亡き父に線香を上げ認知症の母を想う2020/07/22

父への献花(造花)
今朝、仏壇に線香を上げていて、ふと思い出したことがある。

季節は今より少し前の、5月か6月の、父の月命日の頃だったと思う。

母には軽い認知症の症状は見られたが、認知症に対してやや知識のある私でなければ気付かない程度のものだった。

私はその頃、市の教育委員会からの依頼で、産休代替で高等学校の講師をしていた。父の月命日が近かったから、私の休日に車で墓参りに行く話をしていた。
父の墓は、車でも10分以上、自転車で20分ほどの場所だった。

仕事を終えて帰宅すると、疲れ果てた母が居た。
押し車を押して歩いて墓参りに行ったのだと言う。
母は、まだ腰は曲がっていなかったし、ちょうど一年前に手術した膝も痛がってはいなかった。
70歳直前まで愛用していた自転車は、引っ越しを機に、もう怖いからと処分していた。
「えー、車で一緒に行こうって言ってたのに」
「うん、そうだけど、影って暑くなかったし」
たぶん母は、休日の私の時間を潰したくないと思ったのだろう。高齢者らしい余計な遠慮をしたのだ。
「でも、歩いたら1時間以上かかったでしょう?」
「うん、かかった」
「押し車を押してあの距離を歩くなんて、疲れて当たり前よ。もう絶対に一人で行ったらだめよぉ」
「うん、もう行かん」
母は、さすがに堪えたらしかった。

普通の判断力があれば、山育ちや農家で日頃から足腰を鍛えているならともかく、散歩や週に2度のスイミング程度の運動しかしていない高齢者が、夏に押し車を押して歩ける距離ではないと分かるはずだった。それだけ、判断力が衰えていたのだ。
けれど、途中で倒れることもなく、往復3時間以上を、よくも自力で行って帰ってこられたものだと思った。
途中で苦しくなり、後悔したに違いない。けれど、ここまで来たら後少し、そう思って、引き返さずに墓地まで行ったのだろう。帰りのことまで考えられずに。行けば、同じ距離を帰らねばならないのだ。しかも、行きの行程と墓の掃除で疲れ果てた状態で。それを為し終えた母の精神力は脅威に値すると思う。
あるいは、初期とは言え認知症により後先が予見できないために、ただ夢中で歩くことができたのだろうか。

父が亡くなった当初は、母はしっかりしていたと思う。けれど、私が実家に引っ越してふた月ほどは、夜に一人で寝るのを怖がり、2階の和室で母と枕を並べて寝た。
私がまだ幼い頃、父が出張で数日家を空けると、母は決まって夜に金縛りになったと昔聞いた。母は、一人暮らしの経験が全く無く、口では父を嫌っていたが、精神的には父に依存していたと思う。

私が母の認知症の兆候に気付いたのは、引っ越しで持ち帰った自分の台所用品を、新築後5年ほどの実家の収納庫に片づけていた時の事だ。調味料や乾物や台所用品など、同じ物があちこちにあった。使用半ばで忘れられたままの物もあった。認知症が始まりかけていると思った。

決定的になった出来事は、ある日、私が近所のドラッグストアに買い物に行ってくると言ったときの事だった。ヘアクリームを買ってきて欲しいと母が言う。
しばらく前にも買っていたので、そんなに早く無くなるはずはないと思い、浴室脱衣場の洗面台を確認してみた。私自身は、2階にある洗面台を使っていたので、浴室脱衣場の洗面台は殆ど使わず、その物入れを開けてみることはあまりなかった。
ヘアクリームは、確かにもう量が少なくなっていたが、ピンク色のヘアスプレーがあった。女性用の、髪形を柔らかいカールに整えるヘアスプレーだ。
てっきり、母が自分のために購入して忘れているのだと思った。
「お母さん、このヘアスプレーは?」
「それは、お父さんに買うてきたとよ」
「これ、女性用だよ?」
「でも、お父さん、毎朝使いよったよ」
私はそれ以上聞き返すことが出来なかった。
ピンクのヘアスプレーを元の場所に仕舞いながら、私は涙をこらえることが出来なかった。

母も以前は、ちゃんと男性用のヘアスプレーを父に買っていた。

父には、亡くなる5,6年年前から既に軽い認知症の症状があった。以前の家では柑橘系の果樹を何本も栽培して沢山の実を成らせていたのに、新築した家の裏庭の砂利の中に甘夏の苗木を植え、肥料も腐葉土も施さず、そのままだった。右と左が分からなくなり、車の運転中に、右よ、と言っても左に曲がったという。死ぬまで、お金には細かかったが。

母も、周囲も本人も自覚しなくても、既に父が居た頃から認知症が始まっていたのだ。だから、父に、若い女性用のピンク色のヘアスプレーを買ってきた。
そして、父は、それが若い女性用とも分からずに、毎朝ピンク色の女性用ヘアスプレーを使ってシルバーグレイの髪を整えていたのだ。女性用だと気付いたなら、短気な父が、「こんな物が使えるか!」と母を叱責しないわけは無かったから。
父は、若い頃からハンサムでオシャレで、高齢になってもダンディだった。毎朝、鏡の前に長い時間立ち、足腰が弱ってからは椅子に腰かけて、身だしなみを整えるのに余念がなかった。

そんな父と母の様子が目に浮かび、涙を堪えきれなかった。

父に疎まれていたとは言え、私がもっと早く気付いてあげたかった。
そうすれば、ちゃんと男性用化粧品を買ってあげられたのに。

私は、涙を拭き、それ以上は母に何も言わずに、新しいヘアクリームを買った。
もう9年も前の事だ。

今月の父の月命日は過ぎたが、もうしばらくするとお盆が来る。
コロナ感染再拡大で、一時期解除されたグループホームの面会も、再び禁止になった。

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