいないため、読んで評価してくれるように頼める人が一人もいません。
このままでは、予選落ち確実です。
どうか、皆様の温かい愛の手を!!!

「流星の奇跡」カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/1177354055219001472

「月光の糸」カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/1177354055221440130

「行列の街」カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/1177354055297218481


ちなみに、他サイトでも公開中。
コンテストはありませんが、思っていたより読んで頂けていて嬉しいです。

「流星の奇跡(darknight heartlight番外編)」

双子座流星群の夜に贈る愛と奇跡の物語。
2020年12月13日~14日は双子座流星群でした。
現在の日本とは少しだけ違っている日本のM市。カフェバーを訪れた紗夜《さや》は、双子の妹、摩夜《まや》を捨ててしまった自分を悔いていた。
もう今は居ない妹との悲しい思い出を語る紗夜に、ちょっと不思議なマスターが、カクテル「ホワイト・レディ」を差し出す。
「妹さんに、そして、あなたに」
その後に起こる奇跡の物語は……?

ノベルアップ+ 
https://novelup.plus/story/831634544

ツギクル 
https://www.tugikuru.jp/novel/content?id=50411



「月光の糸」

切なくミステリアスな純愛ファンタジー。
心に傷を負い、通信制高校に通う都希斗《ときと》。
ある夜、電源の入らないスマートフォンに、届くはずのないメールが着信し……。
月の照らす夜にだけ、もう居ないはずの彼女とメールで繋がる壊れたスマートフォン。
彼女の声が聞きたい。会うことが出来ないとしても。都希斗の願いは叶うのか。

ノベルアップ+
https://novelup.plus/story/423070760

ツギクル
https://www.tugikuru.jp/novel/content?id=50423


「行列の街」

あなたも行列に並びます?ナンセンス不条理劇?
ひょんなことから、ある行列に並ぶことになってしまった主人公は、優柔不断に笑ってごまかしながら、なんとかその場をしのいでいたが、あまりにも不可解なその行列は、一体何の行列なのか?

ノベルアップ+
https://novelup.plus/story/359869817

ツギクル
https://www.tugikuru.jp/novel/content?id=50531


何卒よろしくお願い致します。m(_ _)m

髪を切りました2020/12/18

1週間ほど前、髪を切りました。

ヘアドネーションしようかなと、4月以降伸ばしていたのですが、小説を書いていると、つい神経質になって、自傷行為で抜いてしまいます。
髪を抜く自傷行為は、以前の記事にも書きましたが、大学1年生の頃からです。

なので、夜に入浴する前、思い切って、髪切り鋏で自分でバッサリ切りました。20cmちょっとくらい。
後ろ髪はバラバラだけど、どうせコロナ禍でほぼ外出しないので、別にいいや。
昔よく自分で髪を切っていた頃もあったけれど、去年までの10年間くらいは美容室に行っていたんですけどね。
元々出無精なんだけれど、コロナ感染も怖いし、外出自粛生活で、ますます外出がおっくうになりました。

母の髪を、母が施設に入ってもずっと私がカットしに行っていたので、自分の頭をテーブルの上にでも置けるなら、セミプロ並みの腕はあると思うのですが。


母は、7,8年前に、美容室に髪のカットに行ったら、顔の染みの事を美容師に言われて、それ以来、美容室に行くのが嫌になり、だから私が髪をカットしていたのです。

美容師は悪気は無かったのだろうけれど、うかつ過ぎですよね。
80歳になろうと、90歳になろうと、女性に顔の染みの事を言うなんて、傷付いて当たり前です。

「鼻の頭、それどうしたんですか?」って言われたそうです。

母は、鼻の頭にできた染みをとても気にしていたのです。
シミ取りクリームや染み隠しのコンシーラーを、私と買い物に行くたびに欲しがって、いくつも買ったのだけれど、すでに軽い認知症だった母は、買ってもほとんど使わなかったんですよ。
思い出すと、染みが気になって化粧品を買うけれど、家に帰ると、数日もせず忘れてしまう。
その繰り返し。



髪が短くなったら、軽くなったし、ゴムで結ぶ必要も無いので後れ毛も気にならないし、引っ張って抜くことも無くなりました。

執筆も順調です。
執筆活動の報告は、また別の記事で。