不本意にもひきこもり状態2020/07/12

梅雨に濡れた柏葉紫陽花(スノーフレーク) 花の時期ももうすぐ終わる
今朝、データ放送で気象情報とニュースを確認するためにTVをつけると、NHKでひきこもり特集のPR番組をやっていた。日本全体で推計100万人のひきこもりが居るのだという。
その100万人の中に、私も入っているのかもしれない。
深刻な8050問題。
私も母は90歳だが、私の場合は、ひきこもって母の庇護下になったわけではなく、母の認知症により介護離職を余儀なくされ、介護以外の社会との接点を失ってしまった。
一度失ってしまった接点を再び取り戻すのは難しい。ひきこもりであっても無くても。

もし社会支援が十分に機能していれば、私は離職する必要は無かったと思う。けれど、日本の介護保険制度は、同居家族がいる場合、補助的な役割しか担ってもらえない。だから、私のように他に家族が居なければ離職せざるをえなくなる。同居家族が居る場合、ホームヘルプサービスも利用できないと言われた。

私は離職前の仕事の関係で介護やそれにかかわる制度の知識が多少はあったけれど、だからと言って、自分の親の介護を一人で担うというのは、並大抵のことではない。
デイケアに通うとしても、送り出すまでには大変な見守りや支援が必要であり、送り出した後に全ての用事や自身の休養を済ませなければならない。送迎されて帰宅する時間には自宅で待機していないと、見守りが必要な母を一人ぼっちにしてしまうことになる。
デイケアは時間の融通が全く利かない。6時間の間にできることは限られている。

6時間もあれば何でもできるでしょ?

6時間は自由時間ではない。母が居る時には出来ない全てのことをしなければならない。洗濯、掃除、買い物、調理の下準備、庭の手入れ、睡眠不足を補う昼寝……。
だから、自分の時間は一切持てなくなる。
2等チョコレート半年分という懸賞に当選し、喜んだのも束の間、不本意にも1等の体験チケット。都市部在住なら自宅に来てくれる体験もあったが、私の住む地域は陸の孤島。電車や車で数時間かけて出かける体験しか選べなかった。他人に譲渡は出来ないので、全くの無駄になった。

母の体調が悪いと、デイケアの利用は断られる。朝送り出しても、体調が悪くなったと電話があれば迎えに行かなければならない。
ショートステイの利用は、1か月前からの予約制で、緊急時には全く役に立たない。予約していても、下痢があるだけで利用を断られる。
それに、母は、ショートステイを嫌がった。寂しかったらしかった。そのことを伝えると、一度はとても母を気遣って声掛けや働きかけをしてくれ、その日は母も帰宅時に楽しかったと話してくれたが、その一度だけで、次には暗い顔で帰宅した。
ショートステイの施設に迎えに行った際、とても寂しそうな不安げな表情を浮かべていた。
進行した認知症の母には、私に用事があっても事情を理解することは出来ない。そんな母は、なぜ見知らぬ場所で見知らぬ人に囲まれて丸1日以上を過ごさなければいけないのか、罰のように感じられたに違いなかった。

介護は辛くない、心がけ次第で楽しく介護できる、そんな世間の風潮が、私は嫌だ。
親の介護なんて、当たり前のことでしょ?
今は昔の大家族とは違う。加えて、近隣の関りも薄い。
認知症が進行した親を子供が一人で介護することは、通常の社会支援があっても、そんなに甘くはない。しかも、十分な社会支援が受けられるかどうかは、地域やケアマネージャーにもよる。苦しんでいる介護者家族が、声を上げにくくなるような事態にしてはならない。

母の体調が悪化して入院するしかなくなり、その後は病院と姉の勧めで母は介護老人保健施設に入ったので、私の介護生活は、週に数回の洗濯物処理と面会、定期的に行われるカンファレンスのみとなった。
けれど、私は自分の体調不良に目をつぶって介護していたためか、次々に病気に襲われた。
一人暮らしのため、体調が悪くても、掃除、洗濯、買い物、食事の準備……全て自分でやるしかない。訪ねてくる人もほぼ居ない。会話は24時間全くない。
このままでは、私自身が認知症まっしぐら。

母が自宅に居る時には、TVは母の好きな演歌番組とサスペンス劇場しか見られず、それらが放送されない時間帯には録画して対応していたが、私自身は演歌もサスペンス劇場も興味は無い。ニュースや情報番組のほか、笑ったりツッコミを入れられる番組を見た。クイズ番組も、たまに見るドラマも、ツッコミどころ満載だ。普段は独り言なんか言わないけれど、あえてTVに向かって声に出してツッコミを入れ、せめてもの会話の代わりにした。ほかにも、「凄いねえ」「可愛いねえ」「辛いよねえ」等々とにかく声に出す。

そんな努力のおかげなのか、あるいは、現役の頃よりは低下しているのか、それは分からないけれど、精神科での発達障害診断時に行った知能検査では、私はIQが高いと言われた。全体では上位6%で、最も高い言語的知能指数は132とのことだった。
初対面の臨床心理士の前で、廊下のざわめきも聞こえる個室で、鉛筆を持つ手が震えてしばらくは名前も書けない状態だったので、もしかしたら、別の環境ならもっと上だったかもしれない。

IQは別にしても、私には現役時の実績があるし、今でも仕事に対する能力には自信がある。パワハラや過重労働で一度は退職を余儀なくされたが、自閉症スペクトラム障害によりストレスを受けやすく、怠慢ではなく体調不良になりやすいのだという事さえ理解してもらえるならば、人付き合いは苦手だが、普通の正社員と同等かそれ以上の貢献ができる。
けれど、「障害者就業・生活支援センター」で勧められたのは、福祉作業所だった。
福祉作業所が悪いと言うつもりはない。そこに通う多くの方々が、喜びや生きがい、誇りをもって作業に励んでおられるだろう。
けれど、少なくとも私にとっては、ベストな選択とは言い難い。

私が福祉作業所を勧められた理由は、ブランクがあるから。
海外では、親の介護もキャリアとして認められるどころか、職業として報酬を得られる国もある。日本はなんと遅れているのだろう。親の介護のために不本意にも離職するしかなかった年配の子供は、もう社会の軌道に戻ることは不可能に近いということなのか。

「障害があるからと言って、何でも考慮されるわけではない。個室くらいなら用意できるだろうけれど、それ以外は無いと思って欲しい。それに、能力があっても休む人より、能力が無くても休まない人の方がいい」
障害者就業・生活支援センター職員のこの発言は、どう考えても問題だと思う。
障害者雇用枠で企業が望んでいるのは、どうやら、安い賃金で従順に単純作業をしっかりこなしてくれる労働力のようだ。自閉症スペクトラム障害が今もまだ理解されていないからなのだろう。自閉症スペクトラム障害者の多くが高い能力を持っているというのに。

政府が、ひきこもり問題や労働者不足の問題に真に取り組むつもりがあるのなら、能力がありながら活躍の場を失っている日本中の多くの無職者に目を向け、公的支援団体や企業に対して理解を深める施策を怠るべきではない。
それは、個人のQOL(生活の質)を高めるだけに留まらない。
労働により社会との接点を取り戻せば購買意欲も増し、消費拡大に繋がり、社会の活性化にも一役買える。労働人口が増えれば国や自治体の税収も増える。

推計100万人のひきこもり者は、適切な支援と理解があれば、社会貢献もできる。
これを見過ごすことは、大きな社会損失でもある。
そのことを忘れてほしくない。

残酷な神の支配するこの哀しい世界に……2020/06/14

黄昏の美しい空
日々のニュースを見るたび、心が痛くなる。知名度も財力も発信力も体力もない私には、どうすることもできないし、世界を変える力になんてなれない。人づきあいや目立つことが苦手な私は、環境活動家のグレタさんのようにもなれない。誰かの協力があれば、もしかしたら何かできるのだろうか。

今一番多くの被害を出している新型コロナウイルス(CVID-19)は、もちろん最大の関心事であり、特に、世界中で起きている高齢者施設や低所得者居住地域での集団感染は、心が痛んでならない。世界が一つになって助け合えたらと思うが、今は先進国も自国のことで精一杯で、時間的にも経済的にも人員的にも余裕がない。
世界には国家予算にも匹敵するような財力を持つ途方もない資産家がいるらしい。貧困層が増える一方で富裕層も増え、国際NGO「オックスファム(Oxfam)」によると、世界の最富裕層26人が、世界人口のうち所得の低い半数にあたる38億人の総資産と同額の富を握っているという。

【参照】
世界の超富裕層26人、世界人口の半分の総資産と同額の富を独占
2019年1月21日 14:19 発信地:ダボス/スイス [ スイス ヨーロッパ ]
https://www.afpbb.com/articles/-/3207339

是非その方々にお願いしたい。どうか世界を救ってください。世界の難民や貧困層に手を差し伸べてください。どうか、経済的な援助を。
だって、お金は天下の巡りもの。それでこそ生きるものなのだから。

世界は混迷を極めている。
黒人問題は歴史が長く根が深い。先住民問題も然り。救いは、世界中で抗議活動が巻き起こっていることだ。日本でも、長く存在しないものとして扱われてきたアイヌ問題に、漸く光が当たり始めている。制度や法律が改進されても、差別的な言動をしてきた人達の心がすぐに変わるわけではないし、時間はかかるだろうけれど、きっと良い方向へと進んでいく。そう願いたい。

台湾や香港、ウイグル問題やチベット問題などのことを思うと心が痛む。
中華思想。かつて中国は確かに世界の中心であったかもしれない。思想や技術や芸術や、日本も含め多くの国がその恩恵に与った。でも、子供達は成長すれば親元を離れて自立するもの。スポーツの世界でも、師を越えることこそが最大の恩返しだと言う。いかに優れた父親でも、いつまでも子供を縛るべきではない。
中国は内政干渉だと言うけれど、それでは、国家権力は自国民に何をしても許されるというのか。国家体制存続のために国民があるのではない。国民の幸せのためにこそ国家はあるべきなのだ。

戦前の日本は、内閣とは名ばかりの軍部の傀儡政権により、世界が変わろうとしていることも気付かずに軍国主義を暴走させ、自国民を犠牲にし、世界中に迷惑をかけ、大きな過ちを犯した。
でもね、日本全土を焦土にした空襲、そして、沖縄、広島、長崎、あれは本当に必要だったの? もちろん、多大な被害をひた隠しにし、勝利のみをアピールして、二つの原爆を投下されるまで暴走を止めなかった軍部が悪い。けれど、空襲や原爆による死傷者の大半は老人や子供や母親達だった。私の父も、中学を卒業して就職した先で東京大空襲にあい、黒焦げの死体の山を縫って逃げ伸び、帰郷すると、今度は延岡大空襲で再び焼け出された。幸い家族は無事だったものの、極貧から死に物狂いで立ち上がらねばならなかった。(父の話はまた別の機会に)
今はアメリカ大好きな日本。複雑な気持ちになる。
でも、もし万が一、日本があの戦争に勝っていたら、今の日本は、そして世界は、大変なことになっていたかもしれない。
その意味では、アメリカに感謝せねばならない。戦時下では様々な理不尽もあったにせよ、アメリカという国が、そして多くのアメリカ人が、基本的には博愛に満ちていたことに感謝しよう。
アメリカにお願いしたい。世界平和の番人たる力を思い出してと。2つの大国に挟まれた日本、過去の過ちを背負った日本には、残念ながらその力は望めないだろう。
どうか、中国と対立する北風ではなく、頭脳と政治力で南風になってください。1位と2位の経済大国の関係悪化は、世界に不幸しかもたらさないのだから。

残念ながら、日本国内でも、この先大きな不幸を招きそうな問題がある。人手不足が進む日本では、都市部に限らず地方でも外国人労働者に多くを担ってもらっている。それなのに、日本では、そうした外国人労働者に対する意識や制度があまりにも遅れている。
かつて日本も貧しいころに、多くの労働者が夢を抱いて移民となり、現地で大変な苦労をしたという。提供された夢の新天地が実は荒れ地やジャングルだったり、差別や偏見を受けたり、現地で国民として受け入れられるまでには苦難の連続だった話も聞く。
だからこそ、外国人労働者に過酷な労働条件を強いたり、賃金を決められた通りに払わなかったり、子供たちが教育を受けられなかったり、そんなことは絶対にあってはならない。日本人と同等にしなければ、日本にとっても外国人労働者にとっても、大きな不幸となる。
国籍に関わらず、誰もが幸せになれる国であって欲しい。世界に誇れる歴史と伝統と文化を持った国なのだから、世界に誇れる幸福の国であって欲しいと切に願う。戦前のかつての日本がそうであったように。

歴史の中で幾度となく繰り返される悲劇。自然災害によるものもあるけれど、戦争や内戦や差別や偏見など人災も多い。日本で平和に暮らせているように感じても、世界のどこかで悲劇が起こっている。
どうして世界は、こうも複雑で悲劇に満ちているのだろう。
世界を複雑にしたのは人間。好戦的で差別や偏見を抱くのも人間自身。でも、人間をそのように作ったのは人間ではない。根底にあるのは、命に刻まれた未知のものへの恐怖らしい。恐怖ゆえに、人はシンプルに平和に暮らすことができないのだろうか。

これまでも、日本はもちろん世界の多くの人達が、自分の命を顧みずに頑張ってきた。ペシャワール会中村哲医師のように。だからきっと、少しずつは良い方向に向かっているはずだと思うけれど、世界は未だ残酷で哀しい。

残酷な神に支配されているとしか思えない、哀しすぎるこの世界。空や海は輝き、山や谷は絶景で、風が吹き、花は美しく、小鳥もさえずる。けれど、この地上に生きる人間達は、どうしてこうも愚かで哀しい生き物なのか。
同じ空の下で、同じ空気を吸い、姿形も大差ないというのに、何を守るために争い傷付けあうのだろう。
どうすれば世界の弱い立場の人々が笑顔で安心して暮らせるようになるのだろうか。
私には分からない。