流通業の皆様こそ神様です!2020/12/03

昨日も運輸業に携わる方々がコロナ禍において嫌な思いをされているらしいことを少しだけ書きましたが、運輸業やサービス業を含む流通業全体が大変な事になっているようですね。
流通業に関わる従業員の5人に1人が、客からの暴言や暴力に悩んでいるそうです。

コロナ禍よりもずっと以前から、たまにニュースなどで見ることはあったのです。
「お客様は神様」をかさに着て、従業員に対して高圧的な態度で迫る客のこと。
違うでしょ、従業員は召使いでも何でもないし、客はご主人様でも何でもない。従業員と客は対等です。

私が思うに、サービス業や運輸業の従事者の皆様こそが「神様」です。
雨の日も風の日もトラックで長距離を走って生活必需品や色々な物資を届けて下さる皆様。

運輸業とはちょっと違うけれど、新聞配達の方が台風の暴風雨の最中の配達中にお亡くなりになったというニュースをここ数年毎年のように見るので、辛くなります。
そこまでして新聞を届けなくても、命の方が大事じゃないのって。新聞契約者の皆さんも、台風の暴風雨の最中くらい、新聞が届かなくても文句を言わないで欲しい。

トラックも、時々暴風雨に煽られて高速道路や橋の上で転倒したりしてますよね。
通信販売の拡大によって人手不足な中、届けた先が留守で宅配ボックスなども無い場合、再配達しなければならない。それも1軒や2軒じゃないし、膨大な量の配達物があるし、時間指定とかの物もあるから、きっと、配達の方は、あっちに行ったりこっちに行ったりしなくてはいけないはず。効率的な配達なんて無理に違いありません。

ちなみに、私は以前は時間指定にしてその時間帯には必ず自宅に居るようにしていましたが、数年前から「置き場指定」を利用できる通販サイトもあって、それを利用しています。

毎日色々な場所に行って沢山の人と対面して荷物の受け渡しをしなければならないのは、本当に大変だと思います。

小売店などのレジの方々も、何時間も立ちっぱなしで、どんな客にも笑顔で対応してくれます。
多くの方がパート従業員だと思うのですが、家事や育児などの合間を縫って働いておられる方も多いのですよね。仕事を終えて自宅に帰ったら休めるわけではなく、家事や育児などで時間に追われる方も居られるでしょう。
飛沫防止シートやアクリル板越しとはいえ、毎日どれほど多くの買い物客と対面するのでしょう。大変な仕事です。

消費者の中には、そういったエッセンシャルワーカーを見下すような言動する残念な人がいるようです。
「お客様は神様」と思って、客には何でも許されると思っているのでしょうか?

そもそも、「お客様は神様です」という言葉は誤解されています。
私が子供の頃に祖母や母親が大好きだった歌手の三波春夫さん。
三波春夫さんが「お客様は神様です」と言って広まった言葉だと思うけれど、「お客様は神様のように敬うべき」という意味ではないらしいのです。三波春夫さんの言った「お客様は神様です」は、「神様の前で歌うように邪念を払って歌わなければ、いい歌は歌えない」という、自分の歌に対する向き合い方を示すものだったようで、そもそも積極的な発言でもなかったようなのです。詳しくは下記サイトの「お客様は神様です」の欄をご参照ください。他にも、いろいろなサイトで紹介されているようですが。

  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B3%A2%E6%98%A5%E5%A4%AB

それから、サービス業という名前についても、誤解がありますよね。物質的な形のないものをサービスという形で提供して満足感や安らぎや感動などを客に与えることで、対価を得る事業とでも言いますか。
以前は小売店などで「より良い品をお手頃価格でご奉仕」などと目にしたりしたけれど、奉仕といっても、消費者が偉いわけじゃなくて、立場は対等です。
でも、サービス業の間でも資本主義で自由競争だから、顧客を奪い合う形となって、「お客様は神様」的に大事にしたのでしょうね。お客様側もますます勘違いしてしまう。

コロナ禍以前からあった「お客様は神様」問題(と、勝手に名付けました)ですが、コロナ禍において一層目立ってきたのは、やはり国民全体が、不安で苛立って希望も持てずストレスが溜りに溜まっているからでしょう。

新型コロナウイルスは、或る意味人災ではあるけれど、今のような全世界に広がった状態では、もはや何処に或いは何に責任を押し付けても、何も変わりません。
どんな万全な対策をしよう100%は難しく、抜け道を通ってウイルスは広がるのです。
ウイルスはずっと居座るのです。ワクチン接種が広まって大多数の人達が抵抗力を持つまで、重症化を防ぎ一回飲めば一気に回復できる特効薬が出来るまで、脅威は去りません。

だから、対策を講じるのは勿論大切で必要な事だけれど、それだけでは足りません。
ニュージーランドのアーダーン首相のように、強く優しく温かく国民に寄り添う姿勢が必要です。要請やお願いではなく、庶民の心情に寄り添った語り掛けが必要です。庶民がどんなに追い詰められているか、おそらくは、永田町のエリートの皆様には分からない。けれど、分かろうとしなくてはいけません。その事を政府は受け入れ、理解し、あえて批判も享受し、国民の誰一人としておろそかにはしないという気概を持って、真摯に語り掛けてほしい。

そして、一度広がってしまった消費者優位の考え方は、簡単には治らないと思うので、小学校からの学校教育で、正しい消費者教育をして欲しい。
かつて、悪徳業者などによって消費者が泣き寝入りするケースが増え、消費者教育の必要性が叫ばれて始まったものと思いますが、今の時代、消費者の権利の主張だけでは片手落ちです。
消費者の権利は正しく主張されなければならないけれど、事業者側の従業員の人権も守られなけらばなりません。両者はどちらが上、下というものではなく、契約(形のないサービスを含め消費活動を行えば、それは契約がなされたことになります)の上の対等な関係であるということを、小学生のうちから、分かりやすく教える必要があります。
そうすれば、時間はかかっても、何年か先には、きっと世の中の考え方も良い方へと変わっていくでしょう。
誹謗中傷は止めましょう。される側もする側も傷付くはず。
大震災に見舞われても、暴動が起こるわけでもなく、水や食料の配布を人々は静かに列を作って待つことが出来る。そんな世界中が驚嘆し、感動し、称賛した日本の素晴らしさを、コロナ禍にあっても見せて欲しい。心からそう願わずにはいられないのです。