水仙咲いて雨が降る前に…2021/02/26

白房水仙と黄水仙とニホン水仙
昨日の朝、白房水仙が咲いているのに気付いて、雨が降り出す前に大急ぎで写真を撮りました。

ニホン水仙は1月初めから咲いていて、もう殆ど終わり。

黄色の水仙はまだ蕾。
膨らんだ蕾がとっても重そうで可愛い。

5,6年前、金柑の木とブロック仕切の間に、純白の水仙が2株ひっそりと咲いているのに気付き、目立たない場所だったので玄関近くに植え替え、後に、白房水仙という名前らしいと知りました。

ニホン水仙と、黄色の口紅水仙は、実家が引っ越しをした際に、私が引っ越し前の家の庭から掘り取ってプランターに入れて持ち帰った(元の実家は道路ができるために潰される運命だった)のですが、白房水仙は実家でも見たことがなかったし、どこから来た水仙なのか謎です。

出生は謎ですが、とても綺麗。
増やしたいけれど、他の水仙はバンバン増えるのに、まだ2株のまま増えてくれません。

メジロちゃんペア💗になる!!2021/02/19

昨日と一昨日は雪混じりの強風でしたが、今朝は眩しいほどの晴天微風にメジロちゃん再来!
しかも、結婚相手を見つけてペア💕
メジロちゃんおめでとう!!

日差しが強すぎて逆光でよく見えず、おまけに動き回るので、なかなかツーショット写真は撮れず、とにかく撮りまくったら、写りは良くないけれど、撮れました!

メジロちゃんペアは、梅→ボケ→椿→梅と花の蜜を吸いながら一緒に楽しそうに飛び回り、シャクナゲの枝へと飛んでいって休憩した後、どこかに飛んでいきました。
他の花の蜜を捜しにか、お家に帰ったのかな。

左の写真は、残念ながら1羽しか見えません。
中央の写真は、上下のツーショット。
右側の写真は、ペアで上下に写っているけれど、下左は逆光で暗くなって見えにくいです。
望遠はできるけれど、数万円台の安いデジカメなので。
スマホのカメラは高性能のはずだけれど、慣れなくて(^^ゞ

雪混じりの強風は2日間吹き荒れて、金柑のネットが吹き飛ばされたけど、枝に引っかかっていたので無事回収。
昨日の早朝、熟した金柑はヒヨに食べられる前に収穫したので、今朝はヒヨは早朝に来たきりでした。金柑が無くてがっかりしたかな?

梅の花にメジロちゃん💗2021/02/13

梅の花の蜜を吸いに来るメジロちゃん
ずいぶん長くお休みしてました。

年末から鬱になり(二次障害の双極性障害で)、1ヶ月ほど無気力が続いて、小説の執筆もぱたりと止まってしまったくらいで。
好酸球性副鼻腔炎が悪化して、喘息の発作も出て。

そんな中で、久しぶりの明るいニュース🥰

節分の日に庭の梅が一輪咲き、数日後に花数が増えると、メジロが蜜を吸いに来るようになり、超かわいい💗 

毎朝10時頃に来るようですが、花から花へとちょこまか飛び移り、カメラを構えても上手く撮れません。蜜柑🍊でも刺しておくと、少しはじっとしていてくれて良いのは分かっているのですがね。

昨日の朝、鳴声に気付いて慌ててガラス窓越しにデジカメの望遠で撮影。
次はもっとうまく撮りたいな。

ヒヨドリが来るとメジロは逃げてしまいます。
甘い金柑を狙って金柑の木に被せたネットに侵入しては出られなくなって大騒ぎするヒヨ。
仕方なくネットを開けて出してやろうとするのに、バタバタと上へ上へと逃げるので出られない。下の隙間から入ったくせに、おバカです。

ヒヨ君、メジロちゃんを脅かさないでね。

今朝は、雨でメジロは来なかったけれど、雨を物ともせずにヒヨドリは梅の花に飛んできて、騒ぐ鳴声に窓を開けたら逃げていきました。

寒波に思う母の入浴2020/12/26

昨年は暖冬と言われ、それでも寒いと思ったけれど、今年の寒波は数年に一度の最強寒波らしい。
雪で関越自動車道に取り残された車に乗っていた人達からは、体調不良者は出ても、どうやら死者は出なかったようでほっとしたけれど、屋根からの落雪や雪かき中、雪下ろし中の事故などで、何人もの方が亡くなられたことは、本当に痛ましく思う。
私などは、雪国ではないので、たまに雪が降っても、少し交通が麻痺する程度だけれど、雪国に住む方は、この冬をどうか無事に過ごしてほしいと願うばかり。

雪は滅多に降らない地域に住んでいるけれど、それでも、冬のこの時期は、近くの山から吹き下ろす北風で、外は凍える寒さとなる。
特に、冬の夜の浴室は寒い。

母の介護をしていて、母が一人で入浴できなくなり、始めは一緒に入浴していたが、それも無理になって、私はTシャツ短パンの軽装で母を入浴させ、身体を拭き、髪を乾かし、服を着せた。
冬、風呂場が寒いと母が何度も言った。確かに、その年の浴室は、例年になく寒かった。
窓の外を北風が吹き抜け、保温にしてもお湯がすぐに冷めて、浴室の床は冷たくなり、お湯に浸かっていないと体が凍えた。

家を新築する際、母は浴室暖房乾燥機を希望したのだが、父が不要だと言った為に、うちの浴室は温めることが出来なかった。
私は、母の為に、浴室と寝室のリフォームを計画し、住宅業者に相談した。
ところが、業者は忙しかったのか、リフォームはあまり儲けにならないと考えたのか、全然返事をくれなかった。

母がデイケアに行っている時間を利用して、私は再度業者に連絡し、その業者も含めて4業者に見積もりを取り、計画を進め、業者を決定しようとしていた矢先、母の健康状態が急激に悪化した。認知症も急速に進んだ。

もういよいよ救急搬送しかない状況に追い込まれ、私は半分泣きながら姉に電話し、母は、救急搬送先での入院を余儀なくされた。
病院は、完全看護と言いながら、介護の面は全く不十分だった為に、私は毎日病院に通い、病院の不足を補った。住宅リフォームどころではなくなった。
業者には、訳を話して計画を中断した。

その後、母は、一度は退院して自宅に戻ったが、体調悪化によりデイケアに行っても帰されたり、ショートステイも断られたり、認知症の進行により母がデイケアに行きたがらなくなったり、私が毎日一日中母の介護をするようになった。
私は、夜も母に付き添い、ほぼ寝る時間もなくなった。

母が一旦回復して自宅に戻った為に、姉は心配いらない状況になったと思ったらしく、姉に電話をしても状況を理解しなかったのか2週間たってもそのままだった。
いよいよ困り、再び半泣きで姉に電話した。母を私一人で隣の市の認知症専門病院に連れていくことは不可能だったのだ。

母はそのまま入院した。
私は、母が再び自宅に戻る日の為に、中断していたリフォームを再始動した。
相談相手も無く、全て一人で考え、調べ、交渉する。
それは大変ではあったけれど、その最中は、ただその事だけに集中すれば良かった。
哀しみも苦しみも置き去りにして。

業者を決め、リフォームの詳細を決め、渡されるカタログから部品や製品を選ぶ。日程を調整し、工事開始日と終了予定日を決める。
リフォームに関わる室内外の荷物の片付けと、庭木などの整理。テラス設置場所の庭木の撤去を業者が出来ないと言うので、年末、私が自分で撤去した。作業着と防寒着を着て、ノコギリで切ってスコップで根を撤去した。

リフォーム中は、極力、作業を見守り、時には簡単な手伝いもし、1日に2回のお茶とお菓子を出した。作業を見守った理由は、目を離した間に手抜き工事をされては困るからだ。正解だったと思う。
新築後十年ちょっとの住宅だったが、台所のリフォームでシンクを撤去したところ、間違って開けられた穴が、塞がれないまま残っていた。同じようなことがあっては困る。

私が片時も目を離さないとも言えるくらいだったので、工事担当者はやりにくかったかもしれないが、お茶やコーヒーやお菓子は存分に出し、親しく会話もし、大工さんや壁紙屋さんや左官屋さん達の技術は惚れ惚れするほど素晴らしく、私が感嘆の声をあげると、とても喜んでくれた。
だから、細かいところも注文することが出来、一生懸命に私の注文に応えてくれた。

毎日のリフォーム作業後、掃除はするけれど、室内は埃っぽく、私がもう少し年をとっていたら、見積もりや計画や荷物整理ももちろん大変だったけれど、埃にまみれた生活と、作業中の騒音に、きっと耐えられなかったと思う。今なら、もう耐えられない。

リフォームに当たっては、工事車両や騒音など隣近所に迷惑をかけるので、事前に挨拶に行ったが、
「お母さんの為にそこまでしなくても、あと何年かも分からないのに」と、心無い言葉も聞いた。
「私自身も、やがて年をとりますから」と答えた。
リフォームには大いに満足している。大変だったけれど、して良かった。
ただ、思うのだ。もう少し早く、母が介護状態になる前にしておけば良かったと。

浴室のリフォームは、当初は浴室暖房乾燥機能の物に取り替えるつもりだった。
ところが、介護するのにふさわしいものが無かった。
手すりは洗い場と浴槽の前で連続しておらず、手をいったん放して持ち替えなければならない。浴槽に入る為に一度腰かけた状態で足を入れられるようにしたかったが、台があっても、腰かける過重には対応していないという。湯船は、持ち手が2つから1つに減っていた。
わざわざリフォームする利点が何も無かった。
大工さんが教えてくれた。寒さ対策なら、二重窓にするのが一番だと。
うちの硝子窓は断熱ペアグラスだったので、浴室も当然そうだろうと思っていたら、浴室の窓ガラスは違うという。
私は、半信半疑な面もあったが、大工さんの進言に従って二重窓にした。他はそのまま。

嬉しい驚き!
浴室は、大工さんの言葉通り、段違いに暖かくなった。二重窓の間の空気の層が、外の冷たい北風から守ってくれた。二重窓の内窓を開けると、外側の窓は閉まっているのに、冷蔵庫のように冷たかった。
ああ、お母さんがいる間に、二重窓にしておけば……。

母は、退院後、病院の隣の介護老人保健施設に入り、何度か自宅に連れ帰ったけれど、とても私が一人で入浴介助できる状態ではなく、だから、温かくなった浴室を、母は知らない。

リフォーム後、冬に入浴するたびに、私の胸を小さく刺す棘。
お母さんを、この温かくなったお風呂に入れてあげたかった。

今日もへとへと2020/08/12

強い日差しの中で益々元気なハイビスカス・レッドスター
今日も猛暑でした。
昨日は久しぶりの外出で、墓参りもして疲れたので、寝る前に湯船にお湯を張って体をゆっくりと沈めたのに、なかなか寝付けず、朝も8時前には目が覚めてしまったぁ(T_T)
塩鮭を焼いて、味噌汁を作って、青空が広がっていたので洗濯をたくさんしました。

洗濯物を干した後、少しリビングで冷房で涼んだ後、東の窓から日差しが入らなくなった昼頃に、今日は海風があったのでエアコンを切って窓を全開に。けれど、視覚過敏のため窓からの拡散光が眩しくてリビングに居られなかったので、障子を半分閉めて薄暗くした西の和室入り口にバスタオルを敷いて横になったら、睡眠不足もあってか、暑いのに死んだように眠ってしまっていました。

目が覚めた後、水分補給をして冷凍室の蒸しパンを出して食べ、強い日差しで早くも乾いた洗濯物を取り込んでから、夕方には萎んでしまうハイビスカスの写真を撮ろうと、長袖のUVパーカーを着てフードを被って庭に出ると、写真を数枚撮っただけで汗がダラダラ。
TVのニュースで、都会の人達が猛暑の中で帽子も被らず日傘もささずにビルの谷間の歩道を歩いているのを見るけれど、よく平気でいられるなあと、いつも感心します。33度ちょっとでも熱中症になりそうなのに、38度なんて死んでしまいます。

夕食は焼きナスも焼いていたから和食を食べたかったけれど、強力粉とドライイースト菌とピザ用チーズが賞味期限を過ぎてしまっているので、早く使い切ろうと、ピザを作ることにしました。
夕方4時半にイースト菌を日なたで発酵させ、その間にウエットシートで床掃除をし、野菜の値段が高いので、青汁用ケール粉末を入れてピザ生地をこね、トマトケチャップと冷凍しているピザ用チーズと青ピーマン赤ピーマンを載せ、グリルで焼いている間に庭の花や野菜にホースで水をやり、汗がダラダラ流れるので顔を洗って水分補給をしてピザを食べ、その勢いのまま、4ヶ月ぶりくらいに1階と2階の和室に掃除機を掛けました。

2階の洗濯物取り入れ→イースト菌予備発酵→2階床掃除→水分補給&ピザ生地作りと発酵→1階床掃除→水分補給&ピザを作ってグリルで焼く→庭の水まき→水分補給&ピザ食べる→2階6畳和室に掃除機→水洗顔&水分補給→1階8畳和室4畳広縁に掃除機→水洗顔&水分補給。
私の場合、勢いでやらないと、途中で休んでしまったら、もう動けなくなってしまうので。服もタオルもびしょびしょで、へとへとに疲れました。

掃除機は、当時世界最軽量でハウスダストを感知すると赤いランプが点灯するパナソニックのもの。普通なら、ゆっくり何往復かすると赤いランプは消えるのに、長く掃除機をかけていなかったからか、なかなか赤いランプが消えず、でも、汗がダラダラと滴り落ちるので、あまり丁寧には掃除できなかったけれど、これで、リビングのフローリングの上も、2階6畳和室の畳の上も、気持ちよく横になれます。

今夜はペルセウス座流星群が見られるらしいけれど、うちの近所は防犯灯があちこち在って明るいので、残念ながら毎年殆ど見られません。
その上、最近は昼間晴れていても夜になると雲が薄く広がって月も見えないくらいで、今夜も、日中はあんなに青空だったのに、薄い雲が広がって、明るくて大きな星が2つ見えるだけ。しばらく前には、西之島の噴煙の影響でPM2.5の濃度が上がって濃霧注意報が出されたくらいなので、まだその影響があるのかも。
高校生の頃だったか、当時の自宅の庭からペルセウス座流星群を見たことがあって、十数個の流星を見たのを思い出します。

どこかの高原にでも誰かと出かけて、降るような流星群を見て見たいなあ。

残暑と外出と香港2020/08/11

市役所駐車場近くの公園にあった大木の木の実。ラクウショウ(楽羽松)?
連日の猛暑。
8月7日から立秋と言っても、現実には残暑厳しく、梅雨が長かった今年はまだ体が暑さに順応しきれていないから大変。
毎日たくさん汗をかいて暑熱馴化(しょねつじゅんか)はしているつもりだけれど、大学生の頃から私は暑さに弱いのです。

母の介護のためにリビングに置いたベッドがあるので、真夏の間は、寝る前にリビングに冷房を入れ、入浴後にそのままリビングのベッドで寝て、普通は朝9時頃には冷房を停止して、内部クリーン運転になって、家中の窓を開けて風を入れると、東からの海風で割と涼しく過ごせるのですが、今朝は、8時に目が覚めて温度を確認すると、
「お部屋の温度27度、外の温度37度です」
えっ、37度?
部屋に置いてある温度計では、実際の室温は28度ちょっと。外の温度は、エアコンの室外機を東向きに設置してあるので、朝から強い日差しが差し込む影響もあるのでしょうけれど、37度というのは初めて。空を見ると青空ではなく雲が広がっていて、温室効果も働いたのでしょうか。風も殆どありません。

今朝は燃えるゴミの収集日で、この季節はゴミを溜めると腐ったり虫が湧いたりするので、ゴミは少なかったけれど、外のバケツに抜いた雑草を入れてあるので、それと一緒に指定ゴミ袋に入れ、収集場所に持って行きましたが、冷房は、設定温度を28度にして点けたままにしておきました。
汗びっしょりでゴミ出しから帰宅後、顔を洗い、再度エアコンの温度を確認すると、
「お部屋の温度26度、外の温度34度です」
ヘンなの。設定温度は27度から28度に上げたのに。温度計を見ると、実際の室温は28度ちょっとなのに。

ほぼ無風で、試しに窓を開けると熱風が入るので、窓は締め切ってリビングの冷房を入れたまま過ごすことにしました。
マイナンバーカードとマイナポイント申請のために市役所に行くことと、お盆が近いので墓参りに行くこと、この2つの用事を、今日は済ませたいと思っていたのですが、暑くて体がだるくて眠くて、昼過ぎには気象情報で地域の最高気温が34.1度に。
冷房を切ると熱中症になりそうなので、設定温度を29度に上げてエアコン継続。室温は温度計でも29度になりましたが、他の部屋は窓を全て開け放していても33度くらいになっていたので、リビングに戻ると、29度でも涼しかったです。
とても出かけられそうにないと思ったのですが、夕方3時過ぎに、少し暑さが和らいだので、雲は無くなり日差しは強かったけれど、出かける事にしました。
エアコンは切って、水分補給用に梅酢入りの薄いスポーツドリンクを作って。

市役所までは3.3㎞。
マイナンバーカードは、以前に申請しようかと思った時、暗証番号を4つも設定しないといけなくて、覚えられないし、とても管理できないと思って断念したのですが、今日、市役所で訊いたら、確かに4つだけれど、3つは同じにすることを勧めているとのこと。そして、申請時にではなくて、約2ヶ月後にカードを取りに行った時でいいとのこと。
マイナポイントは、予算が決まっているので、先着順で受け取れないかもしれないとのこと。そのことはニュースで知っていたけれど、民間のキャンペーンならともかく、税金を使っての政府のキャンペーンで、申請期間内に申請するのに先着順といのはオカシイよね。

市役所の帰りに墓参りに行きました。駐車場が無い墓地で、路上駐車するしかなく、お盆に入ってしまうと墓地前の道路が一杯になってしまうので、いつもお盆の前に行きます。今日は車は1台しか停まっていなくて、他は徒歩や自転車の近所の人だけだったので助かりました。昼過ぎまで曇っていたおかげで、いつも夕方まで暑い墓地なのに、この時期としては暑くなくて助かりました。

本日の走行距離11㎞。久しぶりの外出。
こまめに水分補給をしたためか汗びっしょりで、帰宅後すぐに顔を洗い、洗眼液で目も洗い、うがいをして、着替えると、お肌はさらさらに。
あれっ、もしかしてサラサラ過ぎる?
市役所でも、墓地でも、汗がダラダラと止まらなかった。ちゃんと水分補給はしていたけれど、熱中症になりかけている?
ほんのり湿っているはずの脇の下も、案の定サラサラ。これはいけません。水分補給、水分補給。
水分補給ばかりで、食欲が出ないのが困ります。
お菓子もアイスもずうっと食べていませんよ。食べたいと思わないから。ご飯にキュウリや大根のぬか漬けが美味しい。

でも、現代の日本に生まれたことは幸せですね。
少なくとも、ブログやツイッターに政府を批判する内容を書いたって逮捕されたりしない。自由と民主主義のもと、政治運動や活動を行う権利も保証されている。
香港のこと、私には何も出来なくて辛いです。
周庭さんと民主活動家やメディア関係の方々が、一日も早く釈放され、香港国家安全維持法が撤回されますように。
世界各国で目立つようになった強権体制や独裁政権。これに異議を唱えることは、決して内政干渉ではない!!!

追記:
周庭(アグネス・チョウ)氏が11日深夜(日本時間12日未明)に保釈され、蘋果日報の創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏も近く保釈される見通しとのこと。ただ、保釈金(日本円でおよそ270万円余)を払っての一時的なもので、パスポートは没収され、今後も捜査は続くらしい。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/

そして父は竜になった2020/07/22

竜神様のジグソーパズル
最近、急に猛暑日が増え、昨日も今日も、農作業中の高齢者が熱中症で亡くなったニュースを見た。とても悲しく辛くなる。
昨日まで元気にしていた高齢者が、突然に熱中症で亡くなる。防ぎようは無かったのかと。

高齢者は、暑さ寒さを感じにくくなり、たとえ暑いと感じても、取るべき行動の判断が出来なかったりする。エアコンがあってもつけずに熱中症で亡くなるのは、暑いことが分からなかったり、暑いと思ってもエアコンを付けるという考えに至らなかったりする場合もある。高温の農業用ハウスや日中の畑で亡くなるのは、暑いと思わないか、思ったとしても「これくらいは大丈夫」と思ってしまうのかもしれない。
どうか、高齢者の家族や近所に住む方は、見守り、助けてあげて欲しい。
高齢者本人が、たとえ「大丈夫だ」と言ったとしても。

私の父も、熱中症で倒れたことがある。
たまたま実家に帰っていた日で、父はいつも夕食前の夕方に入浴していたのだが、浴室で声がして、駆け付けてみると、父は浴室と脱衣所の間で倒れていた。
その時、直ちには熱中症とは判断できなかった。頭を打っているかもしれないし、父は狭心症で手術して通院もしていたし、祖父は私が5歳の頃に脳出血により69歳で他界している。すぐに動かすのは危険だった。
裸の父にバスタオルを掛け、呼びかけると、返事はできた。頭は打っていないと答え、呂律が回らない等の症状はなく、強い頭痛や胸の痛みなども無いようだった。
父はかなりの長風呂だった。熱中症だと思った。
氷水を作り、飲ませた。頭の下にバスタオルを重ねて枕にし、脇の下と足の裏も冷たいタオルで冷やすと、父は気持ちがいいと言った。うちわで風を送りながら、しばらくはその場所で様子を見た。
居間に冷房を付け、父が自分で体を動かせるようになって、肩を貸して居間で休ませた。
父は大丈夫だった。たまたま私が居る時で本当に良かったと思った。

私は中学生以降、父から様々な仕打ちを受けた。実の娘であるのに、敵であるかのように。
私が教員になって15年程経った頃、精神的に追い込まれて心療内科に通って休職することになり、さらに、当時住んでいたアパートの前の住人にストーカー行為をしていた男が、住人が変わったのに私にストーカー行為をし、仕方なくアパートを引き払って一時的に実家に身を寄せることになった時でさえ、父は、私に容赦がなかった。
けれど、私は父を許した。
子供の頃からの辛く悲しかった記憶は1ミリも薄れはしなかったが、高齢の父を恨み続けても、気持ちが楽になるわけではない。

父は、初めてではないかと思うが、私にありがとうと言った。
「あんたが居てくれて良かった」と。

父は、その後、私に対して急に態度を軟化させる、ということは無かったが、何かしてあげると、「ありがとう」を繰り返すようになった。
母には、次は私がいつ実家に帰ってくるかと、しきりに聞いていたという。私は2週おきくらいには帰っていた。

そして、父は、その1年後くらいに狭心症で亡くなった。
私は死に目に会えなかった。
もし、あの時、父が熱中症で倒れた時のように実家に居たら、心肺蘇生法をやれたのに。近所の歯科医に、すぐにAED(自動体外式除細動器)を持ってきて、と叫ぶことができたのに。(私は何度も研修を受け、生徒にも教えていた)
病院で、もう動かない冷たくなった父に一人再会した時、私はベッドにすがって泣いた。
家族皆で「百歳まで生きるよね」と言うほどに元気そうで、急に死ぬなんて、心の準備が全くできていなかったから。

父は、内心はきっと私を愛さないわけではなかったと思う。ただ素直に表現できなかったのだろう。姉に対しては出来たことを、なぜ私に対しては出来なかったのか、それは永遠に分からない。
けれど、辰年生まれの父は、きっと竜神様になって、私を守ってくれている。

写真の竜神様のジグソーパズルは、家を新築した数年後に量販店で見つけ、父のために買ったものだ。
私は、両親の認知症予防に役立つだろうと、両親が60代の頃からジグソーパズルをプレゼントしていた。始めは小さくて比較的簡単なものから、次第に大きな物へ。両親が好きそうな、富士山や桜の風景など。
両親はすっかり夢中になって、寸暇を惜しんで二人で、あっという間に完成させるようになったが、竜神様のジグソーパズルを完成させた後、父は、パズルをするのに疲れるようになったから、もう買ってこなくていいと言った。

父が亡くなって母と二人で毎朝毎夕仏壇に線香を上げる時、毎日色々と父に話しかけた。
「お父さん、明日、野外研修で○○に行くんだけど、天気予報は雨でね、お父さん、何とか雨降らないようにお願いします」
当日、天気予報は変わらずに雨だったのだが、雨は全く降らなかった。
その後も、雨が降ると都合が悪い時に仏壇で父に話すと、天気予報が雨でも、必ず天気に恵まれた。
「お父さん、台風がこっちに向かってきてるから、蹴飛ばして守ってね」
私の住む地域は、毎年台風が直撃し、竜巻で大きな被害を受けたこともあるのだが、父が亡くなって以来、一度も直撃が無い。まっすぐこちらに向かっていた台風が、直前で急にコースを曲げて直撃を免れたことが何度もある。10年間、本当に一度も直撃を受けていない。

だから、私は信じているのだ。父は竜神様になったと。
竜神様と言うのが言い過ぎなら、そのお使い?

父が亡くなったこの家に、一人きりで住んでいても、きっと父が見守ってくれていると思うから、怖くはない。

お父さん、お母さんのことも見守ってね。
私はコロナで会いに行けないけれど、お父さんなら会いに行けるよね。

亡き父に線香を上げ認知症の母を想う2020/07/22

父への献花(造花)
今朝、仏壇に線香を上げていて、ふと思い出したことがある。

季節は今より少し前の、5月か6月の、父の月命日の頃だったと思う。

母には軽い認知症の症状は見られたが、認知症に対してやや知識のある私でなければ気付かない程度のものだった。

私はその頃、市の教育委員会からの依頼で、産休代替で高等学校の講師をしていた。父の月命日が近かったから、私の休日に車で墓参りに行く話をしていた。
父の墓は、車でも10分以上、自転車で20分ほどの場所だった。

仕事を終えて帰宅すると、疲れ果てた母が居た。
押し車を押して歩いて墓参りに行ったのだと言う。
母は、まだ腰は曲がっていなかったし、ちょうど一年前に手術した膝も痛がってはいなかった。
70歳直前まで愛用していた自転車は、引っ越しを機に、もう怖いからと処分していた。
「えー、車で一緒に行こうって言ってたのに」
「うん、そうだけど、影って暑くなかったし」
たぶん母は、休日の私の時間を潰したくないと思ったのだろう。高齢者らしい余計な遠慮をしたのだ。
「でも、歩いたら1時間以上かかったでしょう?」
「うん、かかった」
「押し車を押してあの距離を歩くなんて、疲れて当たり前よ。もう絶対に一人で行ったらだめよぉ」
「うん、もう行かん」
母は、さすがに堪えたらしかった。

普通の判断力があれば、山育ちや農家で日頃から足腰を鍛えているならともかく、散歩や週に2度のスイミング程度の運動しかしていない高齢者が、夏に押し車を押して歩ける距離ではないと分かるはずだった。それだけ、判断力が衰えていたのだ。
けれど、途中で倒れることもなく、往復3時間以上を、よくも自力で行って帰ってこられたものだと思った。
途中で苦しくなり、後悔したに違いない。けれど、ここまで来たら後少し、そう思って、引き返さずに墓地まで行ったのだろう。帰りのことまで考えられずに。行けば、同じ距離を帰らねばならないのだ。しかも、行きの行程と墓の掃除で疲れ果てた状態で。それを為し終えた母の精神力は脅威に値すると思う。
あるいは、初期とは言え認知症により後先が予見できないために、ただ夢中で歩くことができたのだろうか。

父が亡くなった当初は、母はしっかりしていたと思う。けれど、私が実家に引っ越してふた月ほどは、夜に一人で寝るのを怖がり、2階の和室で母と枕を並べて寝た。
私がまだ幼い頃、父が出張で数日家を空けると、母は決まって夜に金縛りになったと昔聞いた。母は、一人暮らしの経験が全く無く、口では父を嫌っていたが、精神的には父に依存していたと思う。

私が母の認知症の兆候に気付いたのは、引っ越しで持ち帰った自分の台所用品を、新築後5年ほどの実家の収納庫に片づけていた時の事だ。調味料や乾物や台所用品など、同じ物があちこちにあった。使用半ばで忘れられたままの物もあった。認知症が始まりかけていると思った。

決定的になった出来事は、ある日、私が近所のドラッグストアに買い物に行ってくると言ったときの事だった。ヘアクリームを買ってきて欲しいと母が言う。
しばらく前にも買っていたので、そんなに早く無くなるはずはないと思い、浴室脱衣場の洗面台を確認してみた。私自身は、2階にある洗面台を使っていたので、浴室脱衣場の洗面台は殆ど使わず、その物入れを開けてみることはあまりなかった。
ヘアクリームは、確かにもう量が少なくなっていたが、ピンク色のヘアスプレーがあった。女性用の、髪形を柔らかいカールに整えるヘアスプレーだ。
てっきり、母が自分のために購入して忘れているのだと思った。
「お母さん、このヘアスプレーは?」
「それは、お父さんに買うてきたとよ」
「これ、女性用だよ?」
「でも、お父さん、毎朝使いよったよ」
私はそれ以上聞き返すことが出来なかった。
ピンクのヘアスプレーを元の場所に仕舞いながら、私は涙をこらえることが出来なかった。

母も以前は、ちゃんと男性用のヘアスプレーを父に買っていた。

父には、亡くなる5,6年年前から既に軽い認知症の症状があった。以前の家では柑橘系の果樹を何本も栽培して沢山の実を成らせていたのに、新築した家の裏庭の砂利の中に甘夏の苗木を植え、肥料も腐葉土も施さず、そのままだった。右と左が分からなくなり、車の運転中に、右よ、と言っても左に曲がったという。死ぬまで、お金には細かかったが。

母も、周囲も本人も自覚しなくても、既に父が居た頃から認知症が始まっていたのだ。だから、父に、若い女性用のピンク色のヘアスプレーを買ってきた。
そして、父は、それが若い女性用とも分からずに、毎朝ピンク色の女性用ヘアスプレーを使ってシルバーグレイの髪を整えていたのだ。女性用だと気付いたなら、短気な父が、「こんな物が使えるか!」と母を叱責しないわけは無かったから。
父は、若い頃からハンサムでオシャレで、高齢になってもダンディだった。毎朝、鏡の前に長い時間立ち、足腰が弱ってからは椅子に腰かけて、身だしなみを整えるのに余念がなかった。

そんな父と母の様子が目に浮かび、涙を堪えきれなかった。

父に疎まれていたとは言え、私がもっと早く気付いてあげたかった。
そうすれば、ちゃんと男性用化粧品を買ってあげられたのに。

私は、涙を拭き、それ以上は母に何も言わずに、新しいヘアクリームを買った。
もう9年も前の事だ。

今月の父の月命日は過ぎたが、もうしばらくするとお盆が来る。
コロナ感染再拡大で、一時期解除されたグループホームの面会も、再び禁止になった。

土用の丑の日2020/07/21

陽光に映えるハイビスカス
今日は土用の丑の日らしい。
母が比較的元気だった頃には、私も「鰻の蒲焼」を買って母と一緒に食べていた。

鰻と言えば、小学2年生くらいの頃の思い出がある。
「となりのトトロ」と同じ「ととろ」という地域の川の近くに父の会社の同僚がいて、釣りに2回連れて行ってもらったことがあった。
枝を落とした竹の釣り竿で、私は初めて釣りをした。と言うか、その2回しか釣りをしたことないけれど。
私は針にミミズやゴカイを付けることが出来なくて、父の同僚の助けを借りながら釣りをした。私を含め、釣れたのはフナやハゼ、エビばかりだったのだが、母が、2回とも鰻を1匹釣った。
50年も昔のことだし、母の料理のレパートリーは少なく、釣れた魚は全部、砂糖と醤油で甘辛く煮付けて家族で食べた。「鰻は本当は蒲焼にすると美味しいんだけどね」と母が言ったのを覚えている。当時は、蒲焼といったら、竹輪の蒲焼しか食べたことが無かったし、土用の丑の日とか全然知らなかった。
貧しい時代だった。電話も無かったし。

私が初めて鰻の蒲焼を食べたのはいつだっただろう。鰻重と言うものを初めて食べたのは、私が県の教員採用試験に合格し、初任校が天然鰻で有名な地域だったので、鰻専門店に案内されて食べた27歳の時が初めてだったと思う。そして、土用の丑の日に蒲焼を食べたのは、多分15年くらい前が初めて。
両親は「蒸してあるから柔らかいです」と表示されている市販の鰻の蒲焼が気に入らなかった。市販されているのはほぼ関東風で、私も、鰻の蒲焼は関西風じゃないと!と思う。

母の要介護度が上がってからは、鰻の蒲焼は食べていない。度々嘔吐下痢をしていたから、食事は、柔らかくて消化の良いあっさりして飲み込みやすい物に限られるようになったから。それ以来、私も食べていない。

そもそも、土用の丑の日に鰻の蒲焼を食べる習慣は、土用の頃には暑さで食欲が落ち、売り上げが落ちて困った鰻屋が平賀源内に相談した事に始まっていて、暑さで体力が落ちるこの時期に栄養豊富な鰻を食べることは理にかなっているというが、別に鰻に限らず、栄養豊富なら良くて、実は鶏胸肉が一番良いらしい。

鶏胸肉は栄養価が高いだけではなく、抗酸化作用が高く疲労回復や夏バテにも効果のあるイミダペプチドが豊富に含まれ、しかも比較的安価。その効果がTVで宣伝されるようになってから、値段は4倍くらいに高くはなったけれど、それでも他の部位よりは安価だ。
私はまとめ買いして冷凍し、必要に応じて電子レンジで蒸し鶏にして食べる。

今日はどうしようかな。
限りなく猛暑日に近い真夏日が続き、コロナ禍もあってほぼ外出しないし、一人では何を作って食べても、あんまり美味しくは感じないし。
それに、長雨で野菜が例年の3倍くらいの値段。私の経済観念ではなかなか手が出せない。
裏庭に自分で開墾したミニ農園が無ければ、野菜不足になるかも。

病気になって病院に行くのは面倒だし、まだコロナ感染が不安だし、看病してくれる人もいないから、一応栄養はしっかり摂取しなければ。
1パック食べれば1回の食事OKなサプリ食品ないかなぁ。
サプリメントじゃなくて、食品。
現在市販されている栄養補助食品は、補助的に食べるにはいいけれど、毎日そればかり食べていると、糖質過多で健康を害するらしい。低カロリーにするために果糖が入っているのも気に入らない。皮膚の糖化の原因になるらしいから。

仕方ない、夕飯の支度をしよう。
焼いた鯖と鮭の切り身が冷蔵庫に残っているから、それに大根おろし添えようっと。

冷やし中華…じゃなくてPINはじめました!2020/06/13

麺半量、鶏胸肉と野菜マシマシマシ冷やし中華と、手作りブルーベリーアイス、ルイボスティー
梅雨になり、毎日暑い日が続いています。

昔、私が子供だった頃は、梅雨の季節は、じめじめはしても、まだそんなに暑くはありませんでした。
「梅雨寒」という言葉もあるほど、一時的に寒い日が続いたりして、毛布を引っ張り出して、くるまってテレビを見たりもしたものですが、地球温暖化のせいか、6月上旬なのに真夏の暑さです。

コロナ禍で外出を控え、蒸し暑さも加わって食欲も落ち、体力・気力ともに下がり気味。新型コロナウイルスに加え、ちまたでは、コロナ禍に乗じた悪い人も出現しているようで……。
ウイルス対策とセキュリティ対策、大事ですよね。
そこで、

冷やし中華…じゃなくてPINはじめました!

ウィンドウズアップデートしてから、チラチラ気になっていたPIN認証。
でも、迷っていました。26年ほど前、ちょっとパソコンに詳しかったので、調子に乗ってカスタマイズしすぎて、起動しなくなるという大失敗をしたため、むやみに必要以上の操作はすまいと思っているからです。
パソコンが起動しなくなったとき、私の頭もブラックアウトしましたが、起動ディスクから立ち上げての再インストールという、気の遠くなる作業を経て、何とか明け方までには復活し、冷や汗をぬぐいました。

話がそれました。

PIN、おススメです。速くて安全、もちろん無料。
安い、速い、旨いの三拍子そろった冷やし中華なみです。
もし迷っている方がいらっしゃれば、ネットで「PIN」で検索すれば、利点や安全性について説明されているので、読んでみてください。
「もはやパスワードは古い」とまで書かれていて、なるほど、と思うかどうかはお任せします。

冷やし中華、ちなみに私は、麺は一人分の半量にして、蒸した鶏胸肉と野菜をマシマシマシにします。写真は、以前にインスタントラーメンの麺で作ったもので、今日食べたわけではありません。悪しからず。