台風とコロナとGo To キャンペーン2020/10/10

台風14号、九州は無事だったけれど、三重県や和歌山県、三宅島、伊豆諸島などが心配です。昨年大きな被害のあった千葉県は大丈夫でしょうか。

一昨日、実はもう1つ書きたい記事があり、脳内では書き上げていたのですが、「口腔ケアとインフルエンザ予防接種」を先に書いていたら深夜になってしまい、昨日も、パソコンを開いた後にメールチェックして返信したりしていたら眠さに負けて書けなかったので、もう書かなくてもいいかな?と思ったのですが、やっぱり今日書くことにしました。

千葉県鋸南町の昨年の台風15号の被害で、屋根や壁を直すことも出来ずにブルーシートのままの家が沢山あることです。千葉県や政府は、どうして手を差し伸べないのでしょうか。

ブルーシートを張ってロープで縛って土嚢の重しをしたって、台風の暴風雨にはひとたまりもありません。1年経っても修理できず、台風14号がまた向かっているというのに、住んでいる方はどんなにか心細く怖く不安なことでしょうか。
おそらくは、修理できないまま1年経つうちに、1年前よりもっと深刻になっているはずです。家の状態も、お住まいの方の精神状態も。
もし私の家の屋根が1年もブルーシートのままだったら、私は気が狂いそうになると思います。

依頼しても修理がなかなか出来なかった理由の一つは、東京オリンピックの為に資材や人材が不足したこともあったらしいです。
そして新型コロナウイルスにより人の移動が制限され、ますます修理が難しくなりました。

新型コロナウイルスによる移動制限は解除され、Go ToトラベルやGo Toイートも始まっています。経済が低迷し、特に打撃の大きかった観光産業や飲食業などの活性化には、一定の効果もあるでしょう。
けれど、運用の仕方があまりにもお粗末で、本当に困っている事業者には恩恵が少なく、接触確認アプリCOCOAを利用条件に入れないものだからCOCOAのインストール割合は低いまま。
Go Toキャンペーン利用に接触確認アプリCOCOAのインストールを必須条件にしないのは、そうするとGo To利用者が減ると思っているのでしょうか。

Go ToイートについてTVで報道された時、私は疑問だったのですよ。
「昼食の予約で500ポイント、夕食の予約で1000ポイントって、食事の値段は関係ないの?」って。
私は外食しないので、それ以上追及はしなかったのだけれど、案の定、夕食の予約をして100円のソフトクリームだけ食べて1000ポイントをせしめるなどの荒業を、平気でやる人達が続出したらしい。
Go Toイートを企画運営している方々は有能な方々でしょうに、そんな事態を予見できなかったのでしょうか。庶民感覚なさすぎて、思い付きもしなかったでしょうか。
Go ToトラベルもGo Toイートも、小規模なところにもちゃんと恩恵が行き渡るやり方を考えるべきです。私にはアイデアが無いではないけれど、ここに書いても意味が無いし、説明が長くなるし。

低迷する経済を立て直すことは重要だし、倒産や失業を少しでも食い止めるには色々なアイデアを実行する必要があるでしょう。
試行錯誤する中では、必ずしも成功するものばかりでないのは仕方ないかもしれません。
けれど、今現在本当に困っている人が誰なのかも、ちゃんと考える必要がある!

壊れた家に1年も住み続けざるを得ない方々を、どうか思いやって欲しい。
移動制限が解除されGo Toも始まっているのだから、他県からでも資材や人材の移動は可能になったはず。
政府と千葉県が協力すれば出来るはず。
だから、残念ながら今回の台風14号には間に合わなかったけれど、ブルーシートのまま取り残されている家の1日も早い修理を、どうか真剣に考えて欲しいと思うのです。

口腔ケアとインフルエンザ予防接種2020/10/08

しばらくブログを書けませんでした。
パソコンも数回しか開けませんでした。
9月30日にとても不安なことがあり、10月5日にも心配な事がありました。
どちらも母の介護に関することです。

話し相手もなくコロナ禍で他人と顔を合わせることも殆ど無い私は、不安と心配から負のスパイラルに陥って、どんどん深みにはまって、食欲も無くなり、食事を作って食べても、味覚はあるのに何を食べても味がしないような感じで、死なない程度に食べていました。
生きていても甲斐の無い毎日で、この先も何も変わらないだろうし、生きていたいとは思わないのだけれど、前にも書いたように、母の介護の責任もあるし、生前整理もまだ出来ないし、今はまだ生きていくしかないから。

9月30日は、母がお世話になっているグループホームで口腔ケアをお願いしているクリニックからの電話でしたが、活舌が悪くてサシスセソが聞き取れず、おまけに電話の向こうの背後で大声で喋ったり笑ったりしていて、何度も聞き返さなければなりませんでした。

母がグループホームに入所した時の、クリニックの契約書の内容に変更があるので署名捺印し直してほしいとのこと。
「今からご自宅に行きたいのですがいらっしゃいますか?」
そう聞かれたので
「後で買い物に行きたいと思っていますが、まだ暫くは家に居ます」
と答えたら
「うちのクリニックの場所は分かりますか?」
え?来てくれるんじゃなかったの?と思ったけれど、クリニックに行った事がないので分からないと答えると、道順を説明されました。
?????
まあいいや、コロナ禍だし、自宅に入れるより、私が行ったほうがコロナ対策出来る、と思って、夕方行くと伝えました。
睡眠時間的には足りているはずなのに、眠くて眠くて、車を運転できる状態ではなかったからです、

ボールペンと印鑑と朱肉をポーチに入れて準備し、ソファで少し寝てからクリニックに行ったのですが、行ってみたらビックリでした。
出て来た担当者はマスクをしておらず、手指の消毒も置かれていませんでした。
十数名が仕事をしている机に案内され、書類を広げて椅子を勧められました。おそらくは、その担当者の座席です。
「椅子はいりません。立ったままで大丈夫です」と答えました。
「書きにくくないですか?」
「いえ、慣れていますから」
それじゃあ、と、出入り口のカウンターに案内されて、そこで説明を始めたので、
「すみませんが、マスクを付けて貰えませんか?」とお願いしました。もちろん私はマスクしてましたよ。
「ああ、すみません。このままで仕事してたので、つい忘れてました」
え? いつもマスクせずに仕事してるの? 三密じゃないの? 迂闊すぎるでしょう。
さらに驚きは続きます。
母がグループホームに入ったのは昨年の10月半ば過ぎだったのですが、新しくなったという契約書は、既に昨年10月1日から使用されていた物だったのです。
「つまり、契約書の内容が変更されたのは、最近になってではなくて、私が契約書を書いた時から、間違って古い物を渡されていたということですか?」
「ドクターが変わったものですから、引継ぎが上手くいってなくて。日付も違っているので直して下さい」
え?????と思いました。
「これ私の字じゃないですよ。署名捺印だけして、日付はクリニックさんの方で後で記入すると言われたから、私は書いてないですよ」
「そうですか。令和2年10月30日になっているので令和1年に書き変えて下さい」
「これ、ホントに私の字じゃないですから」
私は不信感を抱かずにいられませんでした。
つまり、古い契約書に署名捺印させた上に、その事に気付かず、おそらくは年が明けて令和2年になってから日付を記入したから間違ったのだと思われるし、書類が古い形式であることにも1年近く気付いていなかった?!

持参したボールペンと印鑑と朱肉で署名捺印し、日付も令和1年で書いて、気を取り直して、母の口腔ケアについて最近の様子を聞きました。
「月に4回ほど行っていますが、しばらくはコロナで入室出来なかったので口腔ケアも中断していましたが、また再開して、中断していたわりには悪化も無くて良い状態です。泡が立つのがダメなので、泡の立たないジェルの歯ブラシに変えてます」
ん?ジェルの歯ブラシ?
「ジェルの歯ブラシじゃなくて、歯磨きでは?」
「あ、そうです。歯磨きです」
歯磨きの事なら、11か月前の入所後すぐにホームから了承を求められたから以前から知っていました。
「ドクターは、どのくらいの頻度で診て下さっているのですか?」
「月に1度は診ています。私がだいたい週4回で、ドクターもそのうち1回は同伴してますから」
あれっ?前の話と合わない。週4のうち1回はドクターが同伴してたら、ドクターは週1の月4になる。
「週4回ケアしてくださってるんですか? 月に4回ですよね?」
「ああ、そうです。週に2回の時もありますけど」
「ドクターは月に1回なんですね?」
「だいたいそうです」
気を取り直して、母の事をお願いしました。
「私が自宅で介護していた頃は、定期的に近所の歯科でケアしてもらっていたんです。でも、介護老人保健施設に入ってからはそれが出来なくなって、使っていた入れ歯も下の入れ歯が傷んで使えなくなって、施設では上の入れ歯だけ使っていて、上の入れ歯だけでは噛めないから使わないほうがいいって伝えたんですけど、施設ではずっと上の入れ歯だけ入れていたんです。認知症が進んで入れ歯を入れていることが分からなくなったりしていて、自宅に一時帰宅させた時にやっと上の入れ歯を外したら、食べかすが上あごに一杯付いていて、それ以来、もう入れ歯は施設に持たせずに、上だけの入れ歯は意味が無いし不衛生になるから、使わないで下さいって伝えて、本当はきちんと上下の入れ歯を入れてきちんと噛めたほうが認知症にも良いと思うんですが、認知症が進行して新しい入れ歯は作れなかったので、こちらのクリニックでは認知症のケアに慣れていて入れ歯も作れると聞いたので、今すぐには無理でも、どうぞその方向で宜しくお願いします」
「そうですか。普段は話を聞く機会もないので、色々聞けて良かったです。ドクターに伝えておきますね」
「契約時にお話ししてありますので、多分御存知と思いますが、意向は契約時と変わっていませんので、もし入れ歯を作れる状態に好転しましたら、どうぞ宜しくお願いします」

その後、クリニックの近くで買い物をさっと済ませてから帰宅して、ありあわせの食べ物でさっと夕食を準備して食べたけれど、クタクタになったし、色々な面で不安ばかりが残りました。
あんなに間違いだらけで大丈夫なの?
どこのクリニックもあんなものなの?
私が細かすぎるの?

それから10月5日です。
グループホームからの電話。
先月9日に、母の要介護認定更新書類に署名捺印するために来て欲しいと連絡があり、その時に、インフルエンザ予防接種について尋ねました。
ホームからは、今年の事はまだ分からないとの回答でしたが、母は毎年10月初めに予防接種していたし、今年は新型コロナウイルスのこともあって高齢者は10月1日から、それ以外の人は10月26日以降の接種が政府からも呼び掛けられているので、とても気になったからです。
22日に書類に署名捺印しに行った時に、今年の予診票はまだ無いとのことで、昨年の物と様式は同じはずだからと言われて記名したのですが、10月5日の電話は、インフルエンザ予防接種の日程が11月8日になったという報告でした。
「まだ1か月以上も先なんですか?」
理由の一つとして予診票がまだ届いていないと言うので、私は自分で市役所に問い合わせをしようと電話帳で調べるまでしていたのですが、電話をする前に、不在だった施設長から電話がありました。予診票は先ほど届いて、予防接種を担当してくれる病院から提示された日程が11月8日だったと。
「それでは、11月8日を提示された時に、もう少し早い日程は取れないのかという確認はされていないという事ですか?」
「はい、していません」
そうか、11月8日を遅いとは思って貰えなかったのだなと、私は残念に思いました。
リスクの高い高齢者が集団生活をする施設だから、1日でも2日でも早く予防接種をする必要があると思うのに。
それから色々なやり取りがあり、結局、日程は11月8日で変えられないとのことでした。
「色々失礼な事を申し上げたと思うのですが、市内の高齢者施設でもコロナのクラスターが発生しているし、インフルエンザ予防接種を受ける前に一人でもインフルエンザに罹ってしまったらと心配するあまりの事なので、どうかご容赦ください」
「いえいえ、施設のクラスターもあったし、ドクターの感染もありましたからね」

実は、入所の際の契約書に署名捺印する際にも、私は細かい部分を指摘し、この契約内容では署名捺印できないと伝えたことがあったのです。
膨大な量の契約書の文面をきちんと細部まで読む人は少ないかもしれません。私は隅々まで読んで、不明な点は質問しました。
私が問題視したのは、「心肺停止状態になった時の対応について、延命治療を希望するかしないかの選択肢を選ぶようになっていた箇所です。
「心肺停止といっても状況は色々ありますよね。回復の見込みが無いのに機械に繋いで悪戯に延命するのは本人に辛い思いをさせるだけだと思うので、私も望みませんが、例えばAEDで蘇生が可能なら、迷わず使って欲しいです。この選択肢には選べるものがありません。それに、延命治療をするかしないかを契約書で誓約するのはおかしくないですか? この選択肢から今選んで〇を付けなければいけないなら、私は契約書に署名捺印できません」
「すみません。言われてみればそうですね。今まで気にしたことが無かったです」
実際はもっと細かい会話があって、記憶が消えない私は今も勿論覚えていますが、長くなるし、インフルエンザ予防接種とは関係ないのでこれくらいにしておきますが、要するに私は、多くの人達がスルーするであろう事をスルー出来ないのですよ。

私って重箱の隅をつつく嫌な性格って思われている?
細かすぎる性格で嫌われる?
けれど、決して難癖をつけたいわけではなく、疑問があるから聞き、変だと思うから指摘する、特に契約書なんて重要なものは斜め読みして簡単に署名捺印してはいけない。
隣近所との日常会話なら、ん?と思ってもスルーするけれど、母の介護に関することだから、「ヤな性格」と思われたとしても、細かい情報も見落としてはいけないと思うし、正しく受け取りたいし、思いはきちんと伝えたい、そう思うのです。

そばで見ていることが出来ないから、不安や心配は尽きず、そのことを誰かに話して、「そんな事があったんだ。大変だったね、心配だね」そんな言葉でも返して貰えたら、少しは心が軽くなれると思うのだけれど。

インフルエンザは本当に心配です。もし罹ってしまったら、新型コロナウイルスの症状と見分けが難しいというし、今までは早めの予防接種で罹らなかったのだけれど、どうかホーム内でインフルエンザもコロナもありませんように。
神様どうかお願いします。

追1:
グループホーム入所時の契約書は、一番近い選択肢に〇を付けて但し書きを付け加え、署名捺印しましたよ。

追2:
文面では、私がいかにも滑らかに質問したり答えたり説明したりしたように受け取られそうですが、すべて、震える声で精一杯に話してました。教員をしていた頃から、会議で司会をしたり質問したり自分で作った資料を説明したりする時は、声が震えるのを必死で堪えながらでした。高機能自閉症と診断されて、そのせいだったのかと納得しました。授業とか生徒と話す時とかは震えなかったんですけれどね。

苦しくても生きるしかないから2020/09/23

ずっとブロブを書けませんでした。
ブログだけではなく、パソコンをほぼ開けませんでした。
父のファミリーヒストリーを書くまではと、何とか8月15日までは頑張って書いたけれど、実は生きる気力さえ失っていました。

私は、昨年12月半ばから、銀行などでの事務的な会話と母の介護施設との連絡以外は、ほぼ会話が無い生活です。
どうか想像してください。
朝から晩まで、大晦日も、お正月も、お彼岸も、誕生日も、お盆も、巨大台風接近時も、家で一人ぼっちで誰とも会話の無い毎日。
それが、もう9か月以上。
自ら望んでそうなったわけではありません。

高機能自閉症や五感全ての感覚過敏などの診断を受け、障害者手帳を交付されたけれど、障害者就業・生活支援センターに相談しても心無い対応をされ、地域包括支援センターは母の事で相談を拒否された体験から信頼できず、市の障害福祉課に相談しても何も変わりませんでした。
地域社会との繋がりも最低限しかなく、近隣に親しい友人も居ないから、訪問者も電話もありません。
数日前、電話が鳴ったと思ったら、世論調査の自動通話でした。
ブロブを始めて想いを伝えれば、誰かが共感してくれて、何か変わるかもしれないと願ったけれど、世の中はそう甘くは無いのですね。

仕事をしていた頃は、真面目な性格ゆえに無理をしても全力を尽くし、超繊細ゆえに自分よりも相手を優先し、長年のキャリアにより仕事のスキルも高かったので成果も上げ、信頼もされ、退職時には惜しまれもしたけれど、母の介護のために退職すると、当然のことながら元同僚達は新しい人間関係に忙しいから、退職した元同僚の事など次第に忘れていきます。
子供の頃から苛めや仲間外れにされ、もともと人付き合いが苦手な私は、コロナ禍によって、社会との接点をほぼ無くしました。

昨年までは、日差しの弱くなった夕方に庭の手入れをしたり、買い物を楽しむことで、気晴らしができました。
けれど、今年は梅雨が2か月も続き、毎日雨が降り続いて庭の手入れも殆どできず、コロナ禍で不要不急の外出が制限されて、買い物も混まない時間帯の食料品の買い出ししか行けず、自粛を求められたからではなく怖いから外出できませんでした。

毎日、家でただTVを見るしかないけれど、そのTVは、不意に流れるCMさえもが、コロナ禍で離れていても繋がろうと絆を強調し、ニュースさえもが、会えなくてもビデオ通話で繋がる家族や恋人達を紹介し、私は見るたびに涙があふれた。
繋がれる家族も恋人も友人も居ない人は、きっと私以外にも居るはず。そんな人達の事は誰も気にしていないのですね。

外出制限が緩和されても、一人ぼっちの私は、どこかに遊びに行くこともできません。会話も無く、笑うこともなく、少しの食事をしてシャワーを浴びて寝るだけの毎日。
仕事をしていた頃から、苦しくて退職したかったから、退職しても年金受給までは自力で生きていけるように、爪に火を点すような節約生活をして、現在、無職ながら衣食住はつつましくもまだ困っていない。
コロナ禍で仕事を失い衣食住にも困っている人達を思えば、それ以上を望むのは贅沢だと思われるかもしれない。
私は学生時代、食べ物を買うお金が無く、やむなく過酷なアルバイトの掛け持ちをして単位を落とし、無保険で病院にも行けなかったから、お金が無い苦労は知っています。
けれど、世界中の誰からも顧みられない孤独は、家族や友人に支えられている人にはきっと分からない。
名前を呼ぶ相手も、呼んでくれる相手も居ない孤独を、誰か分かってくれますか?

私は、たった一人で生きているとは思っていません。要介護5の母がお世話になっているグループホームには本当に感謝しているし、コロナ禍でもスーパーのレジに立ってくれている方々や、電気や水道を管理してくれている方々や、食料を生産・流通してくださっている方々がいなければ、私は生きてはいけない。

ただ、生きていても少しの楽しみも無いのです。若い頃は、将来に夢をもって頑張ることができたけれど、もう、生きることに何の喜びも希望も見いだせないのです。
9か月間、誰も訪ねてこないということは、私が孤独死しても何ヶ月も発見されないということ。私が死んだら、家も家財道具も思い出の品々も全てこの世に必要のない物になってしまうから、生前整理をして、死ぬときには全てを処分しておきたいと願うけれど、それは無理な話で、誰かに託すしかないけれど、「〇君(姉の息子)はやってくれるかなあ」と以前姉に話したら、息子も娘も孫もいる楽観的な姉は、「死んだ後の事は死んだ後にどうにかなるよ」としか答えてくれませんでした。
一人だと心配だよね、大丈夫だよ、〇君はちゃんとやってくれるよと、答えてほしかった。
だから、今は、安心して死ねないから、細々とでも生きるしかない。
世界最高齢の120歳まで元気でいれば、私の死後の始末を誰かが世話してくれて、私も安心して死ねるかもしれない。
  
昨日、母のグループホームに行ってきました。
要介護認定の更新書類に署名捺印する為です。
インフルエンザ予防接種も毎年10月初めにはしていたので、政府からも高齢者は早めの接種を勧められているし、電話で聞いてみたら、まだ分からないとの回答だったけれど、去年の書類しかないけれど同じだと思うからと言われ、そちらにも署名して帰りました。

本当は、面会も条件付きで解除されたので、母に会って抱きしめてあげたかったけれど、身体接触はできないし、私は想いがあふれて涙がぽろぽろ溢れて止められなかったので、面会は断念しました。
認知症の進んだ母は、1年以上前から、私の事が分かりません。だから、電話やビデオ通話も無理だけれど、名前が分からなくても、娘と分からなくても、心の奥底のどこかでは、会えばきっと感じてくれると思うのだけれど。

ちなみに、私自身は、母と同居し始めた年の10月に母と一緒にインフルエンザ予防接種を受けたら、副反応で発熱して10日程寝込む羽目になりました。職場でインフルエンザが大流行しても、私自身は一度もインフルエンザに罹ったことはないので、もう二度と予防接種は受けないつもりだし、近い将来にコロナウイルスのワクチンが完成しても、ワクチン接種は受けないつもりです。
私には橋本病や好酸球性副鼻腔炎(喘息併発)などがあり、子供の頃から肺炎や気管支炎に何度も罹っているので、もし新型コロナウイルスに感染したら重症化リスクが高いけれど、多くの医薬品に酷い副反応を起こしてしまう私なので、そのリスクの方が怖いから。

新型コロナウイルスさえ無ければ、世界中が今よりずっと幸せだったはずなのに。
けれど、時間を巻き戻すことはできない。感染が少し落ち着いたとしても、もうコロナ以前には戻れない。少しでも油断すれば、再び感染は広がり、多くの人が苦しみ、多くの人が命を落としてしまうから。

コロナ対応で多忙な姉からは、連絡しても連絡しても何日も返信が無く、私はますます鬱に拍車がかかって、コロナのせいと分かっていても苦しくて、眠くても眠れず、食事もとれず、腹痛も続いていたいたけれど、やっと昨日の夜、短いけれど返信が来たので、それで良しとします。

このブログを読んでくださった方、短くても良いので、どなたかコメントをもらえないでしょうか。
長文の、こんな暗い内容では、誰も読んではくれないでしょうか。

一面識も無いのに!2020/08/03

月齢13.4 月出18:45 月没03:55 2020/08/03 20:13撮影 雲のせいか異様に赤い月
昨日の日曜日は、朝から晴天で、洗濯をたくさんし、朝食の後には常備用に「鶏肉入りおから」も作り、夕方には、日差しを利用してイースト菌を発酵させ、自家製のバジルとミニトマトを使ったピザも作った。

けれど、その後から、とても体調が悪くなってしまった。前日の土曜日はパソコンを一度も開かずにメールチェックさえしなかったので、2日ぶりにパソコンを開いてメールチェックをし、ブログだけは書いたのだが、エアコンを27度設定にして涼しくし、薄いスポーツドリンクを飲んで体を休めても全然改善しなかった。
諦めて、サッとシャワーを浴びて、設定温度27度のまま肌布団を着て寝て、熟睡はできたと思うのだが、今朝目が覚めてからも倦怠感が強かった。
座敷の窓を開けてから仏壇にお茶と水と線香を上げ、米麹甘酒と炭酸水を飲んだ後、TVでニュースを見ながらソファーに座っていたが、倦怠感に我慢が出来ず、座敷の窓を閉めてから再びベッドに横になった。
エアコンは冷えすぎていたので28度設定にしたのだが、しばらくしても室温は上がるどころか下がってしまった。
「お部屋の温度26度、外の温度30度です」
仕方なく、エアコンは止めた。自動的に内部クリーン運転になり、その音を聞きながら、いつの間にかまた寝入ってしまい、目が覚めると昼を過ぎていた。
防犯のために窓はほぼ締め切っていたので、室温は31度になっていた。

どうしてこんなにも倦怠感があって気力が無いのか。
日曜日の暑さも関係あるかもしれないが、一番の原因と思われることがある。
8月1日の土曜日のcoopでの出来事だ。

土曜日は朝から晴れてはいたが、薄い雲が全体に広がって日差しが弱めで、定期受診の歯医者の後、日傘をさして歩いてcoopに買い物に行った。片道10分もかからない。買いたいものは決まっていたので、すぐに帰宅するつもりだった。
coopに入ると、店員さんが待ち構えていて手やカート、カゴを消毒してくれた。
店内は、普段はチラシ配布などしないのにタウンプラスの葉書で日替わり特売品の案内があったためか、とてもとても混雑していた。生後間もない赤ちゃんをベビーカーに載せた家族連れもいて、シングルマザーなら仕方ないけれど、新型コロナウイルス感染者が地域でも激増しているのに、感染を心配しないのだろうかと思った。

目的の物を買ったらすぐに帰るつもりでいたのだが、お茶サービスのコーナーで、紙コップの取り出し方が分からずに困っている年配の女性が居たので、つい「白いボタンを押すと紙コップ出ますよ」と声を掛けてしまった。
その女性は、私の声を聞いて白いボタンを押して紙コップを手にしたかと思うと、少し離れた場所にいた私に手を伸ばし、いきなり腕を思い切りバチンと叩いたのだ。

えっ! 
私は一瞬何が起きたか分からないくらいに驚いた。
叩かれた腕がヒリヒリしていた。
相手は一面識も無い全くの見知らぬ女性だ。
困っている様子を見かねてとっさに声を掛けただけで、その結果その女性は紙コップを取り出せたのに、なぜ私が叩かれなければならないのか。
私は感覚過敏で、知り合いからさえも体に触れられるのは不快に感じる。ポンと叩いたのではなく、思いっきり叩かれ、かなり痛かった。しかも、コロナ感染激増で、他人との接触は避けなければならない時だ。私は、今のような感染拡大以前から銀行の待ち時間に椅子に座ることさえせずに立っている。知り合いならともかく、全くの一面識も無い相手を、なぜ思いっきり叩くのだ。
怒りが込み上げてきた。
「教えてあげただけですよ。なぜ叩くんですか。叩かないでくださいよ」

相手の女性は、「ごめんなさい」も言わず、近くの椅子に腰かけて悠々とお茶を飲み始めた。
まるで聞こえていないかのように、どこ吹く風だ。
私は、もう一度言おうかと思った。コロナがあるのに、いきなり叩くなんてどういうつもりですかと。

でも、言っても無駄だと思い直し、その場を離れて帰宅することにした。
怒りは収まらない。コロナのことが無ければ水に流してもいい。けれど、今は新型コロナウイルス激増で、他人との接触は避けねばならない時なのだ。あなたがもし無症状の感染者で、私が感染してしまったら、どうしてくれる。
おそらくは、簡単な事に気付けなかった照れ隠しだろうとは思う。それで、考え無しに教えた私を叩いたのだろう。けれど、コロナがなくても、一面識も無い相手を思いっきり叩くなんて有り得ない。悪気が無いとしても、思慮が無さすぎる。
悪気が無ければ何でも許されるわけではない。もし許されるなら、思慮の足りない人は、何をしても許されることになってしまう。

見知らぬ人に対していつまでも怒りを抱いていても不毛なので、私は急いで帰宅した。叩かれた腕を触らぬように気を付けながら。
そして、もう決して、見知らぬ人が困っていても、声を掛けないと思った。
別に親切心から声を掛けたわけではない。困っている様子を見かねて、つい無意識に声を掛けてしまったのだ。けれども、今後は、絶対に見知らぬ人には声を掛けない。少なくともコロナが終息するまでは、絶対に!!!

帰宅して、すぐに全ての衣服を脱いで洗濯機に入れ、腕から下と顔を石鹸で洗ってうがいをした。それでも、叩かれた感触が腕に残っていた。もう買い物に行くのも怖いと思った。
午後からも全く気分は晴れず、パソコンを開く気にもなれず、ブログも書けなかった。

たぶん、土曜日のそのショックが、2日経った今日も尾を引いているのだろう。
こんなにも引きずってしまうのは、やはり自閉症のせいなのだろうか?

昼過ぎに目覚めた後で窓を開けると、晴れではあるが、前日のような青空ではなく全体に薄い雲が広がって、日差しは少し弱めなのだが、気温は32度まで上がった。それでも、海風はエアコンの風より心地よかった。
前日の残りのピザを電子レンジで温めて食事したが、全く気力が沸かない。
この1週間で急速にコロナが拡大し、市長より「できうる限りの外出自粛」が呼び掛けられている。
「三密を避けながらも、家族とは密に連絡を取ろう!」とTVが呼び掛ける。
私には、連絡を取る家族は居ない。家族が居ない人のことなんて考えていないよね?
もう何ヶ月笑っていないだろう?

穏やかで平和な日常はどこに?2020/07/30

月齢8.4 月出13:53 月没00:00 2020/07/29 21:52撮影
4歳の頃の記憶。
当時住んでいた社宅のアパートはお風呂が無くて、父は定時の4時には帰宅したので、それから家族4人で砂利道を歩いて銭湯に通っていた。
私は、銭湯の行き帰りや、脱衣所の独特の匂い、置いてあった体重計、浴室のタイルやカランなど覚えているのだが、中でも印象に残っているのが、歩くと一緒に付いて来る月だ。

今よりもずっと夜の明かりが少なくて、星も綺麗に見えた。
その頃はまだ星座とか知らなくて、
「どの星がアメリカ?」と家族に訊いたのを覚えている。
うちには犬のマークのビクターのTVがあって、「宇宙家族ロビンソン」というアメリカのTVドラマ(もちろん白黒)が放送されていたのを見ていた。それで、地球が日本で、空に見える星々が外国だと思っていたのだ。

夜空の星を見るのは幼い頃から好きだった。
父が人魂を見た話しを何度もするので、夜空を見上げると人魂を見てしまうのではないかと怖くなって、しばらくは夜空を見上げられなかった時期があるが、私はずっと宇宙や星が好き。天体望遠鏡は持っていないし、街の明かりで星もあまり見えなくなってしまったけれど、月は毎晩眺める。

最近心配なことがある。

今月27日の「米宇宙軍“ロシアが衛星攻撃実験” 官房長官『動向を注視』」というニュース。
「アメリカの宇宙軍は、ロシアが今月15日にも地球の周回軌道上で、人工衛星から物体を発射し、衛星を攻撃するための実験を行ったと批判していて、アメリカと同盟国に対する脅威が増していると警戒を強めています。」とのこと。
中国も今月24日に火星探査機の打ち上げに成功したというし、衛星攻撃衛星(キラー衛星)など兵器の開発を進める中国とロシア。インドやフランスにも宇宙軍があるらしい。
このままでは、宇宙が戦争の舞台になってしまうのではないか。
衛星軌道上を巡るキラー衛星が、宇宙空間で互いに攻撃し合う図が、SF映画ではなく現実のものとなってしまうのではないか。
月や火星の領有権を争って、月や火星上でも戦争が起きてしまわないだろうか。

宇宙空間は、人類が勝手にどうこうして良い場所ではないと私は思うが、もし利用するにしても、国際協力のもとの平和利用に限られるべきなのに。
けれど、人類はとっても馬鹿で、過去に何度も過ちを犯していながら、全く過去に学ぶつもりがないらしく、近頃はあちこちで独裁やら強権政治も目立ってきている。

コロナが蔓延して、日本だけじゃなく多くの国で第二波と思われる感染再拡大の兆しがあるというのに。私の住む県でも、とうとう感染者が100人を超えてしまった。無症状のまま感染していることに気付いていない人もきっといるはず。
地球温暖化の影響か、各国で異常気象と思われる豪雨や山火事や海面上昇による水没や色々大変な事態になっているというのに。
山形の記録的大雨と最上川の氾濫。日本は、もはや全国どこで豪雨災害が起きるか分からない。
マイクロプラスチックを食べさせられてしまう海洋生物に蓄積された異常は、人間にも蓄積されていく。

世界は、少しずつでも良い方向に向かっていると信じていたのに、最近は不安なことだらけ。
一昔前に夢見た明るい未来は、もう遠いものになってしまった気がする。
生きていて楽しいと思える日が来るのだろうか。

梅雨明けはしたけれど2020/07/28

月齢7.4 2020/07/28 20:30自宅ベランダより撮影
今朝はやっとゴミ出しに行けた。
天気予報では晴れではなく、洗濯情報でも「乾きにくい」だったけれど、青空が出ていたので数日ぶりに洗濯。日差しに当てて気持ち良く乾かせそう。けれど、風が超強い。洗濯物が風で飛ばされないようにしっかり洗濯バサミで留める。
気温は既に30度を超えている。
乾いた風を家中に通そうと、家中の窓を開けた。

その後、午後11時に九州南部の梅雨明けが発表された。
平年より2週間、去年より4日、それぞれ遅くなっている、とのことだが、地球温暖化で梅雨が長引く傾向にあるのだから、過去のデータはもう意味が無いと思う。
梅雨入りが5月30日頃とのことで、ほぼ2か月間も梅雨だったということになる。
来年はもっと長くなるのかも。(T_T)

昼食後、パソコンを開いてメールチェックなどしていたら、何となく気配を感じ、テラスに出て外を見ると、雨は降っていなくて強い日差しがあったけれど、西の空に怪しい雲が広がり始めていた。
「これは夕立になる!」
この強風で夕立になったら、せっかく乾いた洗濯物が、深い庇(ひさし)の下でも、あっという間に濡れてしまう。慌てて取り入れ、南側や納戸の窓も全部閉めた。
10枚ほど洗濯した綿100%のタオルは、やや湿っぽく完全には乾いていない感じ。
せめてあと1時間は外で日差しに当てたかったけれど。
10分ほどすると、ざっと雨が降ってきた。雷もゴロゴロ。
庭の植栽がまた濡れて、また剪定ができなくなってしまったなぁ。
雷はけっこう近くて、ゴロゴロ地響きもし、床からも響いてくる。TVも消した。
くわばらくわばら。
それにしても、午後2時前の夕立なんて。午後4時過ぎにして欲しい。

雷が止んでニュースをチェックしていたら、呆れて怒りと虚しさに悲しくなった。
なんてこった!! またアベノマスク配るらしい。介護施設の職員と利用者向けに。

どうして無駄な事にばかり予算と労力と時間を費やすの? 
菅義偉官房長官「今後、介護施設に配布する予定の約8,000万枚の合計1億5,000万枚(3回分)の調達等に要した費用は、計247億円である」
247億円も費やすなら、当の介護施設に「どんな支援が必要ですか? どんなマスクが要りますか?」って、何故訊かないの?
介護施設はどこも人手不足で超多忙なのに、いちいちマスクを手洗いして繰り返し使えって? 呆れてしまう。

それに、ワーケイション、そんな優雅な働き方が出来るのは、大企業かIT企業か、パソコンさえあれば仕事ができるごく一部の業種職種だけ。大半の労働者には縁のない話。庶民の生活が全く分かっていない。テレワークのできないエッセンシャルワーカーの方々をもっと応援して欲しい。

地方での感染拡大が急激に進んでいるのに、「Go to トラベル」キャンペーンは押し進めようとする。地方での感染拡大は、都市部の無症状感染者と接触したことに起因すると思われ、人の移動が解禁されてしまったから起きたことなのに、ある程度の感染拡大とは共存して経済を活性化しなければならないと言う。
でも、そのせいで、感染して重症化したり、重症化しなくても後遺症に悩まされたり、感染者が出たせいで結局は営業自粛に追い込まれる自営業の人達には、黙って我慢せよって?
とんでもない話だ。
いくらキャンペーンをしても、感染拡大に歯止めが掛からなければ、感染が怖くて外出自粛が進むだろうし、経済活性化も望めなくなる。
二兎追うものは一兎をも得ず。スウェーデンのコロナ対策失敗に学ぶべき。

いきなり全国展開の旅行奨励ではなくて、地域内での活性化から始めれば良いのに。政府は各自治体の経済活性化政策に予算を出して応援すれば良い。
「東京問題と捉えています」とおっしゃるなら、それぞれの自治体にそれぞれの問題があるのであって、それに目を向けずに一律キャンペーンは変だし、東京だけ外しても意味が無い。
どうしてもGo to トラベルキャンペーンを推し進めたいなら、せめてCOCOAインストールを必須条件にしないと。何のためにアプリ開発したのか。
新型コロナウイルス接触確認アプリCOCOA。スマホ利用者の6割以上がインストールしないと感染拡大防止に効果が薄いらしいのに、2割にも満たないという。
マイナンバーカード促進のポイント付加キャンペーンも良いけれど、COCOAのキャンペーンはしないの?

言いたくないけど、政府と厚生労働省しっかりしてくださいよ。

九州南部は梅雨明けしたというけれど、コロナ明けしないと気分は梅雨のまま。
それに、梅雨明けしたら今度は台風シーズンが直ぐに来る。地震もいつ起きるか分からない。
この状況では避難所とか行きたくない。
不安が尽きない毎日だから、政府は、国民が少しでも不安を軽減できるように、せめて国会くらい開いて、真剣に論議して欲しい。どうか先の希望が持てるような政策を!!!

今日の月の出は昼の12:45だったけれど、雲が出て夕立もあって雷も鳴って、日中には月が見られなかった。
夜には雲が晴れ、ずいぶん久しぶりに月を見ることができた。
が、月没を待たずに、再び雲に隠されてしまった。

梅雨とコロナ拡大2020/07/28

蝉の抜け殻
この梅雨いつまで続く?
第一波より急激な感染拡大のコロナに終わりはある?
自閉症じゃなくても、二次障害が無くても、みんなみんな憂鬱な毎日を送っているだろう。

今日は母のグループホームに行く予定にしていた。昨日は薬の副作用で一日中睡魔に襲われ、気分は持ち直したものの車の運転は無理だったので。
もちろんコロナ感染拡大で面会はできないが、後期高齢者医療被保険者証、介護保険負担割合証、後期高齢者医療限度額適用・標準負担額減額認定証の3つが連休前に届いていたので、7月中に持って行かなければ……と思って。

昨夜、漸くパソコンを立ち上げられる状態になってブログを書こうとしたら、パソコンのバッテリーパックやACアダプターの件で時間を取られてしまって、寝るのが明け方になってしまったのに、早朝から町内放送で起こされてしまった。
「婦人部からです。今日は墓掃除の日です」
時計を見ると午前7時15分。緊急時以外の町内放送は控えてもらいたいものだ。もともと災害時のために集金して整備された設備。ピンポンパンポーンと鳴るだけでビクッとする。
睡眠不足での車の運転は危ないので、頭を枕に戻すと、すぐに寝入ったようだった。

目覚めてから米麹甘酒を飲み、仏壇にお茶とお水を上げ、用事は早く済ませないと落ち着かないので、電子レンジでご飯を炊いて冷凍室のメカブと生卵をかけて簡単にブランチを済ませてから、グループホームに電話をした。
前述の3つを今からお持ちしたいと伝えると、「助かります」とのことだった。駐車場が3台分しかないので、空いているか訊いてみたら、大丈夫とのこと。

到着して保険証などをお渡しした後、母の様子を尋ねると、最近は会話がスムーズにできるようになり、体操にも元気に参加しているとのこと。デイサービスに行っていた頃は、体操などはほぼ参加していなかった。
「この間、『薬を持ってくる人が、若くてイケメンに変わったよ』と話したら、『そりゃあ好きになってしまうかも知れんね』って笑うんですよ。」と介護士の方に言われたので、
「そうなんですか。昔はそんな冗談とか言うタイプじゃなかったので、本気かもしれませんね。自分の歳が分からなくて、若いと思っているのかも」と答えると、
「それもなんですが、イケメンって言葉が分かるんだなって」
「イケメン分かりますよ。母は氷川きよしが大好きで、スイミングで一緒だった人が追っかけで、こっちでコンサートである時に『一緒に行って来たら?』って言ったんですけど、『そこまではせんでいい』って。家では毎日見てたんです」
「ああ、それでなんですね。体操の音楽が『きよしのズンドコ節』なんですよ」
「そうなんですか。それは母にとって凄く嬉しいと思います。本当にこちらでお世話になるようになって、見違えるように元気になって、本当に有難いです。コロナ感染が急に拡大して、職員の皆様には神経を使われて大変だと思いますが、こちらでお世話して頂けるので、本当に安心できます」

母は前の施設ではずっと要介護3と言われて、「在宅に戻るなら今です」と言われていたのだが、私には要介護3には見えず、小規模多機能型施設でお世話になることが決まった際に、要介護5ではないかと思うと話すと、施設の方からは、『いや、そこまでは。要介護4でしょう』と言われたのだが、結果は要介護5だった。それが昨年の11月。
半年余りで見違えるように元気になり、会話も成り立つようになって、現在のグループホームには本当に感謝している。費用は以前の2倍ほどかかってしまうけれど、コロナ感染拡大の今、不安無く母をお世話してもらえるのは本当に有難い。

感謝の言葉を伝えると、「職員にとって、何よりの言葉です。有難うございます」と、逆にお礼を言われてしまった。

グループホームでの用事を終え、車のバッテリー上がり防止のために遠回りして帰ることにした。カーポート内で2回エンジンは掛けたが、車を走らせるのは23日ぶりになる。

遠回りの途中で銀行に寄って現金を下ろし、買い物のためにコープに寄ると、駐車場が工事中で満車だった。やっと空きスペースを見つけて駐車し、月に一度のくじを引いた。
引換券を渡しながら、くじの箸立ての中から、向こう側にあるちょっと色の濃い箸を、「アレだ!」と思って引いたら、見事当たりだった。ただの炭酸水500ccをゲット。百円もしない景品だけれど、当たると嬉しい。ささやかな幸せ。
「ありがとうございます!」声も弾む。
先月はハズレでポケットティッシュ1個をもらったけれど、先々月はブレンド茶500cc当たった。夏の飲み物ペットボトルは、急な外出時など役に立つ。
米麹甘酒と、カルシウムと鉄分の多い牛乳と、高カカオチョコレートと、すりごまと、値引きのカボチャスライスとブロッコリーとバナナを買って帰った。

帰宅したら、ヤマアジサイの鉢増しとフェンスからはみ出たイチジクの剪定をしなければならなかったが、買い物品を冷蔵庫などに片づけて、水分補給して、少し休憩していたら、へとへとになっていて動けなくなっていた。体温は36.5度。ほぼ平熱で異常なし。
再び雨が降りだしてしまい、ソファーに横になって夕方のニュースをチェックしていたら、いつの間にか40分ほど熟睡していた。

写真は、車を出して出かけようとしてブロック塀で見つけたセミの抜け殻。
昨日は、雨の止み間の晴れ間があった時間に、クマゼミらしい鳴き声がうるさく響いていたが、雨が降りだしてすぐに止んだ。
蝉も、今年のように梅雨の長雨が続いては、思い切り泣くことができずにストレスが溜まっていることだろう。
1週間ほどしか命が無いらしいのに、可哀そうに。

最悪な4日間2020/07/27

ゴーヤー生るも料理できず
23日から26日までの4日間。
何故こんな事になってしまったのか。
22日に頑張り過ぎてしまったせいなのかもしれない。

7月22日は、最近にしては元気で、ブログを書いた後の隙間時間に掃除までしてしまった。
私は本来綺麗好き。スリッパだって数日おきに洗濯するし、接触冷感ソファーカバーもつい先日洗濯した。天気が良ければ布団も干す。
けれど、小さくはない家なので、掃除にはちょっと時間がかかり、なかなか毎日は掃除までできない。なのに、22日は色々と頑張り過ぎてしまったのだ。

23日は朝から体調が良くなくて、木曜日のプラスチックごみの日だったのに、ちゃんと前日に準備していたのに、ゴミ出しに行けなかった。それでも、雨が止んで晴れ間もあったので洗濯をし、疲れてしまって、本当は外出なんてしたくなかった。
けれど、1週間も前に卵を切らしていたので、無理して近所に買い物に行き、往復30分ほどで帰宅したのに、へとへとに疲れ切ってしまった。卵なんて無くても困りはしなかったのに。
帰宅後、室温が29度なのに全く暑いと感じず、体温は36.4度で平熱。薄めたスポーツ飲料を飲んでソファーに横になってTVでニュースを見ていたらそのまま寝てしまい、食事も少ししか食べられず、エアコンを26度設定にして温度計で27度に下がったけれど、体温は変わらずに36.4度なのに体が熱くて動けず、水分補給をしてフローリングの床に腹ばいになったら冷たくて少し楽だったが、やはりフローリングの上で横になるのは体が痛い。

気を取り直して椅子に腰かけ、パソコンを開いた。地域包括支援センターも障害者就業・生活支援センターも事実上の相談拒否で、もう信頼することが出来ず、地元に当事者会がないか調べることにした。検索の結果、県内に1つ見つけたのだが、「居場所」を中心とした自助グループではなくてコミュニケーションに関するワークショップを夜の定例会で行う会らしく、しかも、ブログ更新が2年前で止まっていて、現在は活動しているのかどうかも分からない。たとえ活動していても、夜に片道2時間以上かけて一人で出かけるなんて無理。落胆しながら、漸く夜中になって入浴することができた。

その翌日の24日は、朝7時半に雷鳴で目が覚め、前日に燃えるゴミ出しの準備はしていたけれど、起きる力が無く、数時間後に一応は起きて、食欲は無いながら米麹甘酒と炭酸水を飲み、仏壇にお茶とお水を上げて、ご飯と味噌汁の朝食も摂ったけれど、美味しいとも思えず。
2階の部屋で、録画して見ていない映画でも見ようと思ったのだが、再生しても見る気になれず、体が重くて動けず、TVを消してそのまま目を閉じて、とは言え眠れもしなかったので、居間に降りてパソコンを立ち上げたが、頭が働かずにメールチェック程度しか出来ず、すぐにシャットダウンした。
昼には、久しぶりに野菜サラダが食べたくなって、ハムと自分で育てたミニトマトを添えた野菜サラダを作り、フルーツゼリーとコーヒーと高カカオチョコレートで昼食も摂ったけれど、体調や気分は改善せず、横になっても眠れず、体温はやはり36.4度。
たまには車を動かさないと、またバッテリーが上がると困るので、もう外は暗かったが、エンジンだけ掛けておくことにした。午後9時までの10分間。誰とも話さない代わりに、昔歌った合唱曲を超ソプラノの大声で車の中で歌った。密室の車の中なら外には聞こえないだろうから。エンジンは10分で大丈夫かどうか分からないけれど、気休めにはなる。

25日は、朝目覚めるも、ほぼ起き上がれなかった。変な夢を見た。家に水がどんどん押し寄せてきて、畳の上まで水が上がってきて、それは透明な綺麗な水で、家は壊れずに水に浮かんで、何処かに無事流れ着いた。外から、流された自転車や何故かヘルメット等を家の中に運び込んだ。亡くなった父や、家に居ない母や姉も一緒に住んでいて、家の間取りは今も覚えているけれど全く知らない家。

朝の習慣の米麹甘酒を飲んで仏壇にお茶とお水を上げ、簡単な味噌汁と卵掛け御飯の朝食は食べたけれど、何もする気になれず、パソコンも立ち上げないまま。
体温は36.2度。食欲は無く、夕食にはももハムを多量に入れたサラダをボール一杯食べ、味は分かるけれど美味しいと思えない。

支援は受けられず、訪問者は無く、誰からも電話もメールも無い。当事者会の活動実態も分からず、どこに助けを求めたらいいのかも分からない。世界中に忘れ去られている孤独、もう生きている必要も無いなあとしか思えず、TVを見ても楽しめず、仕方ないので、数か月ぶりに抗うつ薬のリーゼ錠5㎎を半分に切った物を飲んで早めに寝た。翌日の副作用は気にはなったが、食事を摂れなくてもいいから、少し気分を何とかしなければと思った。

26日は、薬のおかげで熟睡はできたが、目が覚めても起き上がれず、7時間は寝ていたのに、そのまま横になっていたら、すぐにまた眠ってしまった。2時間ほどして目が覚め、何処かに買い物に行く夢を見たような気がするが、記憶が混濁して、自宅に寝ていることは分かっていたが、地理的な自宅の場所が思い出せなかった。
「うちって、場所はどこだった? 近くにあるのはマックスバリュだったよね」
考えて考えて、ちゃんと思い出すのに10分くらいかかってしまった。
これも薬の副作用なのかな。

午前9時45分。起きてお湯を沸かし、米麹甘酒と炭酸水を飲み、仏壇にお茶と水を上げ、鮭切り身とマイタケとオカワカメと白菜とお茶の出涸らしとトマトケチャップと合わせ味噌で味噌汁を作り、解凍した御飯には昨年自分で漬けた梅干しを添えて、一応朝食は食べたけれど、すぐに眠くなってしまい、食後すぐに寝てはいけないと思って頑張って起きていたけれど、限界となってベッドに行くとすぐに寝入ってしまった。
昼に目が覚めて、眠気覚ましにコーヒーと素炒りナッツと高カカオチョコレートとクッキーとフルーツゼリーで簡単に昼食を済ませ、TVでニュースをチェックしたが、再び睡魔に襲われて、また寝てしまった。
幸いなことに、以前一番つらかった胃もたれの副作用は無かったけれど、睡魔が覚めない。コーヒーを飲んでも、階段を上り下りしても、全く覚めない。

夕方、目が覚めて再びコーヒーを飲み、最近はちゃんとした料理を食べていなくて貧血気味な感じがするので、夜はちゃんと作って食べようと思ったけれど作る気になれず、豚もも肉とピーマンと人参と白菜の残りをオリーブオイルで炒め、インスタントラーメンの粉末スープで味付けし、少量のお湯を入れてレンジでチンした汁無しインスタントラーメンを混ぜて焼きそば風にして食べた。栄養的には問題ないはず。

食べたらまた睡魔に襲われたけれど、すぐに眠るわけにもいかないし、久しぶりにブログを書こうかとパソコンを立ち上げたら、「重要なお知らせ」の通知。
ところが、通知をクリックしても消えてしまって内容が表示されない。しばらくすると、また「重要なお知らせ」の通知。クリックしても消えるだけで内容が表示されない。5回くらい繰り返してやっと「パソコンのバッテリーとACアダプターの発熱・発火の恐れあり。回収・無料交換のお知らせ」と表示されたが、それ以外の詳細事項無し。

ブログを書くようになって以降、パソコン本体やACアダプターが熱くなるのが気になっていたので、ネットで検索すると、回収・無料交換対象製品の製品番号等が、バッテリーとアダプター、別々に列記されていた。眠気を我慢して照合するしかなかった。早めに寝るつもりだったのに。
どうやら回収・無料交換の対象ではなく、面倒な手続きはせずに済むようなのでひと安心だが、夜中を過ぎてしまった。

23日以降、本当に最悪な4日間だった。
明日は……もう今日になってしまったけれど、ちゃんと過ごせるだろうか。
コロナ感染が我が県でも急速に拡大し、不安は大きくなるばかり。
理髪店での小さいクラスター発生しているし、美容院にも行けそうにない。
コロナさえなければ、私ももう少し社会と繋がれるのに。

そして父は竜になった2020/07/22

竜神様のジグソーパズル
最近、急に猛暑日が増え、昨日も今日も、農作業中の高齢者が熱中症で亡くなったニュースを見た。とても悲しく辛くなる。
昨日まで元気にしていた高齢者が、突然に熱中症で亡くなる。防ぎようは無かったのかと。

高齢者は、暑さ寒さを感じにくくなり、たとえ暑いと感じても、取るべき行動の判断が出来なかったりする。エアコンがあってもつけずに熱中症で亡くなるのは、暑いことが分からなかったり、暑いと思ってもエアコンを付けるという考えに至らなかったりする場合もある。高温の農業用ハウスや日中の畑で亡くなるのは、暑いと思わないか、思ったとしても「これくらいは大丈夫」と思ってしまうのかもしれない。
どうか、高齢者の家族や近所に住む方は、見守り、助けてあげて欲しい。
高齢者本人が、たとえ「大丈夫だ」と言ったとしても。

私の父も、熱中症で倒れたことがある。
たまたま実家に帰っていた日で、父はいつも夕食前の夕方に入浴していたのだが、浴室で声がして、駆け付けてみると、父は浴室と脱衣所の間で倒れていた。
その時、直ちには熱中症とは判断できなかった。頭を打っているかもしれないし、父は狭心症で手術して通院もしていたし、祖父は私が5歳の頃に脳出血により69歳で他界している。すぐに動かすのは危険だった。
裸の父にバスタオルを掛け、呼びかけると、返事はできた。頭は打っていないと答え、呂律が回らない等の症状はなく、強い頭痛や胸の痛みなども無いようだった。
父はかなりの長風呂だった。熱中症だと思った。
氷水を作り、飲ませた。頭の下にバスタオルを重ねて枕にし、脇の下と足の裏も冷たいタオルで冷やすと、父は気持ちがいいと言った。うちわで風を送りながら、しばらくはその場所で様子を見た。
居間に冷房を付け、父が自分で体を動かせるようになって、肩を貸して居間で休ませた。
父は大丈夫だった。たまたま私が居る時で本当に良かったと思った。

私は中学生以降、父から様々な仕打ちを受けた。実の娘であるのに、敵であるかのように。
私が教員になって15年程経った頃、精神的に追い込まれて心療内科に通って休職することになり、さらに、当時住んでいたアパートの前の住人にストーカー行為をしていた男が、住人が変わったのに私にストーカー行為をし、仕方なくアパートを引き払って一時的に実家に身を寄せることになった時でさえ、父は、私に容赦がなかった。
けれど、私は父を許した。
子供の頃からの辛く悲しかった記憶は1ミリも薄れはしなかったが、高齢の父を恨み続けても、気持ちが楽になるわけではない。

父は、初めてではないかと思うが、私にありがとうと言った。
「あんたが居てくれて良かった」と。

父は、その後、私に対して急に態度を軟化させる、ということは無かったが、何かしてあげると、「ありがとう」を繰り返すようになった。
母には、次は私がいつ実家に帰ってくるかと、しきりに聞いていたという。私は2週おきくらいには帰っていた。

そして、父は、その1年後くらいに狭心症で亡くなった。
私は死に目に会えなかった。
もし、あの時、父が熱中症で倒れた時のように実家に居たら、心肺蘇生法をやれたのに。近所の歯科医に、すぐにAED(自動体外式除細動器)を持ってきて、と叫ぶことができたのに。(私は何度も研修を受け、生徒にも教えていた)
病院で、もう動かない冷たくなった父に一人再会した時、私はベッドにすがって泣いた。
家族皆で「百歳まで生きるよね」と言うほどに元気そうで、急に死ぬなんて、心の準備が全くできていなかったから。

父は、内心はきっと私を愛さないわけではなかったと思う。ただ素直に表現できなかったのだろう。姉に対しては出来たことを、なぜ私に対しては出来なかったのか、それは永遠に分からない。
けれど、辰年生まれの父は、きっと竜神様になって、私を守ってくれている。

写真の竜神様のジグソーパズルは、家を新築した数年後に量販店で見つけ、父のために買ったものだ。
私は、両親の認知症予防に役立つだろうと、両親が60代の頃からジグソーパズルをプレゼントしていた。始めは小さくて比較的簡単なものから、次第に大きな物へ。両親が好きそうな、富士山や桜の風景など。
両親はすっかり夢中になって、寸暇を惜しんで二人で、あっという間に完成させるようになったが、竜神様のジグソーパズルを完成させた後、父は、パズルをするのに疲れるようになったから、もう買ってこなくていいと言った。

父が亡くなって母と二人で毎朝毎夕仏壇に線香を上げる時、毎日色々と父に話しかけた。
「お父さん、明日、野外研修で○○に行くんだけど、天気予報は雨でね、お父さん、何とか雨降らないようにお願いします」
当日、天気予報は変わらずに雨だったのだが、雨は全く降らなかった。
その後も、雨が降ると都合が悪い時に仏壇で父に話すと、天気予報が雨でも、必ず天気に恵まれた。
「お父さん、台風がこっちに向かってきてるから、蹴飛ばして守ってね」
私の住む地域は、毎年台風が直撃し、竜巻で大きな被害を受けたこともあるのだが、父が亡くなって以来、一度も直撃が無い。まっすぐこちらに向かっていた台風が、直前で急にコースを曲げて直撃を免れたことが何度もある。10年間、本当に一度も直撃を受けていない。

だから、私は信じているのだ。父は竜神様になったと。
竜神様と言うのが言い過ぎなら、そのお使い?

父が亡くなったこの家に、一人きりで住んでいても、きっと父が見守ってくれていると思うから、怖くはない。

お父さん、お母さんのことも見守ってね。
私はコロナで会いに行けないけれど、お父さんなら会いに行けるよね。

亡き父に線香を上げ認知症の母を想う2020/07/22

父への献花(造花)
今朝、仏壇に線香を上げていて、ふと思い出したことがある。

季節は今より少し前の、5月か6月の、父の月命日の頃だったと思う。

母には軽い認知症の症状は見られたが、認知症に対してやや知識のある私でなければ気付かない程度のものだった。

私はその頃、市の教育委員会からの依頼で、産休代替で高等学校の講師をしていた。父の月命日が近かったから、私の休日に車で墓参りに行く話をしていた。
父の墓は、車でも10分以上、自転車で20分ほどの場所だった。

仕事を終えて帰宅すると、疲れ果てた母が居た。
押し車を押して歩いて墓参りに行ったのだと言う。
母は、まだ腰は曲がっていなかったし、ちょうど一年前に手術した膝も痛がってはいなかった。
70歳直前まで愛用していた自転車は、引っ越しを機に、もう怖いからと処分していた。
「えー、車で一緒に行こうって言ってたのに」
「うん、そうだけど、影って暑くなかったし」
たぶん母は、休日の私の時間を潰したくないと思ったのだろう。高齢者らしい余計な遠慮をしたのだ。
「でも、歩いたら1時間以上かかったでしょう?」
「うん、かかった」
「押し車を押してあの距離を歩くなんて、疲れて当たり前よ。もう絶対に一人で行ったらだめよぉ」
「うん、もう行かん」
母は、さすがに堪えたらしかった。

普通の判断力があれば、山育ちや農家で日頃から足腰を鍛えているならともかく、散歩や週に2度のスイミング程度の運動しかしていない高齢者が、夏に押し車を押して歩ける距離ではないと分かるはずだった。それだけ、判断力が衰えていたのだ。
けれど、途中で倒れることもなく、往復3時間以上を、よくも自力で行って帰ってこられたものだと思った。
途中で苦しくなり、後悔したに違いない。けれど、ここまで来たら後少し、そう思って、引き返さずに墓地まで行ったのだろう。帰りのことまで考えられずに。行けば、同じ距離を帰らねばならないのだ。しかも、行きの行程と墓の掃除で疲れ果てた状態で。それを為し終えた母の精神力は脅威に値すると思う。
あるいは、初期とは言え認知症により後先が予見できないために、ただ夢中で歩くことができたのだろうか。

父が亡くなった当初は、母はしっかりしていたと思う。けれど、私が実家に引っ越してふた月ほどは、夜に一人で寝るのを怖がり、2階の和室で母と枕を並べて寝た。
私がまだ幼い頃、父が出張で数日家を空けると、母は決まって夜に金縛りになったと昔聞いた。母は、一人暮らしの経験が全く無く、口では父を嫌っていたが、精神的には父に依存していたと思う。

私が母の認知症の兆候に気付いたのは、引っ越しで持ち帰った自分の台所用品を、新築後5年ほどの実家の収納庫に片づけていた時の事だ。調味料や乾物や台所用品など、同じ物があちこちにあった。使用半ばで忘れられたままの物もあった。認知症が始まりかけていると思った。

決定的になった出来事は、ある日、私が近所のドラッグストアに買い物に行ってくると言ったときの事だった。ヘアクリームを買ってきて欲しいと母が言う。
しばらく前にも買っていたので、そんなに早く無くなるはずはないと思い、浴室脱衣場の洗面台を確認してみた。私自身は、2階にある洗面台を使っていたので、浴室脱衣場の洗面台は殆ど使わず、その物入れを開けてみることはあまりなかった。
ヘアクリームは、確かにもう量が少なくなっていたが、ピンク色のヘアスプレーがあった。女性用の、髪形を柔らかいカールに整えるヘアスプレーだ。
てっきり、母が自分のために購入して忘れているのだと思った。
「お母さん、このヘアスプレーは?」
「それは、お父さんに買うてきたとよ」
「これ、女性用だよ?」
「でも、お父さん、毎朝使いよったよ」
私はそれ以上聞き返すことが出来なかった。
ピンクのヘアスプレーを元の場所に仕舞いながら、私は涙をこらえることが出来なかった。

母も以前は、ちゃんと男性用のヘアスプレーを父に買っていた。

父には、亡くなる5,6年年前から既に軽い認知症の症状があった。以前の家では柑橘系の果樹を何本も栽培して沢山の実を成らせていたのに、新築した家の裏庭の砂利の中に甘夏の苗木を植え、肥料も腐葉土も施さず、そのままだった。右と左が分からなくなり、車の運転中に、右よ、と言っても左に曲がったという。死ぬまで、お金には細かかったが。

母も、周囲も本人も自覚しなくても、既に父が居た頃から認知症が始まっていたのだ。だから、父に、若い女性用のピンク色のヘアスプレーを買ってきた。
そして、父は、それが若い女性用とも分からずに、毎朝ピンク色の女性用ヘアスプレーを使ってシルバーグレイの髪を整えていたのだ。女性用だと気付いたなら、短気な父が、「こんな物が使えるか!」と母を叱責しないわけは無かったから。
父は、若い頃からハンサムでオシャレで、高齢になってもダンディだった。毎朝、鏡の前に長い時間立ち、足腰が弱ってからは椅子に腰かけて、身だしなみを整えるのに余念がなかった。

そんな父と母の様子が目に浮かび、涙を堪えきれなかった。

父に疎まれていたとは言え、私がもっと早く気付いてあげたかった。
そうすれば、ちゃんと男性用化粧品を買ってあげられたのに。

私は、涙を拭き、それ以上は母に何も言わずに、新しいヘアクリームを買った。
もう9年も前の事だ。

今月の父の月命日は過ぎたが、もうしばらくするとお盆が来る。
コロナ感染再拡大で、一時期解除されたグループホームの面会も、再び禁止になった。