竹内結子さんの死に思う2020/09/27

2020/09/27 17:28撮影 月齢9.6 月出15:25 月没00:40 
朝起きると、TVのデータ放送で天気情報とニュースを確認するのが日課なのだが、人気俳優の竹内結子さんが亡くなり、自殺と思われるというニュースに衝撃を受けた。
昨年結婚して今年出産して、普通に考えれば幸せ一杯のはず。
けれど、もしかしたら、誰もがそう思うことに落とし穴があったのかもしれない。
私には、人気俳優である竹内結子さんの生活や内面は推し量りようも無いけれど、マリッジブルーやマタニティブルーという言葉もある通り、幸せなはずの出来事は、実は大きなストレスにもなる。
周囲に幸せだと思われている時に、悩みがあるとは言いだしにくいだろう。幸せそうに振る舞わなければと思うかもしれない。

私は若い頃からあまりTVを見なかったし、芸能界にそれほど関心は強くないけれど、竹内結子さんというと映画「いま、会いにゆきます」の印象が強い。その印象とは全く違うタフな役柄の主演作もあり、最近TVで目にした時には、何だか痩せて疲れが顔に出ているように感じたけれど、TVのコメンテーターもそんなことは言わなかったので、私の勘違いかなあと思っていた。

最近、芸能人の自殺が多い。
報道はされないけれど、一般人の自殺も再び増加傾向にあるようだ。
平成23年までは毎年3万人を超えていた自殺者数は、自殺防止の様々な取り組みが功を為してか、減少傾向にあったのだが、おそらくはコロナ禍が影響して増加に転じたのだろう。

猛暑の頃には、熱中症による死者が大変な数になった。
2010年以降毎年千人を超えていて、特に熱中症死者数が多い東京都では、8月18日現在の8月のコロナ死亡者9人に対して、熱中症死亡者は10倍以上の103人だったらしい。
   https://www.asahi.com/articles/ASN7W35BNN7KUTIL04F.html#:~:
   https://news.yahoo.co.jp/articles/72168d43c658736ad92e7ae528bf9f77d5e22ff7

新型コロナウイルスによる死者数の合計は、国内とクルーズ船を合わせて本日時点で1,563人。
対して、自殺者の数は、8月だけで全国で1,854人。

熱中症や自殺による死者数は、新型コロナウイルスによる死者数を遥かに超えているのだ。

   ※ 新型コロナウイルスによる死者数は「特設サイト 新型コロナウイルス」による
   https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/
   ※ 自殺者数は厚生労働省のホームページ掲載の資料による。   
   https://www.mhlw.go.jp/content/202008-sokuhou.pdf
   ※ 熱中症死亡者の統計……総務省消防庁
   https://www.fdma.go.jp/disaster/heatstroke/post3.html


コロナ禍で、孤立する人が増えてしまった。
熱中症は猛暑が原因ではあるけれど、自宅や畑や農業用ハウスで亡くなる高齢者の数は、声掛けによって減らせたかもしれない。冷房を付けよう、暑い時間の外出は危険だと声を掛けることで、少しは減らせたかもしれない。

自殺者の数の多さも、コロナ禍による失業で衣食住に困ったとしても、孤立せずに繋がりがあれば、守れた命があったかもしれない。生活に困っていなくても、孤立は人を絶望に追いやるに十分だ。私自身が、孤立により、生きることに何の希望も見いだせなくなったように。


私は、10年前、仕事の傍ら週末に大学で半年間の講習を受け、「地域QOL推進委員」の認定を受けて、「自殺防止フォーラム」にも参加していた。
「自殺防止フォーラム」は、大会を終えた後、形を変えて現在も続いているのだが、私は今は参加していない。その理由は、参加者たちの姿勢と取り組みの方向性に疑問を持ったことと、自殺者を救おうとしているはずの人達からの心無い言葉によって傷付いたからだ。

20年近く教員をしていた間、自分の担任クラス以外の生徒からも悩み相談を受けたし、たくさんの手紙をもらったし、教員を早期退職してからも、たまたま入院した先で同室になった人から悩み相談を持ち掛けられたりした。

自分自身が幼い頃から辛い思いをして、何度も死にたいと思ったから、たぶん心が傷付いている人に寄り添うことができるのだと思う。
私自身が、担任からの心無い言葉に何度も傷つけられたから、私は、どんな生徒も否定せず、頭ごなしに自分の考えを押し付けたりせず、まずはその生徒の話を聞いた。

「話してくれてありがとう。家でもクラスでも辛い思いをしているんだね。いつも傍にいることはできないけれど、私はあなたの味方だよ。私に何か出来ることはある? 担任の先生に私から話してみようか?」
隣のクラスの生徒が放課後に相談に来た時、話を聞き終えて、私はそう言った。
「いいえ、大丈夫です。先生が話を聞いてくれて、味方だと言ってくれただけで気持ちが楽になりました」
生徒はそう答えた。
「辛くなったら、またいつでも相談してね」
私はそう声を掛け、その生徒は無事に卒業していった。

それから10年程経って、私は仕事に行けないほど精神的に苦しくて、なぜ苦しいのか自分でも分からなかったのだが、たまたま近くに精神科の病院があったのでHELPの電話をして、電話の先でも緊急性を察知してくれたらしく、他の患者と会うことの無いように時間を設定されて、すぐに受診できた。

最初の質問はこうだった。
「今いちばん苦しいことは何ですか?」
私は自分でも何が苦しいのか、なぜ苦しいのか、全く分からないままに受診したのだけれど、その質問に、考えるより先に言葉が自然に口から出ていた。
「私は小学校の頃から学校で苛めや仲間外れにあっていて、そのことを両親に言えませんでした」と。

その時の会話を今も詳しく覚えている。ここでは関係が無いから省略するけれど、その精神科医の先生は、傾聴と受容の姿勢を見せてくれて、私は安心して話すことができ、薬が処方された。

その2週間くらい後にも再び受診して、副作用が無い一番軽い睡眠薬も処方された。
「目が覚めないかもしれないと不安だったら、翌日に仕事が休みの週末に試してみてください」
私は、言われた通りに週末に試して、予定時間より遅くに目が覚めはしたけれど、ベッドからずり降りたまま、強烈な頭痛と止まらない吐き気で動けずに、何時間も苦しんだ。

その後、私は養護教諭に相談して、心療内科クリニックを受診することになった。当時の精神科病院は、古びて外壁には雨による黒いしみが流れていて陰鬱で、気軽に受診できる感じではなかったのだ。今ではその精神科病院は明るく開放的なデザインに改築されて受診しやすくなったけれど。

通院し始めた心療内科クリニックの医師は、なぜそんな話をするのか意味不明な漫画などの雑談をしたりした。受診するたびにカウンセラーと話もしなければならず、ある時思い切って誰にも話したことの無い悩みを打ち明けた。
その時のその女性カウンセラーの対応に、私は話したことを後悔した。
「そんな人もいますよ」
私の話を聞き終えて、開口一番それだけだったのだ。
今から20年程前の話で、その心療内科クリニックは、現在は無い。

どんな悩みも、世の中には同じ悩みを抱く人がいるかもしれない。けれど、だからといって救いにはならない。
勇気を出して話した患者(相談者)に対しては、まずは「話してくれてありがとう」だと思う。そして、「ずっと苦しんできたのですね」と、相手の苦しみや辛さに寄り添う。それが無ければ、相談者は、相談した事で何一つ救われない。


話を10年前に戻そう。
参加していた「自殺防止フォーラム」の大会が終了し、その後の会の在り方が、定例会を続けて検討されたのだが、誰もが自由に集える場所づくりの方向で話が進んでいた。
私は、そこに集って仲間ができた人の自殺防止にはつながると思うけれど、既に深刻な悩みを抱えている人は、そんな場所には行けないし、自殺を考えている人は自分の心を隠して普段通りのように振る舞うと伝えたけれど、耳を貸しては貰えなかった。
定例会議参加者の大半が、別の公的な役職を持った人達で、悩みを抱えて死すら思う人に本当に心から寄り添おうとしているようには、私には思えなかった。

私は当時、認知症の疑いのある母と同居しはじめて間もない頃で、仕事もしていたし、夕食後に定例会議に参加するのは簡単ではなかった。ある日、会議場所変更のメールがあり、私は慣れない場所の駐車場の入り口が分からずに、時間に遅れてしまった。
「ふつう入り口が分からないなんて有り得ないでしょう?」
冷たく投げつけられた言葉。
ああ、やっぱり、この人達は、肩書のために活動実績が欲しいだけの人達なんだ、そう思った。

その後から、私はその定例会に行けなくなった。集いの場所も決まり、名称も決まって、その都度メールで連絡は来たけれど、私は一度も行けていない。親しくなった人達が、ワイワイガヤガヤ楽しんでいる中に、傷ついた心でどうして入って行けようか。

子供や芸能人の自殺が報じられるたび、一人で悩まずに「いのちの電話」やLINEなどに相談するようにとコメントされる。
けれど、例えば「失業してお金が無くて衣食住に困っている」とか、「虐待を受けているから保護して欲しい」とか、具体的に話すことができて何らかの対処ができそうな悩みならば、助けを求めやすいかもしれないけれど、悩みの多くは、簡単に話せるような内容ではないと思う。
深刻であればあるほど、家族や友人も含めて他人には話しにくい。多くの場合、話しても分かっては貰えないと思っている。
実際に相談したのに、軽く受け流されたとか、逆に説教をされたとか、苦い思いをした人もいるだろう。

私は、小学校、中学校、高校と、学級担任でさえ寄り添ってはくれず、話を聞こうとさえしてくれず、放置された経験がある。
目の前に居るプロのカウンセラーに話してさえ後悔したことがある。発達障害者支援センターに電話をした時も、あまりに事務的な対応に、1か月先の予約を取って相談しに行きたいという気持ちにはなれなかった。地域包括支援センターに電話をしても相談を拒否されたし、障害者就業・生活支援センターでは心無い対応をされた。
社会のシステムは、昔に比べれば、共生へと進んでいるけれど、そのシステムを運用するのは人間であり、人は必ずしも優しくは無いし、自身が苦労をしてまで見知らぬ誰かに寄り添おうとはしてくれないことの方が多い。
そんな経験から、顔も見えない、どんな人かも分からない人を信用して、いきなり悩みや苦しみや辛さを相談したりなんて、私には、もうできない。だから、私からも、見知らぬ人に、「気軽に相談してね」なんて安易には言えない。

一人で苦しんでいる人の重荷を、どうしたら軽くしてあげられるのだろう。
話だけでも聞いてあげたい。
解決策は提示できなくても、一緒に考えてあげたい。
心からそう思う。

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