口腔ケアとインフルエンザ予防接種2020/10/08

しばらくブログを書けませんでした。
パソコンも数回しか開けませんでした。
9月30日にとても不安なことがあり、10月5日にも心配な事がありました。
どちらも母の介護に関することです。

話し相手もなくコロナ禍で他人と顔を合わせることも殆ど無い私は、不安と心配から負のスパイラルに陥って、どんどん深みにはまって、食欲も無くなり、食事を作って食べても、味覚はあるのに何を食べても味がしないような感じで、死なない程度に食べていました。
生きていても甲斐の無い毎日で、この先も何も変わらないだろうし、生きていたいとは思わないのだけれど、前にも書いたように、母の介護の責任もあるし、生前整理もまだ出来ないし、今はまだ生きていくしかないから。

9月30日は、母がお世話になっているグループホームで口腔ケアをお願いしているクリニックからの電話でしたが、活舌が悪くてサシスセソが聞き取れず、おまけに電話の向こうの背後で大声で喋ったり笑ったりしていて、何度も聞き返さなければなりませんでした。

母がグループホームに入所した時の、クリニックの契約書の内容に変更があるので署名捺印し直してほしいとのこと。
「今からご自宅に行きたいのですがいらっしゃいますか?」
そう聞かれたので
「後で買い物に行きたいと思っていますが、まだ暫くは家に居ます」
と答えたら
「うちのクリニックの場所は分かりますか?」
え?来てくれるんじゃなかったの?と思ったけれど、クリニックに行った事がないので分からないと答えると、道順を説明されました。
?????
まあいいや、コロナ禍だし、自宅に入れるより、私が行ったほうがコロナ対策出来る、と思って、夕方行くと伝えました。
睡眠時間的には足りているはずなのに、眠くて眠くて、車を運転できる状態ではなかったからです、

ボールペンと印鑑と朱肉をポーチに入れて準備し、ソファで少し寝てからクリニックに行ったのですが、行ってみたらビックリでした。
出て来た担当者はマスクをしておらず、手指の消毒も置かれていませんでした。
十数名が仕事をしている机に案内され、書類を広げて椅子を勧められました。おそらくは、その担当者の座席です。
「椅子はいりません。立ったままで大丈夫です」と答えました。
「書きにくくないですか?」
「いえ、慣れていますから」
それじゃあ、と、出入り口のカウンターに案内されて、そこで説明を始めたので、
「すみませんが、マスクを付けて貰えませんか?」とお願いしました。もちろん私はマスクしてましたよ。
「ああ、すみません。このままで仕事してたので、つい忘れてました」
え? いつもマスクせずに仕事してるの? 三密じゃないの? 迂闊すぎるでしょう。
さらに驚きは続きます。
母がグループホームに入ったのは昨年の10月半ば過ぎだったのですが、新しくなったという契約書は、既に昨年10月1日から使用されていた物だったのです。
「つまり、契約書の内容が変更されたのは、最近になってではなくて、私が契約書を書いた時から、間違って古い物を渡されていたということですか?」
「ドクターが変わったものですから、引継ぎが上手くいってなくて。日付も違っているので直して下さい」
え?????と思いました。
「これ私の字じゃないですよ。署名捺印だけして、日付はクリニックさんの方で後で記入すると言われたから、私は書いてないですよ」
「そうですか。令和2年10月30日になっているので令和1年に書き変えて下さい」
「これ、ホントに私の字じゃないですから」
私は不信感を抱かずにいられませんでした。
つまり、古い契約書に署名捺印させた上に、その事に気付かず、おそらくは年が明けて令和2年になってから日付を記入したから間違ったのだと思われるし、書類が古い形式であることにも1年近く気付いていなかった?!

持参したボールペンと印鑑と朱肉で署名捺印し、日付も令和1年で書いて、気を取り直して、母の口腔ケアについて最近の様子を聞きました。
「月に4回ほど行っていますが、しばらくはコロナで入室出来なかったので口腔ケアも中断していましたが、また再開して、中断していたわりには悪化も無くて良い状態です。泡が立つのがダメなので、泡の立たないジェルの歯ブラシに変えてます」
ん?ジェルの歯ブラシ?
「ジェルの歯ブラシじゃなくて、歯磨きでは?」
「あ、そうです。歯磨きです」
歯磨きの事なら、11か月前の入所後すぐにホームから了承を求められたから以前から知っていました。
「ドクターは、どのくらいの頻度で診て下さっているのですか?」
「月に1度は診ています。私がだいたい週4回で、ドクターもそのうち1回は同伴してますから」
あれっ?前の話と合わない。週4のうち1回はドクターが同伴してたら、ドクターは週1の月4になる。
「週4回ケアしてくださってるんですか? 月に4回ですよね?」
「ああ、そうです。週に2回の時もありますけど」
「ドクターは月に1回なんですね?」
「だいたいそうです」
気を取り直して、母の事をお願いしました。
「私が自宅で介護していた頃は、定期的に近所の歯科でケアしてもらっていたんです。でも、介護老人保健施設に入ってからはそれが出来なくなって、使っていた入れ歯も下の入れ歯が傷んで使えなくなって、施設では上の入れ歯だけ使っていて、上の入れ歯だけでは噛めないから使わないほうがいいって伝えたんですけど、施設ではずっと上の入れ歯だけ入れていたんです。認知症が進んで入れ歯を入れていることが分からなくなったりしていて、自宅に一時帰宅させた時にやっと上の入れ歯を外したら、食べかすが上あごに一杯付いていて、それ以来、もう入れ歯は施設に持たせずに、上だけの入れ歯は意味が無いし不衛生になるから、使わないで下さいって伝えて、本当はきちんと上下の入れ歯を入れてきちんと噛めたほうが認知症にも良いと思うんですが、認知症が進行して新しい入れ歯は作れなかったので、こちらのクリニックでは認知症のケアに慣れていて入れ歯も作れると聞いたので、今すぐには無理でも、どうぞその方向で宜しくお願いします」
「そうですか。普段は話を聞く機会もないので、色々聞けて良かったです。ドクターに伝えておきますね」
「契約時にお話ししてありますので、多分御存知と思いますが、意向は契約時と変わっていませんので、もし入れ歯を作れる状態に好転しましたら、どうぞ宜しくお願いします」

その後、クリニックの近くで買い物をさっと済ませてから帰宅して、ありあわせの食べ物でさっと夕食を準備して食べたけれど、クタクタになったし、色々な面で不安ばかりが残りました。
あんなに間違いだらけで大丈夫なの?
どこのクリニックもあんなものなの?
私が細かすぎるの?

それから10月5日です。
グループホームからの電話。
先月9日に、母の要介護認定更新書類に署名捺印するために来て欲しいと連絡があり、その時に、インフルエンザ予防接種について尋ねました。
ホームからは、今年の事はまだ分からないとの回答でしたが、母は毎年10月初めに予防接種していたし、今年は新型コロナウイルスのこともあって高齢者は10月1日から、それ以外の人は10月26日以降の接種が政府からも呼び掛けられているので、とても気になったからです。
22日に書類に署名捺印しに行った時に、今年の予診票はまだ無いとのことで、昨年の物と様式は同じはずだからと言われて記名したのですが、10月5日の電話は、インフルエンザ予防接種の日程が11月8日になったという報告でした。
「まだ1か月以上も先なんですか?」
理由の一つとして予診票がまだ届いていないと言うので、私は自分で市役所に問い合わせをしようと電話帳で調べるまでしていたのですが、電話をする前に、不在だった施設長から電話がありました。予診票は先ほど届いて、予防接種を担当してくれる病院から提示された日程が11月8日だったと。
「それでは、11月8日を提示された時に、もう少し早い日程は取れないのかという確認はされていないという事ですか?」
「はい、していません」
そうか、11月8日を遅いとは思って貰えなかったのだなと、私は残念に思いました。
リスクの高い高齢者が集団生活をする施設だから、1日でも2日でも早く予防接種をする必要があると思うのに。
それから色々なやり取りがあり、結局、日程は11月8日で変えられないとのことでした。
「色々失礼な事を申し上げたと思うのですが、市内の高齢者施設でもコロナのクラスターが発生しているし、インフルエンザ予防接種を受ける前に一人でもインフルエンザに罹ってしまったらと心配するあまりの事なので、どうかご容赦ください」
「いえいえ、施設のクラスターもあったし、ドクターの感染もありましたからね」

実は、入所の際の契約書に署名捺印する際にも、私は細かい部分を指摘し、この契約内容では署名捺印できないと伝えたことがあったのです。
膨大な量の契約書の文面をきちんと細部まで読む人は少ないかもしれません。私は隅々まで読んで、不明な点は質問しました。
私が問題視したのは、「心肺停止状態になった時の対応について、延命治療を希望するかしないかの選択肢を選ぶようになっていた箇所です。
「心肺停止といっても状況は色々ありますよね。回復の見込みが無いのに機械に繋いで悪戯に延命するのは本人に辛い思いをさせるだけだと思うので、私も望みませんが、例えばAEDで蘇生が可能なら、迷わず使って欲しいです。この選択肢には選べるものがありません。それに、延命治療をするかしないかを契約書で誓約するのはおかしくないですか? この選択肢から今選んで〇を付けなければいけないなら、私は契約書に署名捺印できません」
「すみません。言われてみればそうですね。今まで気にしたことが無かったです」
実際はもっと細かい会話があって、記憶が消えない私は今も勿論覚えていますが、長くなるし、インフルエンザ予防接種とは関係ないのでこれくらいにしておきますが、要するに私は、多くの人達がスルーするであろう事をスルー出来ないのですよ。

私って重箱の隅をつつく嫌な性格って思われている?
細かすぎる性格で嫌われる?
けれど、決して難癖をつけたいわけではなく、疑問があるから聞き、変だと思うから指摘する、特に契約書なんて重要なものは斜め読みして簡単に署名捺印してはいけない。
隣近所との日常会話なら、ん?と思ってもスルーするけれど、母の介護に関することだから、「ヤな性格」と思われたとしても、細かい情報も見落としてはいけないと思うし、正しく受け取りたいし、思いはきちんと伝えたい、そう思うのです。

そばで見ていることが出来ないから、不安や心配は尽きず、そのことを誰かに話して、「そんな事があったんだ。大変だったね、心配だね」そんな言葉でも返して貰えたら、少しは心が軽くなれると思うのだけれど。

インフルエンザは本当に心配です。もし罹ってしまったら、新型コロナウイルスの症状と見分けが難しいというし、今までは早めの予防接種で罹らなかったのだけれど、どうかホーム内でインフルエンザもコロナもありませんように。
神様どうかお願いします。

追1:
グループホーム入所時の契約書は、一番近い選択肢に〇を付けて但し書きを付け加え、署名捺印しましたよ。

追2:
文面では、私がいかにも滑らかに質問したり答えたり説明したりしたように受け取られそうですが、すべて、震える声で精一杯に話してました。教員をしていた頃から、会議で司会をしたり質問したり自分で作った資料を説明したりする時は、声が震えるのを必死で堪えながらでした。高機能自閉症と診断されて、そのせいだったのかと納得しました。授業とか生徒と話す時とかは震えなかったんですけれどね。

台風とコロナとGo To キャンペーン2020/10/10

台風14号、九州は無事だったけれど、三重県や和歌山県、三宅島、伊豆諸島などが心配です。昨年大きな被害のあった千葉県は大丈夫でしょうか。

一昨日、実はもう1つ書きたい記事があり、脳内では書き上げていたのですが、「口腔ケアとインフルエンザ予防接種」を先に書いていたら深夜になってしまい、昨日も、パソコンを開いた後にメールチェックして返信したりしていたら眠さに負けて書けなかったので、もう書かなくてもいいかな?と思ったのですが、やっぱり今日書くことにしました。

千葉県鋸南町の昨年の台風15号の被害で、屋根や壁を直すことも出来ずにブルーシートのままの家が沢山あることです。千葉県や政府は、どうして手を差し伸べないのでしょうか。

ブルーシートを張ってロープで縛って土嚢の重しをしたって、台風の暴風雨にはひとたまりもありません。1年経っても修理できず、台風14号がまた向かっているというのに、住んでいる方はどんなにか心細く怖く不安なことでしょうか。
おそらくは、修理できないまま1年経つうちに、1年前よりもっと深刻になっているはずです。家の状態も、お住まいの方の精神状態も。
もし私の家の屋根が1年もブルーシートのままだったら、私は気が狂いそうになると思います。

依頼しても修理がなかなか出来なかった理由の一つは、東京オリンピックの為に資材や人材が不足したこともあったらしいです。
そして新型コロナウイルスにより人の移動が制限され、ますます修理が難しくなりました。

新型コロナウイルスによる移動制限は解除され、Go ToトラベルやGo Toイートも始まっています。経済が低迷し、特に打撃の大きかった観光産業や飲食業などの活性化には、一定の効果もあるでしょう。
けれど、運用の仕方があまりにもお粗末で、本当に困っている事業者には恩恵が少なく、接触確認アプリCOCOAを利用条件に入れないものだからCOCOAのインストール割合は低いまま。
Go Toキャンペーン利用に接触確認アプリCOCOAのインストールを必須条件にしないのは、そうするとGo To利用者が減ると思っているのでしょうか。

Go ToイートについてTVで報道された時、私は疑問だったのですよ。
「昼食の予約で500ポイント、夕食の予約で1000ポイントって、食事の値段は関係ないの?」って。
私は外食しないので、それ以上追及はしなかったのだけれど、案の定、夕食の予約をして100円のソフトクリームだけ食べて1000ポイントをせしめるなどの荒業を、平気でやる人達が続出したらしい。
Go Toイートを企画運営している方々は有能な方々でしょうに、そんな事態を予見できなかったのでしょうか。庶民感覚なさすぎて、思い付きもしなかったでしょうか。
Go ToトラベルもGo Toイートも、小規模なところにもちゃんと恩恵が行き渡るやり方を考えるべきです。私にはアイデアが無いではないけれど、ここに書いても意味が無いし、説明が長くなるし。

低迷する経済を立て直すことは重要だし、倒産や失業を少しでも食い止めるには色々なアイデアを実行する必要があるでしょう。
試行錯誤する中では、必ずしも成功するものばかりでないのは仕方ないかもしれません。
けれど、今現在本当に困っている人が誰なのかも、ちゃんと考える必要がある!

壊れた家に1年も住み続けざるを得ない方々を、どうか思いやって欲しい。
移動制限が解除されGo Toも始まっているのだから、他県からでも資材や人材の移動は可能になったはず。
政府と千葉県が協力すれば出来るはず。
だから、残念ながら今回の台風14号には間に合わなかったけれど、ブルーシートのまま取り残されている家の1日も早い修理を、どうか真剣に考えて欲しいと思うのです。

非正規雇用の格差是正を!2020/10/13

非正規社員に対する退職金やボーナスの支給が最高裁判決で認められず、逆転敗訴した二つの訴訟。
私も怒りを禁じえない。
というか、はらわたが煮えくり返る思いだ。

落胆「不公平感募る」=「最低裁だ」憤る原告―非正規訴訟で逆転敗訴
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E8%90%BD%E8%83%86-%E4%B8%8D%E5%85%AC%E5%B9%B3%E6%84%9F%E5%8B%9F%E3%82%8B-%E6%9C%80%E4%BD%8E%E8%A3%81%E3%81%A0-%E6%86%A4%E3%82%8B%E5%8E%9F%E5%91%8A-%E9%9D%9E%E6%AD%A3%E8%A6%8F%E8%A8%B4%E8%A8%9F%E3%81%A7%E9%80%86%E8%BB%A2%E6%95%97%E8%A8%B4/ar-BB19YmKC?ocid=msedgntp

大阪医科大学の研究室で秘書のアルバイトをしていた50代の女性の訴えに対して、
判決で、最高裁判所第三小法廷の宮崎裕子裁判長は、
「大学では、正規の職員は業務内容の難易度が高く、人材の育成や活用のために人事異動も行われ、正職員としての職務を遂行できる人材を確保する目的でボーナスが支給されている。一方、アルバイトの業務内容は易しいとうかがわれる」と指摘し、
「(アルバイトに)ボーナスが支給されないことは不合理な格差とまではいえない」と判断したという。

また、東京メトロの子会社「メトロコマース」の契約社員らの訴えに対しては、
最高裁判所第三小法廷の林景一裁判長は、
「退職金は労務の対価の後払いや、続けて勤務したことに対する功労の性質もある。正社員は複数の売店を統括し、サポートやトラブル処理などに従事することがあるが、契約社員は売店業務に専従し、一定の違いがあったことは否定できず、配置転換も命じられない」と指摘し、
退職金を支給しないことは不合理な格差に当たらないとする判断を示したという。

今回の裁判では、裁判長があまりにもアルバイトや契約社員を見下しているし、アルバイトや契約社員の仕事は簡単な仕事と決めつけているし、アルバイトや契約社員の業務は功労に値しないと言っているも同然だ。
不愉快極まりない。

アルバイトも契約社員も、生活がかかっているから必死に頑張っている。正社員に比べて、いつ解雇されるか分からない不安定な立場だから、手抜きなんか出来ない。納得できない事があっても、契約を更新して貰えなくなるかもしれないと思えば、我慢しなければならない。
それに、現場に出ればアルバイトも契約社員も関係なくなってしまうし、立場が弱い方が多くの仕事を振られてしまうのは世の常だ。
売店などでは、正社員とか契約社員とかお客さんはいちいち考えない。
「私は契約社員だから分かりません、できません」などと言うわけにはいかない。
私は教員以外にも様々な仕事を経験し、嫌な思いも沢山しているから身に染みて分かる。

それに、何より重要なのは、正規の採用枠が少ない為に、仕方なくアルバイトや契約社員として勤めざるを得ないという事実を全く無視している点だと私は思う。
能力が低いからアルバイトや契約社員に甘んじているわけではないのだ。正社員のほうが年齢が若く経験も少なくて仕事ができないという場合だってある。今回の場合だって、両ケースともに、アルバイトや契約社員とは言え経験が長かった。
給与が安い事やボーナスや手当てが無い事に納得してアルバイトや契約社員を自ら選択したわけではなく、多くの非正規労働者は、他に道が無かったから、仕方なく非正規労働者となったのだ。

なぜ現在のように非正規雇用が拡大したかと言うと、私の記憶では、小泉純一郎元総理の規制緩和改革から始まっている。
当時は小泉元総理は大変な人気で写真集まで出され、私の同僚も購入していた。
私は、非正規雇用を拡大させる小泉元総理の改革に当初から大反対だったので、なぜ世間の小母様方が写真集まで買って熱狂するのか不思議でならなかった。
規制緩和と言うと聞こえは良いが、要するに、企業が安い労働力を手軽に使い捨てられるようにしたのだ。国際競争力を高めて日本の企業が勝ち抜くために、良質で安価な労働力が必要だったのだ。
物は言いようで、正社員に採用されない人が非正規であれば雇用されやすくなるとも言えるだろうけれど、雇用条件に格差があり過ぎるのだから、残念ながら、労働者の為の改革とは言えない。
そして今や労働者の4分の1は非正規といわれ、格差は広がるばかりだ。
かつては1億総中流社会と言われた日本だが、もう何処にもその面影はないように思える。

「同一労働、同一賃金」などと言われても、哀しいかな、そう簡単に労働者が平等に扱われることはない。
年功序列だし、上司に部下は物が言えないし、今や正社員でも昔ほど安泰とは言えない時代ではあるが、それでも、非正規労働者は圧倒的に立場が弱いのだ。
コロナ禍でも、多くの非正規労働者が派遣切りされているというし。

政治家や高学歴の学者や大企業の取締役や、そんな著名人たちだけが社会に貢献しているのではない。
高名な建築家による構造物も、多くの現場労働者たちが居なければ作ることが出来ない。
政治家は、政策を作って社会を動かしているのは自分たちだと思っているかもしれないが、実際に社会を支えているのは、名も知れず低賃金で働いている人達なのだ。
ある意味では、低賃金で地味な仕事をしている非正規労働者こそが、最も社会に貢献しているとも言えると思う。

司法は、弱い立場の非正規労働者の味方であって欲しい。

私は、日本から非正規雇用を無くしてほしいと思う。正規も非正規も無く、労働者として同等の権利を享受できる社会になって欲しい。



以下、蛇足ながら私の体験。

※ 私が大学1年の頃、山〇海苔のメーカーからデパートのお歳暮コーナーでのアルバイトを依頼された。山〇海苔については、メーカーさんより説明と指示があり、私は一生懸命に接客したのだが、昼直前、突然つかつかと現れた黒い背広姿でフロア部長のバッジを胸に付けた男性店員が、私に〇本〇海苔コーナーに関して文句を言うので、「私は山〇海苔のメーカーのアルバイトなので、〇本〇海苔のコーナーに関しては分かりません」と答えると、
「たとえそうでも、同じ売り場に立つ以上、違うメーカーの事は関係無いで通ると思うのか!!」
怒りに任せて怒鳴られた。
私は悪くない。学生アルバイトの身で、立場以上の、他のメーカーの売り場に首を突っ込む方が間違っている。〇本〇海苔の売り場に気に入らない事があるなら、〇本〇海苔の担当者に言えばいいのだ。隣の売り場に居ただけで責任を押し付けられるなんて、あまりにもひど過ぎる。事情を知らないお客さんに言われたなら、仕方ないと我慢も出来るが、相手は事情も知るはずのフロア部長。
周りにいたデパート店員も、私を気の毒そうに見るだけで誰も助けてはくれなかった。フロア部長は、私に怒鳴ると、さっさと立ち去った。
私は、あまりの理不尽さに、昼食時間、従業員用のトイレで一人わあわあ泣いた。泣くしか出来なかった。泣いていると、山〇海苔のメーカーさんが、ドアの外から「大丈夫? 話は聞いたよ。泣きたいだけ泣いていいよ」と声を掛けてくれた。
「大丈夫です」と答えるしかない。
あの時のフロア部長は、もしかしたら、私がアルバイトだと知っていて怒りをぶつけたのかもしれない。デパートの制服ではないエプロン姿で、一番年若く、一番が弱い立場であることは、一目で分かったはずなのだから。
後から、他の店員に聞いた。災難だったね、あのフロア部長は、日頃からああいう態度なのだと。

※ 私が大学4年時の採用試験は超狭き門でクラスから誰も合格できず、私は某有名私立大学付属高等学校で週にわずか12時間の非常勤講師をしたのだが、交通手当も住居手当も無く、行事や祝日で授業が無くなればその分の時給は支給されず、夏休み中は給与ゼロで、会議や行事は給与は出なくても勉強のために出席せよと言われるし、採用試験当日の課外授業を命じられるし、新年度の契約更新については2月になっても3月になっても何も言われず、どれだけ理不尽な思いをしたか分からない。

※ 他県で別の私立高等学校に採用されるも、理事長の横暴やその言いなりになった管理職、明らかにおかしい事がシステム化され、異議を唱えると、管理職に洗脳されたかのような同僚に窘められ、生徒が問題を起こせば夜中でも電話でたたき起こされ、ノイローゼ寸前に。

※ 県の採用試験に合格し、初任者とはみなされずに最初から担任を命じられるも、私よりも年齢も経験年数も上な同僚が、量的にも質的にも仕事をしておらず、暇にしていることに不公平感を抱かずにいられなかった。

※ 職員会議で決定したことが、校長によって覆されることがどの学校でも度々あり、皆で異議を唱えると、校長曰く
「学校における最高(終)決定機関は、職員会議ではなく校長である」
一番民主的であるはずの学校は、実に封建的な縦社会だった。

※ 私が校長と共に他県で行われる研究会に出席する際、校長は旅行命令書から何から全ての手配を私に任せた。任せたというと聞こえが良いが、自分は何もせずに私にさせたという事。そして私は、事務部で記入された出張手当の金額を見て、理不尽で不愉快な事実を知った。実際に研究発表をするのは私であり、同じ交通機関で同じ会場に行き、そこで準備される同じ弁当を食べ、同じホテルに宿泊し、自己負担額は同じなのに、管理職というだけで、日当どころか交通手当も宿泊手当ても昼食手当ても2倍近く高い金額が記入されていた。校長が自分の出張手続きくらい自分ですれば、私は理不尽な事実を知って不愉快になることもなかったのに。

※ 当時はパワハラやモラハラという言葉は無かったが、私は当時の校長にパワハラやモラハラを受け、過重労働で心身ともに限界となって、年末の希望届けで退職を願い出たが、翌年に私に頼む予定の仕事を頼む人が居ないからと聞き入れられず、翌年は死に物狂いで一人七役ほどの仕事をこなし、今年こそはと退職を申し出るも、再び慰留され、「あと1年と言う約束でした」と伝えて退職したのだが、それほどの仕事ぶりであったのに、暇を持て余したような定時帰宅の年上教諭でも、給与は年功序列だったことは、本当に割に合わないと感じた。

※ パワハラ、モラハラ、過重労働で一度は半年間の休職をしたほどに心身ともに限界であったのだが、退職前の私の年収は800万円ほどあった。ところが、その後に別の高等学校に請われて講師をすると、講師の立場ゆえ運営委員会に出席できない以外は全て他の正規教諭と同じかそれ以上の仕事をしても、年収は150万円以下に。これから採用試験を目指す若い年齢なら、経験も知識も不十分で仕方ないと思うが、一度退職したというだけで、それまでのキャリアも雀の涙ほどしか考慮されず、発言権も何もない虚しさ。

私は、母の介護のために、慰留された欠員補充の講師の仕事も断って、それ以降、現在も無職だ。講師の仕事を引き受けなかった第1の理由は母の介護だが、講師という立場では長いキャリアも高いスキルも少ししか生かせず、給与は全く労働に見合わず、会議に参加できないために決められた事に黙って従うしかなかったことも、かなり関係している。
運営委員会に出席できない以外は同じ仕事をしているのに、講師だというだけで年収は教諭の5分の1以下にしかならないことを知っていたから、本当に虚しくなった。月々の給与も半分程だったが、やはり大きかったのは期末手当(ボーナス)の差だった。

日本社会では、最初にレールに乗り遅れると、その後に遅れてレールに乗ることは難しい。そして、一度でもレールから離れると、もう二度と元には戻れないようだ。

産休代替講師の立場2020/10/17

非正規雇用について何かと話題となっている。
私も色々な非正規雇用を経験しているが、今日は主に産休代替講師について書きたい。

私は、20代の若い頃に1回と、健康上の理由から早期退職をした後の40代の中堅の頃に1回の、合わせて2回産休代替講師をした。
職場では、私自身の頑張りが認められたこともあってか人間関係はとても良く、期間が終わる時には皆で惜しんでくれ、盛大な送別会をしてくれたり、全職員からのサプライズプレゼントを貰ったりと、何も不満は無い。

けれど、産休代替講師の立場が制度上どのように位置づけられているかについて、不公平さを感じたことも事実だった。

私が産休代替講師をすることになったいきさつは、2回とも、教育委員会からの電話だった。
正規の教諭が妊娠して産前産後休暇と育児休暇を取りたいと思ったら、代替講師が必要になる。
代替講師を見つけることは、実は全く簡単ではない。

教諭が産休・育休を取る時や、長期出張、病気などで代替講師が必要になると、本来は管理職が探すのだが、実際に探す作業は主任に任されることも多い。私は私立高等学校で教諭の経験もあったことなどから、県の採用試験に合格してから6年目には主任を命じられた。学校の立地条件や担当する教科・科目によっては、代替講師が見つからないことも多く、いつも大変苦心した。
管理職によっては、講師探しが難航していると聞いて状況を聞いただけで、余計な心配はしなくてよいと言われ、知らないうちに話が進んでいたこともあった。

山間部の高等学校で探した際には、結局見つからなかったらしく、授業のみの時間講師で本来は支給されない交通手当を支給するなどの条件で、地元の退職した高齢の方に時間講師が依頼された。授業以外のテスト問題作成と採点及び成績処理は誰がしたのかと言うと、一番キャリアのあった私。担任に加えて学科主任も教科主任も任されていた私の業務は大幅に増えたけれど、私の給料はもちろん1円も増えない。

そんなふうに、講師を見つけることの大変さを知っていたから、もう二度と教員はすまいと思って退職をした後も、困っている事情を慮(おもんぱか)り、快く引き受けたのだ。

まず、産休代替は学期途中の何でもない時に赴任するので、朝の職員朝礼での短い紹介のみで、全校生徒への紹介はないようだ。これは産休代替だけでなく、出張や病休に伴う代替講師の場合も同じ。つまり、授業を担当する全クラスで、最初の授業で初めて顔を合わせる。
それに、授業を引き継ぎ、代替期間が終わったらまた元の先生が返ってくるので、自分の好きなようにはできない。赴任前に簡単な説明は受けるけれど、準備期間は殆ど無い。

欠員補充の講師の場合は、正式採用の教諭と同様に4月最初に赴任して3月末の更新もしくは退職となるので、始業式での職員紹介や離任式での紹介などあり、全校生徒の前で挨拶をする場もあるけれど、産休代替、出張代替、病休代替ではそれがなく、ひっそりと赴任してひっそりと居なくなる、という事になる。

給与明細が手渡される順番も、私は最後だった。以前は職員室の各個人用の手箱(配布物や連絡事項を入れる棚や引き出し)に配布されていたこともあったけれど、誰でも見られるので、おそらくは個人情報保護の観点から直接手渡すことになったのだろう。
年功序列の順に校長室前の廊下に並び、順番に名前を呼ばれて手渡されるのだが、採用試験に向けて準備中の年若い欠員補充講師よりも更に後の、私は最後。給与明細をもらう順番なんて最初だろうが最後だろうがどうでもいいことだけれど、教頭以下年功序列の順番に並ぶ最後尾に並ぶことは、私の立場の不安定さをそのまま物語るものだった。

立場の不安定さ。

定められた期間が過ぎれば居なくなる私は、出過ぎた真似はできないし、会議に出席しても堂々と意見が言える立場ではない。期間終了後には元の先生が戻ってくるわけなので、休業中の先生のやり方を踏襲するのは当然であり、自分のやり方に変えるわけにもいかない。
単なる場繋ぎだから。
そして、私が引き受けた産休代替の2回とも、直前になって1か月短縮された。

或る日、管理職に呼ばれ、何の用事だろうと思っていたら、変更された辞令を当たり前のように渡された時の、驚きと失望。
職員室に戻り
「何の用だった?」と同僚の先輩教諭に訊かれ、
「新しい辞令を渡されて、1か月短くなってたんですよ」
私の顔には、不満の色が現れていたかもしれない。
「文句は言えないよ。生活があるからね」と同僚の先輩女性教諭は言った。
私は、自分の気持ちを飲み込むしかなかった。

教諭は、産前産後休暇だけでなく育児休暇中も給与の3分の2程度が支給される。
そして、一方的に1か月短縮された私は、収入ゼロになる。私にも生活はあるし、大好きな職場からも、1か月早く去らなければならない。

限られた期間であることは承知で受けた仕事ではあるけれど、せめて最初の辞令に示された期間は厳守して欲しいと思うのは、私の間違いなのだろうか。

正規の教諭が安心して産前産後休暇や育児休暇を取ったり、長期出張に行ったり、病気の時に長期療養できるのも、代替講師の存在があればこそ。
それなのに、辞令までもが途中で変更され、短縮される。
ある程度のスキルがなければ、いきなりの初めての職場環境や多様な生徒に対応して業務をこなすなんて、そうそう出来る事ではないのに、制度上では、講師は全く立場が無い。
どこにも不満をぶつけられず、戻ってくる先生に笑顔で引継ぎの説明をするしかないのだ。

例えば逆の立場で、講師の側が途中で「辞めます」なんて言ったら、激しく非難されるだろう。辞令期間中は職務を遂行する責任があると。
けれど、育児休暇中の教諭からは、「夏休みに入れば業務も楽なので1か月早いけど戻ります」が許される。

代替講師なんて、結局は、都合よく便利に使いまわされるだけ。

その上、全校生徒の前で挨拶をする機会もない。
学年集会でさえ、あらかじめ決められた集会の内容に、一度も退任者挨拶の場が設けられたことはなかった。
代替講師が何時何時までで去るなんて、集会進行役の頭には全く無いのだろう。

なので、私は自ら申し出た。
「学年集会の最後で良いので、挨拶をする時間を下さい」と。
クラスによっては、あらかじめ、お別れの言葉を寄せ書きした色紙を用意していて手渡されたこともあるし、
「もうすぐ〇〇先生が戻ってくるので、私の授業は□月△日で最後になります」と各クラスでの授業の際に話すので、個人的に手紙をくれたり、定期テストの回答用紙の裏にメッセージを書いてくれたりする生徒もいた。
「今までは授業内容に興味が持てなかったけれど、(月)先生になって、すごく興味が沸きました」
「(月)先生の授業を受けるようになって、授業がとても面白くて分かりやすくて、成績が上がったので嬉しいです」
そんなメッセージもたくさんもらった。

私は、たとえ3ヶ月間でも、決して手抜きはしなかった。
苦手意識のある生徒や興味を持たない生徒にも、授業内容をちゃんと理解して、学業を離れても自ら学ぶ態度に繋げてほしいと思っていたから、教科書をなぞる授業はしなかった。
生徒たちには、ちゃんと私の思いは通じていたと思う。
一年も過ぎる頃には、忘れられてしまったかもしれないけれど。

講師をしていて、職場にも生徒にも不満は無かった。
けれど、あらゆる場面で、虚しさを感じた。
講師が居なければ、長期出張や産休育休や病気療養などの制度そのものが成り立たないのに。
講師は経験豊かであろうと、同年齢の教諭には遠く及ばない給与しか支払われず、年齢が上がるほどにその差は広がり、それでも一生懸命に業務に励んでいる。
講師経験のない教諭には、講師の思いは分からないかもしれない。
せめて、制度の運用上は、講師の立場をもう少し尊重しても良いのではないか。
それが、私が講師をしていた頃に思った事。

今は、もう少し改善されただろうか。
改善されていることを望む。