移住者への呼びかけが疑問でした2021/03/09

庭の椿。2012年にほぼ枯れていたのを剪定して植替え、9年目にして復活の開花です。
私が文章や絵を書くことは今までも紹介してきましたが、
この趣味と言うか特技というかを、収入に繋げられれば……

私は無職で、障碍者雇用・生活支援センターでも心無い対応をされてしまって、
その後のコロナ禍で就職を諦めていたけれど、先週ふと思ったのです。

地域のフリーペーパーで、ライターとかイラストレーターとして
非正規でもいいから採用してもらえる見込みは無いかなあ。

それで、ネットで調べてみたんです。

地域のフリーペーパーはいくつかあるので、会社やバックナンバーとか色々見ていたら、結局、非正規でも無理だと分かったのですが、
とても気になる記事を目にしてしまったのです。

「県内には大きく2種類の方言があります。方言を使うと親しみを持たれる一方で、方言を使わない人に対しては、『上から目線』と受け取られがちです。県外からの移住者の皆さんは気を付けたいですね」

私は、物凄く違和感を持ちました。

呼び掛けるべきは、
「県外移住者の皆さんも方言を使おう」ではなく、
県民に対して、
「方言を使わない人に対する偏見はやめましょう」
であるべきじゃないですか?
そう思いませんか?


私は方言を喋れません。
耳で聞いたり文字で読むのは分かるけれど、
自分で文章に書くことも出来るけれど、
自分で喋ることはできません。

苦い思い出があります。

小学校の頃、クラスの女子は自分の事を「うち」と言っていたし、
私の母親もそうでした。

けれど、私は「わたし」と言っていたし、
他の方言も一切喋らなかったので、気取っていると思われていたのです。

なぜ方言を喋らないのか、自分でも分からなかったけれど、
当時の私の分析では、
周囲の人達との会話というよりも、テレビや本で言葉を知ったからではないかと思っていました。

成人して社会人として働くようになっても、方言を使わない事で、
わざと共通語を話して自分を良く見せようとしているみたいに思われていたようです。
特に、私はタメ口も使えずに、誰に対しても丁寧語だったから。


自閉症スペクトラム障害と診断されてから、
色々と調べる中で知ったのは、
自閉症の場合に方言を喋らない事は広く知られている、ということ。

私が幼い頃から方言を喋らずに共通語の丁寧語だったのは、
私が自閉症スペクトラム障害だったからなのだと知ったのです。

人は皆、自分の物差しで相手を図ります。
自分と違うように感じるからと言って、相手を偏見の目で見るのはやめて欲しい。
そういう偏見を、県民性だと言って野放しにしないで欲しい。

多くの人は故郷を愛していますよね。
けれど、私は故郷を愛したくても愛せない。

幼い頃から孤独で、
ありのままを受け入れてもらえなかった私には、
故郷は無いも同然。

私の故郷になってくれる人も見つけられずにいます。

タブレットでイラストを描きた~い!2021/02/21

パステル画ほかを縮小にてご紹介
私は物心ついた頃から絵を描いていて、
幼稚園の頃には鉛筆ダコが出来ていたくらいでした。

中学1年までは、
余った普通のノートに、イラストや物語を書いて学校に持って行き、誰かに見せると、ノートはいろんな人を回って、放課後に返ってきてました。

中学1年が終わると、
美術の授業のスケッチブックの残りがあったので、宿題をしているふりをして絵の具でカラーイラストを描いて、翌日学校でクラスメイトに見せる、という日々を送り、

高校では、
美術の先生に
「君は物を見る目がある。美術部に入りなさい」と勧められるも両親に許してもらえず、美大進学も考えたけれど、担任から「美術部にも絵画教室にもいってないから無理」と言われ、
学費の関係で「教育特別奨学金」制度のある教育学部に。

つまり、イラストも文章も全くの自己流。

最近は、若い漫画家やイラストレーターは、クリエーター用のタブレットで描かれる方も多いようですね。
プロじゃなく趣味の方でも。

私も、イラストが描けるタブレットが欲しいなあと、随分前から思ってはいたんです。

昔、〇〇ソフトラボラトリーの描画ソフトを何度か買って、〇コム社がパソコンに繋いで使うペンパッドを発売するにあたってハガキ大の物を特価で優先販売するというので購入したけれど、私の持っていた〇ャープのノートパソコンには繋いでも作動せず、大金をどぶに捨ててしまった苦い経験が……。

なので、仕方なく、マウスを使って気長にポチポチ描いてました。
細かい部分は拡大して、点描レベルで描いたり消したり。
フロッピーやMOに保存していた物は、残念ながら、もう開くこともできませんが。

最近、ネットで調べたら、イラストの描けるタブレット、通販では思っていたよりも安かったです。
でも、種類が色々あるし、初心者用とか書いてあっても、よく分かりません。
タブレットとは別にソフトも買わないといけないんですよね。
どなたか教えて下さ~い。

参考までに、手元にあった自作をいくつか縮小して添付してみました。

大半は、人に上げたり、紙がしわになって駄目になったりで、ボードやハガキに描いたものくらいしか残ってないです。
そういえば、スクリーントーンを貼ったモノクロイラストや、生徒に頼まれてセル画も描いたんでしたけど。

1~3はキャンソンボードにパステル(デジカメ撮影)
4はマーメイドボードにパステル(数日前に2時間で描いたラフをデジカメ撮影)
5,6は水彩色鉛筆 (スキャナー)
7、8はアクリル顔料で水彩画風に(スキャナー)
9はキャンソンボードにアクリル顔料で油彩画風に(デジカメ撮影)
10はろうけつ染め(デジカメ撮影)
残りの番号無しが、パソコンでマウスを使って描いたもの

タブレットでイラスト描きた~い。
でも、もし買えても、操作方法を覚えるのが大変そうです。
せっかく買っても、使いこなせないかも……。

教えて下さる方、コメントお待ちしてます。m(_ _)m
もちろん、それ以外も大歓迎です!!

ちなみに、イラストは、以前に別の用事でデジカメ撮影やスキャニングしてデータ保存していたもので、今回わざわざではありません。

梅の花にメジロちゃん💗2021/02/13

梅の花の蜜を吸いに来るメジロちゃん
ずいぶん長くお休みしてました。

年末から鬱になり(二次障害の双極性障害で)、1ヶ月ほど無気力が続いて、小説の執筆もぱたりと止まってしまったくらいで。
好酸球性副鼻腔炎が悪化して、喘息の発作も出て。

そんな中で、久しぶりの明るいニュース🥰

節分の日に庭の梅が一輪咲き、数日後に花数が増えると、メジロが蜜を吸いに来るようになり、超かわいい💗 

毎朝10時頃に来るようですが、花から花へとちょこまか飛び移り、カメラを構えても上手く撮れません。蜜柑🍊でも刺しておくと、少しはじっとしていてくれて良いのは分かっているのですがね。

昨日の朝、鳴声に気付いて慌ててガラス窓越しにデジカメの望遠で撮影。
次はもっとうまく撮りたいな。

ヒヨドリが来るとメジロは逃げてしまいます。
甘い金柑を狙って金柑の木に被せたネットに侵入しては出られなくなって大騒ぎするヒヨ。
仕方なくネットを開けて出してやろうとするのに、バタバタと上へ上へと逃げるので出られない。下の隙間から入ったくせに、おバカです。

ヒヨ君、メジロちゃんを脅かさないでね。

今朝は、雨でメジロは来なかったけれど、雨を物ともせずにヒヨドリは梅の花に飛んできて、騒ぐ鳴声に窓を開けたら逃げていきました。

月の争奪戦になる前に国際条約を!2020/12/04

中国の無人探査機が、月の土壌などの採取に成功して離陸したらしい。
成功すれば、米国、旧ソ連に続いて3か国目となり、中国は「宇宙強国」を目指しているとのこと。
詳しくは、下記サイト参照。

https://www.sankeibiz.jp/business/news/201204/cpc2012040733002-n1.htm

中国は、昨年、世界で初めて裏月面への軟着陸にも成功したと発表している。
詳しくは、下記サイト参照。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-46755398

中国の宇宙への野望は留まるところを知らない。
このままでは、10年以内に恐ろしいことになるのではないかと、私は危惧する。
SF映画のような、月の争奪戦だ。それに加われるのは、莫大な資金をつぎ込める列強だけだから、どういうことになるかは、容易に想像できる。

私は、日本人の愛する月が、そのような事態になるのを見たくない。
見上げる美しい月の上で、列強が月の資源を奪い合い、月面の研究施設であやしげな実験が行われることも、絶対に嫌だ。月を美しいと思いながら見上げることも出来なくなってしまう。

コロナ禍で大変な今、世界は月面上で何が起こってもあまり関心を持たないかもしれない。
コロナ感染爆発の米国には余裕が無いかもしれない。
国連などの国際機関も、力が低下して、それどころではないかもしれない。
それでも、
月の軌道上と月面の、国際共同開発以外を認めない条約を作って欲しい。
手遅れになる前に。

流通業の皆様こそ神様です!2020/12/03

昨日も運輸業に携わる方々がコロナ禍において嫌な思いをされているらしいことを少しだけ書きましたが、運輸業やサービス業を含む流通業全体が大変な事になっているようですね。
流通業に関わる従業員の5人に1人が、客からの暴言や暴力に悩んでいるそうです。

コロナ禍よりもずっと以前から、たまにニュースなどで見ることはあったのです。
「お客様は神様」をかさに着て、従業員に対して高圧的な態度で迫る客のこと。
違うでしょ、従業員は召使いでも何でもないし、客はご主人様でも何でもない。従業員と客は対等です。

私が思うに、サービス業や運輸業の従事者の皆様こそが「神様」です。
雨の日も風の日もトラックで長距離を走って生活必需品や色々な物資を届けて下さる皆様。

運輸業とはちょっと違うけれど、新聞配達の方が台風の暴風雨の最中の配達中にお亡くなりになったというニュースをここ数年毎年のように見るので、辛くなります。
そこまでして新聞を届けなくても、命の方が大事じゃないのって。新聞契約者の皆さんも、台風の暴風雨の最中くらい、新聞が届かなくても文句を言わないで欲しい。

トラックも、時々暴風雨に煽られて高速道路や橋の上で転倒したりしてますよね。
通信販売の拡大によって人手不足な中、届けた先が留守で宅配ボックスなども無い場合、再配達しなければならない。それも1軒や2軒じゃないし、膨大な量の配達物があるし、時間指定とかの物もあるから、きっと、配達の方は、あっちに行ったりこっちに行ったりしなくてはいけないはず。効率的な配達なんて無理に違いありません。

ちなみに、私は以前は時間指定にしてその時間帯には必ず自宅に居るようにしていましたが、数年前から「置き場指定」を利用できる通販サイトもあって、それを利用しています。

毎日色々な場所に行って沢山の人と対面して荷物の受け渡しをしなければならないのは、本当に大変だと思います。

小売店などのレジの方々も、何時間も立ちっぱなしで、どんな客にも笑顔で対応してくれます。
多くの方がパート従業員だと思うのですが、家事や育児などの合間を縫って働いておられる方も多いのですよね。仕事を終えて自宅に帰ったら休めるわけではなく、家事や育児などで時間に追われる方も居られるでしょう。
飛沫防止シートやアクリル板越しとはいえ、毎日どれほど多くの買い物客と対面するのでしょう。大変な仕事です。

消費者の中には、そういったエッセンシャルワーカーを見下すような言動する残念な人がいるようです。
「お客様は神様」と思って、客には何でも許されると思っているのでしょうか?

そもそも、「お客様は神様です」という言葉は誤解されています。
私が子供の頃に祖母や母親が大好きだった歌手の三波春夫さん。
三波春夫さんが「お客様は神様です」と言って広まった言葉だと思うけれど、「お客様は神様のように敬うべき」という意味ではないらしいのです。三波春夫さんの言った「お客様は神様です」は、「神様の前で歌うように邪念を払って歌わなければ、いい歌は歌えない」という、自分の歌に対する向き合い方を示すものだったようで、そもそも積極的な発言でもなかったようなのです。詳しくは下記サイトの「お客様は神様です」の欄をご参照ください。他にも、いろいろなサイトで紹介されているようですが。

  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B3%A2%E6%98%A5%E5%A4%AB

それから、サービス業という名前についても、誤解がありますよね。物質的な形のないものをサービスという形で提供して満足感や安らぎや感動などを客に与えることで、対価を得る事業とでも言いますか。
以前は小売店などで「より良い品をお手頃価格でご奉仕」などと目にしたりしたけれど、奉仕といっても、消費者が偉いわけじゃなくて、立場は対等です。
でも、サービス業の間でも資本主義で自由競争だから、顧客を奪い合う形となって、「お客様は神様」的に大事にしたのでしょうね。お客様側もますます勘違いしてしまう。

コロナ禍以前からあった「お客様は神様」問題(と、勝手に名付けました)ですが、コロナ禍において一層目立ってきたのは、やはり国民全体が、不安で苛立って希望も持てずストレスが溜りに溜まっているからでしょう。

新型コロナウイルスは、或る意味人災ではあるけれど、今のような全世界に広がった状態では、もはや何処に或いは何に責任を押し付けても、何も変わりません。
どんな万全な対策をしよう100%は難しく、抜け道を通ってウイルスは広がるのです。
ウイルスはずっと居座るのです。ワクチン接種が広まって大多数の人達が抵抗力を持つまで、重症化を防ぎ一回飲めば一気に回復できる特効薬が出来るまで、脅威は去りません。

だから、対策を講じるのは勿論大切で必要な事だけれど、それだけでは足りません。
ニュージーランドのアーダーン首相のように、強く優しく温かく国民に寄り添う姿勢が必要です。要請やお願いではなく、庶民の心情に寄り添った語り掛けが必要です。庶民がどんなに追い詰められているか、おそらくは、永田町のエリートの皆様には分からない。けれど、分かろうとしなくてはいけません。その事を政府は受け入れ、理解し、あえて批判も享受し、国民の誰一人としておろそかにはしないという気概を持って、真摯に語り掛けてほしい。

そして、一度広がってしまった消費者優位の考え方は、簡単には治らないと思うので、小学校からの学校教育で、正しい消費者教育をして欲しい。
かつて、悪徳業者などによって消費者が泣き寝入りするケースが増え、消費者教育の必要性が叫ばれて始まったものと思いますが、今の時代、消費者の権利の主張だけでは片手落ちです。
消費者の権利は正しく主張されなければならないけれど、事業者側の従業員の人権も守られなけらばなりません。両者はどちらが上、下というものではなく、契約(形のないサービスを含め消費活動を行えば、それは契約がなされたことになります)の上の対等な関係であるということを、小学生のうちから、分かりやすく教える必要があります。
そうすれば、時間はかかっても、何年か先には、きっと世の中の考え方も良い方へと変わっていくでしょう。
誹謗中傷は止めましょう。される側もする側も傷付くはず。
大震災に見舞われても、暴動が起こるわけでもなく、水や食料の配布を人々は静かに列を作って待つことが出来る。そんな世界中が驚嘆し、感動し、称賛した日本の素晴らしさを、コロナ禍にあっても見せて欲しい。心からそう願わずにはいられないのです。

カネ恋が見られない2020/09/29

芸能人の自死(10年以上前から、自殺ではなく自死と呼称すべきだという考えがあります)が続き、一般人でも増加していて、心が痛いです。

私は外出もしないし、訪問者も無いし、TVを低音量で毎日ほぼ点けっぱなし状態ですが、番組の合間にドラマの番宣映像が流れますよね?

 「おカネの切れ目が恋のはじまり」の番宣映像が辛いのです。

三浦春馬さんが命を削った遺作だから、お蔵入りにならずに放送されているのはとても良い事だと思います。
けれど、私は、番宣映像だけでも辛くなるので、見ることが出来ないのです。
私は三浦春馬さんの私生活を知らないし、どんな悩みを抱えていたのかも分からない。けれど、悩みを抱えながら演技していた事だけは確かだろうから、ドラマがコメディだけに、人と会う為に自分のテンションを上げ、演技では更にハイテンションを期待されて、どんなに大変だっただろうと、甚だ勝手ながら、そう思わずにはいられず、涙が出てしまうのです。


私は、子供の頃に連載が始まった美内すずえ先生の「ガラスの仮面」を見て演劇に興味が沸き、それ以前から自分で物語を書いていて、摩耶ちゃんに負けず劣らず物語に対して好奇心が強く、想像力も底無しだったので、いつか演劇をやってみたいなぁと思っていました。

私は超内気で大人しく、小学生の頃から先生に「声が小さい、引っ込み思案、消極的」等々言われていたし、体力もなく、疲れやすくて、度々病気をしたり倒れたりもしたけれど、音楽の授業や合唱クラブで皆で声を合わせて歌う時や、家で姉のピアノ伴奏で歌う時には、大きな声を響かせて歌うことができました。
学校のお楽しみ会寸劇や文化祭では脚本を書き、創作ダンスでは、その表現力に、皆から「役者じゃあ!」と言われ、保育系短大入学試験では、初めて聴く音楽で即興で創作ダンスを踊ると言う実技試験に真っ先に手を上げ、脳内で組み立てた通りに踊って合格しました。

声が小さいという短所も、大学時代に経験した様々なアルバイトを通して、人前で大声を出すことにも慣れていきました。
教育実習での最初の授業は散々だったけれど、県の教員採用試験に合格できずに恩師の紹介してくれた他県の私学に採用された時の新人研修では、体育館のステージ上からマイク無しで、体育館最後部に立つ教頭に聞こえる声で決意表明演説をする最終試験にも、一度で合格しました。
だから、演劇をやってみたい、やればできるのではないか、という気持ちは、ずっと消えずに心の中にあり、高等学校教諭の仕事を早期退職した後、地域に劇団が出来たことを知った時、迷ったけれど入団したのです。
「やらずに後悔するより、やって後悔した方が良い」という、良く耳にするフレーズに後押しされて。

発声練習に早口言葉、セリフの読み合わせ、ストレッチ……、どれも楽しかった。
劇団を主宰するのは郷土出身の高名な演出家の先生で、その先生が戯曲教室も始めたので、私はそれも受講しました。
一通りの理論講義を終えて実技になった時、私は溢れ出るイメージを次々に戯曲にしていきました。
けれど、先生には、「(月)さんの場合、イメージがあり過ぎるのが欠点になっている」と言われてしまいました。

その後、その先生の門下生である若い演出家のもとで第1回の公演をすることになり、チェーホフ短編集の幾つかを上演すると言われて、私はその中の1つの主役をすることになりました。
セリフは直ぐに覚えて、稽古の時には、セリフを忘れた他の出演者にセリフを教えることも度々だったけれど、役者というのは、思った以上にストレスフルでした。

私は既に40歳を過ぎていて人生経験もあり、20歳代半ばの若い演出家の解釈には納得できないことも多くありました。
何度演じても違うと言われ、しまいには手本を見せられました。
「この場面での主人公の気持ちを考えると、その口調や動作は、私には不自然に思えるのですが?」
けれど、若い演出家は耳を貸してはくれませんでした。
「演出家は俺だから」
それ以上は何も言えませんでした。

役者は、ただ演出家の言いなりに操り人形のように演じなければならないのか。舞台は演出家だけのものではなく、役者と一緒に作り上げていくものではないのか。
演出家の演出に口出しするのは良くないのだろうけれど、プロではなく船出したばかりの民間アマチュア劇団であれば、演出家のごり押しではなく、役者の想いも汲み取って、互いに擦り合わせていくべきではないのか。
私は熱意を失って、全く楽しく無くなりました。

けれど、演目は喜劇だったので、どんなに意気消沈していても、テンションを上げ、舞台演劇特有の抑揚で、オーバーアクションをしなければなりません。
それは大変な疲労を伴い、少しも楽しむことが出来なかったけれど、公演を終えるまでは投げ出すわけにはいかなかったから、私は私を捨て、演出家の言いなりに演じました。
他劇団から客演の先輩役者達からは、演劇未経験者なのに短期間で物凄い成長ぶりだと称えられました。

公演1週間前の初めてのリハーサルの時、ステージに出た途端に頭が真っ白になり、セリフも何も空っぽになってしまい、以降、本番でも同じように頭が真っ白になったらどうしようと、そればかりが心配で、四六時中台本を読んでいなければ落ち着けませんでした。

本番前のゲネプロの時、私は心臓がバクバクしていましたが、自分を切り離して役になり切ることにしました。
心の中は静かになり、舞台や客席の隅々まで見え、ゲネプロで緊張して出やセリフを忘れた他の出演者に教えることさえ自然にこなし、本番の幕が上がっても全く緊張せずに、観客一人一人の表情を見る余裕さえありました。
けれど、幕が下り、湧き上がる歓声の中で、達成感も感動も喜びも私にはありませんでした。
客演の先輩役者にその事を話しましたが、「自分を無くして役になり切れるなんて、初演なのに凄いじゃない」と言われ、私の虚しさは分かっては貰えませんでした。

打ち上げで一人一人感想を言うことになって、本心は「これでやっと劇団を辞められる」だったけれど、さすがにそれは言えません。
「初めてのリハーサルでは頭が真っ白になって、どうしようかと思ったけれど、無事に終えることが出来て、とても良い経験ができました。ポスターとプレゼントと衣装の仕事も頑張ったので、良い思い出ができました」
すると、演出家がポロリと言ったのです。
「仕事らしい仕事は何もしてないじゃん」

私は自分の特技を生かし、演出家も含めた劇団員全員の似顔絵を描いたポスターを作り、来場者へ渡すお土産の絵葉書も全て描いたし、予算の無い中で、自分や劇団員の持ち合わせの衣類からイメージに合う衣装を考えて準備したのに、信じられない一言でした。

私は演劇には向かないな、そう分かって、暫く後に止めました。
直ぐに辞めなかった理由は、劇団の会計の仕事も担っていたからです。
劇団を辞めた後も、差し入れに行ったり、時代劇をするので着付けをしてほしいと頼まれれば、私は子供の頃から自分で着物を着ていて着付けが出来たので、もちろん無償で手伝いにも行ったけれど、もう劇団には戻りませんでした。

後に自身の高機能自閉症が分かったので、元から自分には役者は向かなかったのだと思いました。

実際に芸能界で活躍されている俳優の方々の気持ちが、僅かな演劇経験しかない自閉症の私に分かるはずはありません。
けれど、「カネ恋」を見ようと思っても辛くて見らないのは、どうしようもないのです。

芸能人に限らず、きっと多くの人達が、本当の自分の気持ちを隠して、表面上は元気そうに社会生活を送っていると思います。
裏表なく本当に元気でパワフルな人も多いでしょうけれど、そうではない人も沢山居るはずです。

生きることは、本当に楽じゃない。
なぜ人間は、こうも複雑に作られてしまったのだろうかと思います。

やる気も感情も気持ちの浮き沈みも、神経伝達物質の作用によるものらしい。自分の意志とは関係なく、アドレナリンやドーパミンやセロトニンなどの化学物質が私たちの感情をコントロールしていて、それらの投与は治療や違法なドーピングにも用いられたりするようです。

人間は、とても哀しい生き物のように思えます。

竹内結子さんの死に思う2020/09/27

2020/09/27 17:28撮影 月齢9.6 月出15:25 月没00:40 
朝起きると、TVのデータ放送で天気情報とニュースを確認するのが日課なのだが、人気俳優の竹内結子さんが亡くなり、自殺と思われるというニュースに衝撃を受けた。
昨年結婚して今年出産して、普通に考えれば幸せ一杯のはず。
けれど、もしかしたら、誰もがそう思うことに落とし穴があったのかもしれない。
私には、人気俳優である竹内結子さんの生活や内面は推し量りようも無いけれど、マリッジブルーやマタニティブルーという言葉もある通り、幸せなはずの出来事は、実は大きなストレスにもなる。
周囲に幸せだと思われている時に、悩みがあるとは言いだしにくいだろう。幸せそうに振る舞わなければと思うかもしれない。

私は若い頃からあまりTVを見なかったし、芸能界にそれほど関心は強くないけれど、竹内結子さんというと映画「いま、会いにゆきます」の印象が強い。その印象とは全く違うタフな役柄の主演作もあり、最近TVで目にした時には、何だか痩せて疲れが顔に出ているように感じたけれど、TVのコメンテーターもそんなことは言わなかったので、私の勘違いかなあと思っていた。

最近、芸能人の自殺が多い。
報道はされないけれど、一般人の自殺も再び増加傾向にあるようだ。
平成23年までは毎年3万人を超えていた自殺者数は、自殺防止の様々な取り組みが功を為してか、減少傾向にあったのだが、おそらくはコロナ禍が影響して増加に転じたのだろう。

猛暑の頃には、熱中症による死者が大変な数になった。
2010年以降毎年千人を超えていて、特に熱中症死者数が多い東京都では、8月18日現在の8月のコロナ死亡者9人に対して、熱中症死亡者は10倍以上の103人だったらしい。
   https://www.asahi.com/articles/ASN7W35BNN7KUTIL04F.html#:~:
   https://news.yahoo.co.jp/articles/72168d43c658736ad92e7ae528bf9f77d5e22ff7

新型コロナウイルスによる死者数の合計は、国内とクルーズ船を合わせて本日時点で1,563人。
対して、自殺者の数は、8月だけで全国で1,854人。

熱中症や自殺による死者数は、新型コロナウイルスによる死者数を遥かに超えているのだ。

   ※ 新型コロナウイルスによる死者数は「特設サイト 新型コロナウイルス」による
   https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/
   ※ 自殺者数は厚生労働省のホームページ掲載の資料による。   
   https://www.mhlw.go.jp/content/202008-sokuhou.pdf
   ※ 熱中症死亡者の統計……総務省消防庁
   https://www.fdma.go.jp/disaster/heatstroke/post3.html


コロナ禍で、孤立する人が増えてしまった。
熱中症は猛暑が原因ではあるけれど、自宅や畑や農業用ハウスで亡くなる高齢者の数は、声掛けによって減らせたかもしれない。冷房を付けよう、暑い時間の外出は危険だと声を掛けることで、少しは減らせたかもしれない。

自殺者の数の多さも、コロナ禍による失業で衣食住に困ったとしても、孤立せずに繋がりがあれば、守れた命があったかもしれない。生活に困っていなくても、孤立は人を絶望に追いやるに十分だ。私自身が、孤立により、生きることに何の希望も見いだせなくなったように。


私は、10年前、仕事の傍ら週末に大学で半年間の講習を受け、「地域QOL推進委員」の認定を受けて、「自殺防止フォーラム」にも参加していた。
「自殺防止フォーラム」は、大会を終えた後、形を変えて現在も続いているのだが、私は今は参加していない。その理由は、参加者たちの姿勢と取り組みの方向性に疑問を持ったことと、自殺者を救おうとしているはずの人達からの心無い言葉によって傷付いたからだ。

20年近く教員をしていた間、自分の担任クラス以外の生徒からも悩み相談を受けたし、たくさんの手紙をもらったし、教員を早期退職してからも、たまたま入院した先で同室になった人から悩み相談を持ち掛けられたりした。

自分自身が幼い頃から辛い思いをして、何度も死にたいと思ったから、たぶん心が傷付いている人に寄り添うことができるのだと思う。
私自身が、担任からの心無い言葉に何度も傷つけられたから、私は、どんな生徒も否定せず、頭ごなしに自分の考えを押し付けたりせず、まずはその生徒の話を聞いた。

「話してくれてありがとう。家でもクラスでも辛い思いをしているんだね。いつも傍にいることはできないけれど、私はあなたの味方だよ。私に何か出来ることはある? 担任の先生に私から話してみようか?」
隣のクラスの生徒が放課後に相談に来た時、話を聞き終えて、私はそう言った。
「いいえ、大丈夫です。先生が話を聞いてくれて、味方だと言ってくれただけで気持ちが楽になりました」
生徒はそう答えた。
「辛くなったら、またいつでも相談してね」
私はそう声を掛け、その生徒は無事に卒業していった。

それから10年程経って、私は仕事に行けないほど精神的に苦しくて、なぜ苦しいのか自分でも分からなかったのだが、たまたま近くに精神科の病院があったのでHELPの電話をして、電話の先でも緊急性を察知してくれたらしく、他の患者と会うことの無いように時間を設定されて、すぐに受診できた。

最初の質問はこうだった。
「今いちばん苦しいことは何ですか?」
私は自分でも何が苦しいのか、なぜ苦しいのか、全く分からないままに受診したのだけれど、その質問に、考えるより先に言葉が自然に口から出ていた。
「私は小学校の頃から学校で苛めや仲間外れにあっていて、そのことを両親に言えませんでした」と。

その時の会話を今も詳しく覚えている。ここでは関係が無いから省略するけれど、その精神科医の先生は、傾聴と受容の姿勢を見せてくれて、私は安心して話すことができ、薬が処方された。

その2週間くらい後にも再び受診して、副作用が無い一番軽い睡眠薬も処方された。
「目が覚めないかもしれないと不安だったら、翌日に仕事が休みの週末に試してみてください」
私は、言われた通りに週末に試して、予定時間より遅くに目が覚めはしたけれど、ベッドからずり降りたまま、強烈な頭痛と止まらない吐き気で動けずに、何時間も苦しんだ。

その後、私は養護教諭に相談して、心療内科クリニックを受診することになった。当時の精神科病院は、古びて外壁には雨による黒いしみが流れていて陰鬱で、気軽に受診できる感じではなかったのだ。今ではその精神科病院は明るく開放的なデザインに改築されて受診しやすくなったけれど。

通院し始めた心療内科クリニックの医師は、なぜそんな話をするのか意味不明な漫画などの雑談をしたりした。受診するたびにカウンセラーと話もしなければならず、ある時思い切って誰にも話したことの無い悩みを打ち明けた。
その時のその女性カウンセラーの対応に、私は話したことを後悔した。
「そんな人もいますよ」
私の話を聞き終えて、開口一番それだけだったのだ。
今から20年程前の話で、その心療内科クリニックは、現在は無い。

どんな悩みも、世の中には同じ悩みを抱く人がいるかもしれない。けれど、だからといって救いにはならない。
勇気を出して話した患者(相談者)に対しては、まずは「話してくれてありがとう」だと思う。そして、「ずっと苦しんできたのですね」と、相手の苦しみや辛さに寄り添う。それが無ければ、相談者は、相談した事で何一つ救われない。


話を10年前に戻そう。
参加していた「自殺防止フォーラム」の大会が終了し、その後の会の在り方が、定例会を続けて検討されたのだが、誰もが自由に集える場所づくりの方向で話が進んでいた。
私は、そこに集って仲間ができた人の自殺防止にはつながると思うけれど、既に深刻な悩みを抱えている人は、そんな場所には行けないし、自殺を考えている人は自分の心を隠して普段通りのように振る舞うと伝えたけれど、耳を貸しては貰えなかった。
定例会議参加者の大半が、別の公的な役職を持った人達で、悩みを抱えて死すら思う人に本当に心から寄り添おうとしているようには、私には思えなかった。

私は当時、認知症の疑いのある母と同居しはじめて間もない頃で、仕事もしていたし、夕食後に定例会議に参加するのは簡単ではなかった。ある日、会議場所変更のメールがあり、私は慣れない場所の駐車場の入り口が分からずに、時間に遅れてしまった。
「ふつう入り口が分からないなんて有り得ないでしょう?」
冷たく投げつけられた言葉。
ああ、やっぱり、この人達は、肩書のために活動実績が欲しいだけの人達なんだ、そう思った。

その後から、私はその定例会に行けなくなった。集いの場所も決まり、名称も決まって、その都度メールで連絡は来たけれど、私は一度も行けていない。親しくなった人達が、ワイワイガヤガヤ楽しんでいる中に、傷ついた心でどうして入って行けようか。

子供や芸能人の自殺が報じられるたび、一人で悩まずに「いのちの電話」やLINEなどに相談するようにとコメントされる。
けれど、例えば「失業してお金が無くて衣食住に困っている」とか、「虐待を受けているから保護して欲しい」とか、具体的に話すことができて何らかの対処ができそうな悩みならば、助けを求めやすいかもしれないけれど、悩みの多くは、簡単に話せるような内容ではないと思う。
深刻であればあるほど、家族や友人も含めて他人には話しにくい。多くの場合、話しても分かっては貰えないと思っている。
実際に相談したのに、軽く受け流されたとか、逆に説教をされたとか、苦い思いをした人もいるだろう。

私は、小学校、中学校、高校と、学級担任でさえ寄り添ってはくれず、話を聞こうとさえしてくれず、放置された経験がある。
目の前に居るプロのカウンセラーに話してさえ後悔したことがある。発達障害者支援センターに電話をした時も、あまりに事務的な対応に、1か月先の予約を取って相談しに行きたいという気持ちにはなれなかった。地域包括支援センターに電話をしても相談を拒否されたし、障害者就業・生活支援センターでは心無い対応をされた。
社会のシステムは、昔に比べれば、共生へと進んでいるけれど、そのシステムを運用するのは人間であり、人は必ずしも優しくは無いし、自身が苦労をしてまで見知らぬ誰かに寄り添おうとはしてくれないことの方が多い。
そんな経験から、顔も見えない、どんな人かも分からない人を信用して、いきなり悩みや苦しみや辛さを相談したりなんて、私には、もうできない。だから、私からも、見知らぬ人に、「気軽に相談してね」なんて安易には言えない。

一人で苦しんでいる人の重荷を、どうしたら軽くしてあげられるのだろう。
話だけでも聞いてあげたい。
解決策は提示できなくても、一緒に考えてあげたい。
心からそう思う。

残暑と外出と香港2020/08/11

市役所駐車場近くの公園にあった大木の木の実。ラクウショウ(楽羽松)?
連日の猛暑。
8月7日から立秋と言っても、現実には残暑厳しく、梅雨が長かった今年はまだ体が暑さに順応しきれていないから大変。
毎日たくさん汗をかいて暑熱馴化(しょねつじゅんか)はしているつもりだけれど、大学生の頃から私は暑さに弱いのです。

母の介護のためにリビングに置いたベッドがあるので、真夏の間は、寝る前にリビングに冷房を入れ、入浴後にそのままリビングのベッドで寝て、普通は朝9時頃には冷房を停止して、内部クリーン運転になって、家中の窓を開けて風を入れると、東からの海風で割と涼しく過ごせるのですが、今朝は、8時に目が覚めて温度を確認すると、
「お部屋の温度27度、外の温度37度です」
えっ、37度?
部屋に置いてある温度計では、実際の室温は28度ちょっと。外の温度は、エアコンの室外機を東向きに設置してあるので、朝から強い日差しが差し込む影響もあるのでしょうけれど、37度というのは初めて。空を見ると青空ではなく雲が広がっていて、温室効果も働いたのでしょうか。風も殆どありません。

今朝は燃えるゴミの収集日で、この季節はゴミを溜めると腐ったり虫が湧いたりするので、ゴミは少なかったけれど、外のバケツに抜いた雑草を入れてあるので、それと一緒に指定ゴミ袋に入れ、収集場所に持って行きましたが、冷房は、設定温度を28度にして点けたままにしておきました。
汗びっしょりでゴミ出しから帰宅後、顔を洗い、再度エアコンの温度を確認すると、
「お部屋の温度26度、外の温度34度です」
ヘンなの。設定温度は27度から28度に上げたのに。温度計を見ると、実際の室温は28度ちょっとなのに。

ほぼ無風で、試しに窓を開けると熱風が入るので、窓は締め切ってリビングの冷房を入れたまま過ごすことにしました。
マイナンバーカードとマイナポイント申請のために市役所に行くことと、お盆が近いので墓参りに行くこと、この2つの用事を、今日は済ませたいと思っていたのですが、暑くて体がだるくて眠くて、昼過ぎには気象情報で地域の最高気温が34.1度に。
冷房を切ると熱中症になりそうなので、設定温度を29度に上げてエアコン継続。室温は温度計でも29度になりましたが、他の部屋は窓を全て開け放していても33度くらいになっていたので、リビングに戻ると、29度でも涼しかったです。
とても出かけられそうにないと思ったのですが、夕方3時過ぎに、少し暑さが和らいだので、雲は無くなり日差しは強かったけれど、出かける事にしました。
エアコンは切って、水分補給用に梅酢入りの薄いスポーツドリンクを作って。

市役所までは3.3㎞。
マイナンバーカードは、以前に申請しようかと思った時、暗証番号を4つも設定しないといけなくて、覚えられないし、とても管理できないと思って断念したのですが、今日、市役所で訊いたら、確かに4つだけれど、3つは同じにすることを勧めているとのこと。そして、申請時にではなくて、約2ヶ月後にカードを取りに行った時でいいとのこと。
マイナポイントは、予算が決まっているので、先着順で受け取れないかもしれないとのこと。そのことはニュースで知っていたけれど、民間のキャンペーンならともかく、税金を使っての政府のキャンペーンで、申請期間内に申請するのに先着順といのはオカシイよね。

市役所の帰りに墓参りに行きました。駐車場が無い墓地で、路上駐車するしかなく、お盆に入ってしまうと墓地前の道路が一杯になってしまうので、いつもお盆の前に行きます。今日は車は1台しか停まっていなくて、他は徒歩や自転車の近所の人だけだったので助かりました。昼過ぎまで曇っていたおかげで、いつも夕方まで暑い墓地なのに、この時期としては暑くなくて助かりました。

本日の走行距離11㎞。久しぶりの外出。
こまめに水分補給をしたためか汗びっしょりで、帰宅後すぐに顔を洗い、洗眼液で目も洗い、うがいをして、着替えると、お肌はさらさらに。
あれっ、もしかしてサラサラ過ぎる?
市役所でも、墓地でも、汗がダラダラと止まらなかった。ちゃんと水分補給はしていたけれど、熱中症になりかけている?
ほんのり湿っているはずの脇の下も、案の定サラサラ。これはいけません。水分補給、水分補給。
水分補給ばかりで、食欲が出ないのが困ります。
お菓子もアイスもずうっと食べていませんよ。食べたいと思わないから。ご飯にキュウリや大根のぬか漬けが美味しい。

でも、現代の日本に生まれたことは幸せですね。
少なくとも、ブログやツイッターに政府を批判する内容を書いたって逮捕されたりしない。自由と民主主義のもと、政治運動や活動を行う権利も保証されている。
香港のこと、私には何も出来なくて辛いです。
周庭さんと民主活動家やメディア関係の方々が、一日も早く釈放され、香港国家安全維持法が撤回されますように。
世界各国で目立つようになった強権体制や独裁政権。これに異議を唱えることは、決して内政干渉ではない!!!

追記:
周庭(アグネス・チョウ)氏が11日深夜(日本時間12日未明)に保釈され、蘋果日報の創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏も近く保釈される見通しとのこと。ただ、保釈金(日本円でおよそ270万円余)を払っての一時的なもので、パスポートは没収され、今後も捜査は続くらしい。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/

優しい世の中に2020/08/02

月齢10.4 月出16:06 月没01:08 2020/07/31 20:25撮影
7月31日の夕方、TVで「dNHK全国のニュース」を見ていて、「“障害の内容を書かされ自殺”自治会役員らに賠償求め提訴」というニュースが目に留まった。
読んで目頭が熱くなった。
大阪平野区の市営の集合住宅に住んでいた36歳の男性がかわいそうでならない。
ただの同情ではない。私にとって、全然他人事ではない。

私は以前書いたように、宮城まり子先生の「ねむの木の子どもたち」を中学生の頃に読んで以降、障害児教育に強い関心を持ち、養護学校(現在では特別支援学校)教諭の免許を取った。教育実習では小学校に行ったが、県立学校教諭を46歳で退職したあと、常勤講師として特別支援学校に勤めた時には、高校1年生の担任をし、授業では小学生から中学生までも他の先生たちと一緒に受けもった。
障害のある子供たちは、みんな純粋だ。けれど、純粋さゆえに、社会に出ると様々な辛い局面にあう。日常の全てが辛さの連続になるかもしれない。犯罪被害にあうことも多い。
それに、私自身も高機能自閉症、感覚過敏、聴覚情報処理障害などの障害をもっている。

ネットで調べると、朝日新聞DIGITALにも記事があった。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/
「障害があると書かされ翌日自殺」 遺族が自治会を提訴
朝日新聞社 2020/07/31 20:13
「……市営住宅で一人暮らしだった男性は昨年11月中旬、くじ引きで自分が自治会の班長に選ばれる可能性があることを知り、自治会の役員に「精神の病気で班長ができない」と伝えたが、『特別扱いできない』と言われ……便箋(びんせん)2枚に『しょうがいかあります(原文ママ)』『おかねのけいさんはできません』『ごみのぶんべつができません』などと書かされた。さらに役員らから、文書を同じ階の住民(約10世帯)に見せると言われたという。男性は翌日、自宅で亡くなった。」

亡くなった男性は、どんな気持ちで便箋2枚をひらがなで書いただろう。その気持ちを思うと、私は堪らない。
そんな物を書かせる必要なんて無かったはずだ。少しでも寄り添う気持ちがあれば、そんな事をさせたりはしなかったはずだ。療育手帳が交付されている人を、本人の意思により班長候補から外すのは、「特別扱い」ではない。「合理的配慮」だ。

知的障害がありながら自立した生活をするのは、多くの困難があったことだろう。自分が班長になってしまうかもしれないと分かった時、「精神の病気で班長ができない」と役員に伝えるだけでも、どんなに勇気がいっただろう。けれど気持ちは伝わらなかった。理解しようとはしてもらえなかった。

障害があっても無くても、本人にとって困難なことを強要するのは苛めも同じだ。出来ないことは助け合えばいい。人は誰だって万能ではないのだから。今の時点で障害が無くても、今後病気になるかもしれないし、認知症になったら色々な事が出来なくなっていくだろう。

私は、まだ母の認知症が軽い頃、1年間自治会の班長をしたことがある。
私が住む地域では、1年交代の持ち回りで班長が回ってくるが、年々住人が減っているし、高齢になると班長が免除されるので、順番が回って来るのが早くなっていく。あと数年で、また私にも班長の順番が回ってくる。
前回、とても大変だったけれど、今より若かったし、母に対する責任感で今より強い自分でいられたから、無理も出来た。それに、当時の区長がとても懐の広い方で、私に対しても強い信頼を寄せてくれたので、私もそれに応えたかった。

けれど、その後幾つかの病気にもなり、突発性難聴になったことで聴覚過敏は強くなり、聴覚情報処理障害も顕著になったし、公的支援機関から重ねて相談を拒否されたショックもあるし、次回については不安が大きい。高機能自閉症や感覚過敏、聴覚情報処理障害などについて、地域では誰にも話していない。親しい人はいないから、話す機会もない。

高機能自閉症の場合、多くの人が、助けを求めるよりも一人でいることを選ぶらしい。
理解してもらえることは稀で、日常の中で誰かに拒絶されることは耐えがたく、むしろ孤独であることを選ぶ。
私もそう。人の優しさに助けられるよりも、悪意に晒されることのほうがずっと多い。
そして、地域の中で普通に生活しようと思ったら、障害を隠し、自分を偽るしかない。それは、ますます孤独になっていくということだ。

障害のあるなしや性別、年齢に関わらず、出来ないことは互いに助け合い、それを当たり前の事として誰もが受け止め、誰もが安心して暮らせる社会にはならないものか。
社会のシステムはノーマライゼーションに向かって進んでいるとは思うけれど、心のノーマライゼーションが進まなければ、結局は、弱い立場にある少数派の人が苦しい思いを耐え忍ぶしかなくなるのだ。

優しい世の中になって欲しいと切に願う。

穏やかで平和な日常はどこに?2020/07/30

月齢8.4 月出13:53 月没00:00 2020/07/29 21:52撮影
4歳の頃の記憶。
当時住んでいた社宅のアパートはお風呂が無くて、父は定時の4時には帰宅したので、それから家族4人で砂利道を歩いて銭湯に通っていた。
私は、銭湯の行き帰りや、脱衣所の独特の匂い、置いてあった体重計、浴室のタイルやカランなど覚えているのだが、中でも印象に残っているのが、歩くと一緒に付いて来る月だ。

今よりもずっと夜の明かりが少なくて、星も綺麗に見えた。
その頃はまだ星座とか知らなくて、
「どの星がアメリカ?」と家族に訊いたのを覚えている。
うちには犬のマークのビクターのTVがあって、「宇宙家族ロビンソン」というアメリカのTVドラマ(もちろん白黒)が放送されていたのを見ていた。それで、地球が日本で、空に見える星々が外国だと思っていたのだ。

夜空の星を見るのは幼い頃から好きだった。
父が人魂を見た話しを何度もするので、夜空を見上げると人魂を見てしまうのではないかと怖くなって、しばらくは夜空を見上げられなかった時期があるが、私はずっと宇宙や星が好き。天体望遠鏡は持っていないし、街の明かりで星もあまり見えなくなってしまったけれど、月は毎晩眺める。

最近心配なことがある。

今月27日の「米宇宙軍“ロシアが衛星攻撃実験” 官房長官『動向を注視』」というニュース。
「アメリカの宇宙軍は、ロシアが今月15日にも地球の周回軌道上で、人工衛星から物体を発射し、衛星を攻撃するための実験を行ったと批判していて、アメリカと同盟国に対する脅威が増していると警戒を強めています。」とのこと。
中国も今月24日に火星探査機の打ち上げに成功したというし、衛星攻撃衛星(キラー衛星)など兵器の開発を進める中国とロシア。インドやフランスにも宇宙軍があるらしい。
このままでは、宇宙が戦争の舞台になってしまうのではないか。
衛星軌道上を巡るキラー衛星が、宇宙空間で互いに攻撃し合う図が、SF映画ではなく現実のものとなってしまうのではないか。
月や火星の領有権を争って、月や火星上でも戦争が起きてしまわないだろうか。

宇宙空間は、人類が勝手にどうこうして良い場所ではないと私は思うが、もし利用するにしても、国際協力のもとの平和利用に限られるべきなのに。
けれど、人類はとっても馬鹿で、過去に何度も過ちを犯していながら、全く過去に学ぶつもりがないらしく、近頃はあちこちで独裁やら強権政治も目立ってきている。

コロナが蔓延して、日本だけじゃなく多くの国で第二波と思われる感染再拡大の兆しがあるというのに。私の住む県でも、とうとう感染者が100人を超えてしまった。無症状のまま感染していることに気付いていない人もきっといるはず。
地球温暖化の影響か、各国で異常気象と思われる豪雨や山火事や海面上昇による水没や色々大変な事態になっているというのに。
山形の記録的大雨と最上川の氾濫。日本は、もはや全国どこで豪雨災害が起きるか分からない。
マイクロプラスチックを食べさせられてしまう海洋生物に蓄積された異常は、人間にも蓄積されていく。

世界は、少しずつでも良い方向に向かっていると信じていたのに、最近は不安なことだらけ。
一昔前に夢見た明るい未来は、もう遠いものになってしまった気がする。
生きていて楽しいと思える日が来るのだろうか。