タブレットでイラストを描きた~い!2021/02/21

パステル画ほかを縮小にてご紹介
私は物心ついた頃から絵を描いていて、
幼稚園の頃には鉛筆ダコが出来ていたくらいでした。

中学1年までは、
余った普通のノートに、イラストや物語を書いて学校に持って行き、誰かに見せると、ノートはいろんな人を回って、放課後に返ってきてました。

中学1年が終わると、
美術の授業のスケッチブックの残りがあったので、宿題をしているふりをして絵の具でカラーイラストを描いて、翌日学校でクラスメイトに見せる、という日々を送り、

高校では、
美術の先生に
「君は物を見る目がある。美術部に入りなさい」と勧められるも両親に許してもらえず、美大進学も考えたけれど、担任から「美術部にも絵画教室にもいってないから無理」と言われ、
学費の関係で「教育特別奨学金」制度のある教育学部に。

つまり、イラストも文章も全くの自己流。

最近は、若い漫画家やイラストレーターは、クリエーター用のタブレットで描かれる方も多いようですね。
プロじゃなく趣味の方でも。

私も、イラストが描けるタブレットが欲しいなあと、随分前から思ってはいたんです。

昔、〇〇ソフトラボラトリーの描画ソフトを何度か買って、〇コム社がパソコンに繋いで使うペンパッドを発売するにあたってハガキ大の物を特価で優先販売するというので購入したけれど、私の持っていた〇ャープのノートパソコンには繋いでも作動せず、大金をどぶに捨ててしまった苦い経験が……。

なので、仕方なく、マウスを使って気長にポチポチ描いてました。
細かい部分は拡大して、点描レベルで描いたり消したり。
フロッピーやMOに保存していた物は、残念ながら、もう開くこともできませんが。

最近、ネットで調べたら、イラストの描けるタブレット、通販では思っていたよりも安かったです。
でも、種類が色々あるし、初心者用とか書いてあっても、よく分かりません。
タブレットとは別にソフトも買わないといけないんですよね。
どなたか教えて下さ~い。

参考までに、手元にあった自作をいくつか縮小して添付してみました。

大半は、人に上げたり、紙がしわになって駄目になったりで、ボードやハガキに描いたものくらいしか残ってないです。
そういえば、スクリーントーンを貼ったモノクロイラストや、生徒に頼まれてセル画も描いたんでしたけど。

1~3はキャンソンボードにパステル(デジカメ撮影)
4はマーメイドボードにパステル(数日前に2時間で描いたラフをデジカメ撮影)
5,6は水彩色鉛筆 (スキャナー)
7、8はアクリル顔料で水彩画風に(スキャナー)
9はキャンソンボードにアクリル顔料で油彩画風に(デジカメ撮影)
10はろうけつ染め(デジカメ撮影)
残りの番号無しが、パソコンでマウスを使って描いたもの

タブレットでイラスト描きた~い。
でも、もし買えても、操作方法を覚えるのが大変そうです。
せっかく買っても、使いこなせないかも……。

教えて下さる方、コメントお待ちしてます。m(_ _)m
もちろん、それ以外も大歓迎です!!

ちなみに、イラストは、以前に別の用事でデジカメ撮影やスキャニングしてデータ保存していたもので、今回わざわざではありません。

メジロちゃんペア💗になる!!2021/02/19

昨日と一昨日は雪混じりの強風でしたが、今朝は眩しいほどの晴天微風にメジロちゃん再来!
しかも、結婚相手を見つけてペア💕
メジロちゃんおめでとう!!

日差しが強すぎて逆光でよく見えず、おまけに動き回るので、なかなかツーショット写真は撮れず、とにかく撮りまくったら、写りは良くないけれど、撮れました!

メジロちゃんペアは、梅→ボケ→椿→梅と花の蜜を吸いながら一緒に楽しそうに飛び回り、シャクナゲの枝へと飛んでいって休憩した後、どこかに飛んでいきました。
他の花の蜜を捜しにか、お家に帰ったのかな。

左の写真は、残念ながら1羽しか見えません。
中央の写真は、上下のツーショット。
右側の写真は、ペアで上下に写っているけれど、下左は逆光で暗くなって見えにくいです。
望遠はできるけれど、数万円台の安いデジカメなので。
スマホのカメラは高性能のはずだけれど、慣れなくて(^^ゞ

雪混じりの強風は2日間吹き荒れて、金柑のネットが吹き飛ばされたけど、枝に引っかかっていたので無事回収。
昨日の早朝、熟した金柑はヒヨに食べられる前に収穫したので、今朝はヒヨは早朝に来たきりでした。金柑が無くてがっかりしたかな?

梅の花にメジロちゃん💗2021/02/13

梅の花の蜜を吸いに来るメジロちゃん
ずいぶん長くお休みしてました。

年末から鬱になり(二次障害の双極性障害で)、1ヶ月ほど無気力が続いて、小説の執筆もぱたりと止まってしまったくらいで。
好酸球性副鼻腔炎が悪化して、喘息の発作も出て。

そんな中で、久しぶりの明るいニュース🥰

節分の日に庭の梅が一輪咲き、数日後に花数が増えると、メジロが蜜を吸いに来るようになり、超かわいい💗 

毎朝10時頃に来るようですが、花から花へとちょこまか飛び移り、カメラを構えても上手く撮れません。蜜柑🍊でも刺しておくと、少しはじっとしていてくれて良いのは分かっているのですがね。

昨日の朝、鳴声に気付いて慌ててガラス窓越しにデジカメの望遠で撮影。
次はもっとうまく撮りたいな。

ヒヨドリが来るとメジロは逃げてしまいます。
甘い金柑を狙って金柑の木に被せたネットに侵入しては出られなくなって大騒ぎするヒヨ。
仕方なくネットを開けて出してやろうとするのに、バタバタと上へ上へと逃げるので出られない。下の隙間から入ったくせに、おバカです。

ヒヨ君、メジロちゃんを脅かさないでね。

今朝は、雨でメジロは来なかったけれど、雨を物ともせずにヒヨドリは梅の花に飛んできて、騒ぐ鳴声に窓を開けたら逃げていきました。

世界はこのまま地獄へと向かうのか2021/01/07

最近、ニュースを見るのが怖い。

権力にしがみつこうとするトランプ現大統領は、自分の支持者を呷って、自国アメリカの誇りを、これ以上ないくらいに貶めた。
歴代大統領にも諫められ、
「しまった、やり過ぎた」と思って「帰宅せよ」と呼び掛けるも、次期バイデン氏へ政権移行する気は全く無いらしく、あくまで自分達が正しいという姿勢は崩していない。
恥の上塗りだって事が分からないくらいに、権力欲にまみれているらしい。

常識的なアメリカ国民の落胆を考えると、本当に辛くなる。
アメリカの政治情勢は、日本の政治経済を左右するから、対岸の火事では済まされない。
今後が甚だ不安だ。


それから中国。
香港市民の絶望は、全世界の絶望でもある。

中国の気持ちは、分からないではない。
今の日本があるのも、昔に中国が偉大な文明を開いたから。
古代の中国が様々な面で世界の発展に貢献した事は確か。

けれど、以前の記事でも書いたけれど、偉大な父親なら、息子の自立は認めようよ。
いつまでも「誰がお前のオムツを替えたと思っているんだ!」みたいな低次元の締め付けは恥ずかしいよ。
目を覚ませよ、中国。
偉大な国との自負があるなら、今の行いは情けなさすぎる。


アメリカ合衆国と、中華人民共和国。
この二大国家が今のありようでは、世界は地獄に向かうしかないのではないか。

そうでなくても、新型コロナウイルス感染拡大で、全世界が苦しんでいるのに、低次元な権力誇示は、世界をますます不幸にする。

救いなのは、欧州諸国の政治リーダーが、今のところは正しい民主主義の視点で批判してくれている事。
残念ながら、我が日本は、あまり期待が持てない。

日本のリーダー達よ、
アメリカや中国の人口には遠く及ばなくても、1億の人口があるのだし、中国に追い越されたとは言えまだ世界第3位の経済大国なんだから、もっと自信をもって行動し、発言しようよ。


世界がこのまま地獄に向かうことの無いようにと、
ただ祈るしかない底辺の庶民のつぶやきは、
何処にも届かないけれど。

1都3県緊急事態宣言はザルで意味がない2021/01/07

私は、昨日も今日も朝がなかなか起きられず、自閉症スペクトラム障害二次障害の双極性障害の鬱で一日中眠くて思考停止だし、好酸球性副鼻腔炎が少し悪化して頭痛はするし、喘息の咳は出るし、最悪の状態。

それでも、ブログを書こうとしているのは、今朝、10時半に起きて、TVのニュースを見たら、呆れて我慢できなくなったから。

私は、度々、政府のやり方を批判してきたが、約1か月前の12月2日にも、「新型コロナ、政府への提言」として以下のような内容を書いている。

「65歳以上の高齢者と基礎疾患のある人のGo To トラベル停止または自粛というのは、本人たちの感染を予防する意味しかない。若い人たちがGo To トラベルによって移動すれば、移動した先で感染拡大を引き起こす。その対策は全く考えられていない。」

結果は、その通りとなった。
首都圏の感染爆発は止まらず、Go To トラベルで来県した若い世代を発端にした感染爆発が止まらず、我が県では、日々感染者数最多を更新し続けている。1都3県に次ぐ感染爆発で、昼にはとうとう県独自の緊急事態宣言が出された。

実は私、こうなる前の昨日、ニュースを見て泣いたよ。
現実に起こっている事態が、あまりにも恐ろしいので。
欧米諸国に比べれば、まだまだ少ないと高をくくっているのかもしれないけれど、世界最高水準の医療機器や医療技術を持ちながら、実は医療体制が極めて脆弱であることを、多くの人は知らないのだろう。
日本は、過去のサーズなどの感染被害を幸運にも免れた為に、医療体制が見直されないまま、新型コロナウイルスに向き合わなければならなくなったのだ。

国は、この期に及んでも、まだ甘い考えを捨てきれていない。1都3県の緊急事態宣言と言ったって、飲食店を含む営業時間の短縮(午後8時まで)で1都3県の住民に外出自粛を要請する一方で、県をまたぐ移動は制限しないと言う。
アホですか!!!!
県をまたいで他県の営業している店舗に行くに決まってるじゃないですか。
いい加減に、自粛要請じゃなくて、強制力を持つ実行力を持つ政策を打ち出してくれないと、本当に大変な事になるよ!!!

私がブログに何を書こうと、政府には届かないのは分かっている。
私が不甲斐なく思うのは、私程度でも分かることを、政府のブレーンが分からない事だ。或いは、ブレーンは分かっていても、政権側が聞く耳を持たないか。
おそらく後者だろう。いくら何でも、私程度で分かることを、政府のブレーンが分からないはずは無い。

ザルでしかない1都3県の緊急事態宣言は、あまり意味がなく、大した効果はないだろう。
効果が現れるにしても、物凄く時間がかかるはずだ。1ヶ月程度では何も変わらない。感染者も死者も増え続けるだろう。軽症と判断されて入院も出来ずに自宅やホテルで急変して無くなる方も、現時点で少なくとも120人らしいけれど、もっと増えてしまうよ。

順番を間違っているよ。
顔色を見ながらじわじわ初めて、状況を見て後から厳しくするつもりなら間違いだよ。
一気に厳しい政策を出して、状況を見て少しずつ緩めるのが正しいやり方だよ。

政府よ、もう一度真剣に考えて欲しい。
今成すべきは何かを。

新型コロナ、政府は悪者になる覚悟を持て!2021/01/05

暫く政策批判を避けていたのは、私などが書いたところで誰の耳にも届かないというやりきれなさと、圧倒的な孤立状態による精神的不安定によるものだ。

コロナ禍で誰だって孤立しているよ、と思われるかもしれない。会いたい人に会えない孤立と皆が闘っていると。
小学4年生の頃から世界に絶望していた私の孤独を理解できる人は少ないだろう。誰からも理解されず、だから、普通の社会生活を送る為には自分を偽るしかなく、悩みも愚痴も哀しみも、ただ自分の中で抱え込むしかない孤独。

私は、年末年始、こらえきれずに何度か泣いた。けれど、泣いても慰めてくれる人も肩を抱いてくれる人もいないし、涙を流すことで感情が浄化されることもない。そんな浅い涙ではない。
絶望と孤独の縁でも、私は一人で立ち直るしかない。


TVなどで、著名人が政策批判をしても何も変わらないのだから、フォロワーが2人しかいない私が何を書いても何処にも届かず、誰の目にも留まらないのは明白。
その上、精神的にどん底となった私は、暫く創作もできていない。ただただ眠く、意欲も沸かず、無理して文章を綴ってはみたが、やはり納得できるものは書けなかった。

それでも、再び政治批判の記事を書くことにしたのは、政府の不甲斐なさに我慢できなくなったからだ。

政府には、悪者になってでも「日本を、国民を救わなくては!」という気概がない。
次の衆議院議員選挙で勝たなければ、と思っているし、次の政権も狙っているから、目先しか見ていないのだ。

見るべきは「今」であり、数か月後とか1年後とかではない「もっと先」なのに。
「目先」に捕らわれるから、責任の擦り付け合いをする。責任を認めると、次期政権を執れなくなるかもしれないから。

残念なことに、日本にはびこる同調圧力は、自民党内にもはびこっているようだ。少しでも尖がると叩かれる。出る杭は打たれる。
申し訳ないけれど、私はS氏が新しい首相になった時、自民党にがっかりした。もとからアンチ自民だけど、他にもっと適任がいたし、自民党員も分かっていたはずだ。本当の適任者が選出されなかったのは、いわば同調圧力みたいなものが働いたからだと私は考える。或いは、立身出世しか考えない無能の集まりであったのか。

経済を止めない為にGo toも止めず、緊急事態宣言も出さなかった。
けれど、Go toを押し進めようが、緊急事態宣言を出し渋ろうが、感染拡大すれば、経済は停滞し、倒産や失業は増大するのだ。

政府は、甘く考えているのではないか。
たとえ一時的に倒産や失業が増えても、ワクチン接種が進み、いずれは特効薬も実用化されるなどしてアフターコロナとなれば、すぐに挽回できるなどと考えているとしたら、考えが甘すぎる。

倒産や失業については、統計に上がっている数は実は氷山の一角に過ぎないはずだ。統計上の数字よりどれだけ多くの倒産や廃業があるか、解雇や雇い止めなどの失業がどれだけあるのか、実際の数字は分かっていない。

一律配布された10万円の大半が預貯金 (タンス預金も含めて)になったという推計もあるようだ。
10万円をもらわなくても困らなかった人もいただろうが、先が不安だから、今を我慢しても10万円を消費に回すより将来に備えたかったのだ。
事業や店を止む無く廃業した人や、1日1食で耐え忍んでいる人、雇い止めで従業員用アパートなどを追い出されて住む場所さえ失った人、そんな人達が存在することを、見過ごすべきではない。
そして、軽症と判断された比較的若い世代が、入院できない為に自宅で急変して死亡したり、感染確認される前に死亡したりしている現実。


かつての日本が、短期間で高度経済成長を成し遂げ、消費が美徳とされ、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国となり得たのは、一億総中流と言われたほどに国民が豊かさを感じられたからだ。
少し頑張れば収入を増やすことができ、欲しいものを買うことができ、豊かな生活を得られると希望を持て、実際に多くの労働者が細やかな豊かさを享受できた。

コロナ禍にあっても経済的打撃を受けていない会社や個人もあるだろう。日本にはスラムが無いとされてきたけれど、経済の二極化が進めば、持つ者と持たざる者の格差はますます広がっていく。そうなると、経済発展は望めなくなる。
不安や絶望が拡大すれば、多少の収入があっても、それを消費には回せない。将来に希望が持てなければ、それは仕方のない事だ。

倒産や廃業が増え、雇い止めや早期退職や人員整理で失業者が増えれば、人々の不安や絶望は拡大し、購買力は低下する。アフターコロナになったとしても、すぐに新しい会社や店ができたり、一気に雇用が回復したりするわけではない。
底力を失えば、経済的にも精神的にも、立ち上がるのに時間がかかる。一般大衆の購買意欲が低下したままでは、経済が活性化するのも難しくなる。コロナ禍で住む家や食べ物の心配をしなければならない人が溢れる中では、一部の富裕層がいても経済活性化には繋がらない。

だから、今守るべきは、倒産や廃業に追い込ませない事。失業させない事。その為には、経済活動よりも感染拡大を止める事を最優先とするべきで、予算をどれだけ使おうと、休業要請する飲食店だけではなく、イベント業やスポーツクラブ等の経営が困難となった事業所や従事者、誰一人取りこぼすことのない経済的な補償をすべき。

多くの政治家や大企業や大企業の役員や、経済的に打撃が無い人達は、身銭を切っても社会の底辺で苦しむ人達を助けるべきだ。今は苦しんでいるそんな人達に、自分達の政治活動や経済活動が支えられてきたことを自覚すべきだ。

同調圧力や自粛を頼みにするのではなく、強い政治判断で、選挙だの次の政権だの考えず、今できることを全てやって欲しい。
経済界に圧力をかけられようが、時期選挙に負けることになろうが、悪者にされようが、国民に恨まれようが、一番大切なのは、感染拡大を止める事。どんなに予算を使ってでも。

これ以上は一件の倒産や廃業も、一人の失業者も出さない、感染も抑え込む、その強い意志を持って政治に臨んでほしい。

たとえ悪者扱いをされても、政治生命をかけて国民に向き合ってほしいと願う。

新年おめでとうございます2021/01/01

新年おめでとうございます
コロナ禍だし、あまりおめでたくはないと言う方もおられるかもですね。
私自身も全然おめでたくはないけれど、地球が無事に新年を迎えられたことに感謝を。

変異ウイルスの猛威もあり、感染拡大に歯止めがかかりませんね。医療従事者の皆様の捨て身の努力により何とか持ちこたえられていることに、心からの敬意を。

ワクチンも次々に承認を受けて、日本でも2月から接種が始まるとか。
特異体質の私はワクチン接種は無理ですが、
ワクチンの効果で一日も早く今の状況が改善され、世界中の人達が、安心して楽しい日常に戻れますように。

私の母は要介護5となって自宅介護が不可能となり、令和元年11月半ばにグループホームに入りました。
その後、インフルエンザ予防の為に面会ができなくなり、次には新型コロナウイルスで面会禁止となり、もう1年以上母と会えていません。

世界が平和になりますよう、心からの祈りを。

そして、数年に一度の最強寒波が来襲中ですが、豪雪地帯の皆様、どうぞこの冬を無事でお過ごしください。
雪の無い地域でも、どうぞ寒波にお気を付けください。

穏やかで暖かな平和な春を待ち望んで。

寒波に思う母の入浴2020/12/26

昨年は暖冬と言われ、それでも寒いと思ったけれど、今年の寒波は数年に一度の最強寒波らしい。
雪で関越自動車道に取り残された車に乗っていた人達からは、体調不良者は出ても、どうやら死者は出なかったようでほっとしたけれど、屋根からの落雪や雪かき中、雪下ろし中の事故などで、何人もの方が亡くなられたことは、本当に痛ましく思う。
私などは、雪国ではないので、たまに雪が降っても、少し交通が麻痺する程度だけれど、雪国に住む方は、この冬をどうか無事に過ごしてほしいと願うばかり。

雪は滅多に降らない地域に住んでいるけれど、それでも、冬のこの時期は、近くの山から吹き下ろす北風で、外は凍える寒さとなる。
特に、冬の夜の浴室は寒い。

母の介護をしていて、母が一人で入浴できなくなり、始めは一緒に入浴していたが、それも無理になって、私はTシャツ短パンの軽装で母を入浴させ、身体を拭き、髪を乾かし、服を着せた。
冬、風呂場が寒いと母が何度も言った。確かに、その年の浴室は、例年になく寒かった。
窓の外を北風が吹き抜け、保温にしてもお湯がすぐに冷めて、浴室の床は冷たくなり、お湯に浸かっていないと体が凍えた。

家を新築する際、母は浴室暖房乾燥機を希望したのだが、父が不要だと言った為に、うちの浴室は温めることが出来なかった。
私は、母の為に、浴室と寝室のリフォームを計画し、住宅業者に相談した。
ところが、業者は忙しかったのか、リフォームはあまり儲けにならないと考えたのか、全然返事をくれなかった。

母がデイケアに行っている時間を利用して、私は再度業者に連絡し、その業者も含めて4業者に見積もりを取り、計画を進め、業者を決定しようとしていた矢先、母の健康状態が急激に悪化した。認知症も急速に進んだ。

もういよいよ救急搬送しかない状況に追い込まれ、私は半分泣きながら姉に電話し、母は、救急搬送先での入院を余儀なくされた。
病院は、完全看護と言いながら、介護の面は全く不十分だった為に、私は毎日病院に通い、病院の不足を補った。住宅リフォームどころではなくなった。
業者には、訳を話して計画を中断した。

その後、母は、一度は退院して自宅に戻ったが、体調悪化によりデイケアに行っても帰されたり、ショートステイも断られたり、認知症の進行により母がデイケアに行きたがらなくなったり、私が毎日一日中母の介護をするようになった。
私は、夜も母に付き添い、ほぼ寝る時間もなくなった。

母が一旦回復して自宅に戻った為に、姉は心配いらない状況になったと思ったらしく、姉に電話をしても状況を理解しなかったのか2週間たってもそのままだった。
いよいよ困り、再び半泣きで姉に電話した。母を私一人で隣の市の認知症専門病院に連れていくことは不可能だったのだ。

母はそのまま入院した。
私は、母が再び自宅に戻る日の為に、中断していたリフォームを再始動した。
相談相手も無く、全て一人で考え、調べ、交渉する。
それは大変ではあったけれど、その最中は、ただその事だけに集中すれば良かった。
哀しみも苦しみも置き去りにして。

業者を決め、リフォームの詳細を決め、渡されるカタログから部品や製品を選ぶ。日程を調整し、工事開始日と終了予定日を決める。
リフォームに関わる室内外の荷物の片付けと、庭木などの整理。テラス設置場所の庭木の撤去を業者が出来ないと言うので、年末、私が自分で撤去した。作業着と防寒着を着て、ノコギリで切ってスコップで根を撤去した。

リフォーム中は、極力、作業を見守り、時には簡単な手伝いもし、1日に2回のお茶とお菓子を出した。作業を見守った理由は、目を離した間に手抜き工事をされては困るからだ。正解だったと思う。
新築後十年ちょっとの住宅だったが、台所のリフォームでシンクを撤去したところ、間違って開けられた穴が、塞がれないまま残っていた。同じようなことがあっては困る。

私が片時も目を離さないとも言えるくらいだったので、工事担当者はやりにくかったかもしれないが、お茶やコーヒーやお菓子は存分に出し、親しく会話もし、大工さんや壁紙屋さんや左官屋さん達の技術は惚れ惚れするほど素晴らしく、私が感嘆の声をあげると、とても喜んでくれた。
だから、細かいところも注文することが出来、一生懸命に私の注文に応えてくれた。

毎日のリフォーム作業後、掃除はするけれど、室内は埃っぽく、私がもう少し年をとっていたら、見積もりや計画や荷物整理ももちろん大変だったけれど、埃にまみれた生活と、作業中の騒音に、きっと耐えられなかったと思う。今なら、もう耐えられない。

リフォームに当たっては、工事車両や騒音など隣近所に迷惑をかけるので、事前に挨拶に行ったが、
「お母さんの為にそこまでしなくても、あと何年かも分からないのに」と、心無い言葉も聞いた。
「私自身も、やがて年をとりますから」と答えた。
リフォームには大いに満足している。大変だったけれど、して良かった。
ただ、思うのだ。もう少し早く、母が介護状態になる前にしておけば良かったと。

浴室のリフォームは、当初は浴室暖房乾燥機能の物に取り替えるつもりだった。
ところが、介護するのにふさわしいものが無かった。
手すりは洗い場と浴槽の前で連続しておらず、手をいったん放して持ち替えなければならない。浴槽に入る為に一度腰かけた状態で足を入れられるようにしたかったが、台があっても、腰かける過重には対応していないという。湯船は、持ち手が2つから1つに減っていた。
わざわざリフォームする利点が何も無かった。
大工さんが教えてくれた。寒さ対策なら、二重窓にするのが一番だと。
うちの硝子窓は断熱ペアグラスだったので、浴室も当然そうだろうと思っていたら、浴室の窓ガラスは違うという。
私は、半信半疑な面もあったが、大工さんの進言に従って二重窓にした。他はそのまま。

嬉しい驚き!
浴室は、大工さんの言葉通り、段違いに暖かくなった。二重窓の間の空気の層が、外の冷たい北風から守ってくれた。二重窓の内窓を開けると、外側の窓は閉まっているのに、冷蔵庫のように冷たかった。
ああ、お母さんがいる間に、二重窓にしておけば……。

母は、退院後、病院の隣の介護老人保健施設に入り、何度か自宅に連れ帰ったけれど、とても私が一人で入浴介助できる状態ではなく、だから、温かくなった浴室を、母は知らない。

リフォーム後、冬に入浴するたびに、私の胸を小さく刺す棘。
お母さんを、この温かくなったお風呂に入れてあげたかった。

ジギタリス~暗闇に何が見えますか?2020/12/26

幼い頃から、私には暗闇の中に七色の美しい模様のような物が見えていたことは、以前の記事で書きました。

ずっと気になっていたことを、今年の1月、精神科で発達障害の診断を受けた際、精神科の先生に聞いてみました。
私が暗闇に見ているものは何なのか。

先生は聞いたことが無く分からないと言いました。
「今も見えますか」と聞かれたので、
「幼い頃に見えたものほど綺麗ではないけれど、同じように色とりどりの模様のようなものが見えます」と答えました。
先生は言いました。
「わたし達が物を見ているのは脳の働きによるもので、それは人によって違うから、見えているものも人それぞれ」

精神科の先生ならば答えを知っているのではないかと思っていたので、私はとても落胆しました。
そして、今、思うのです。
「先生は、暗闇に何が見えますか?」と、聞いてみればよかったと。

もう30年くらい前だったでしょうか。
少女向き漫画雑誌を見ていたら、最終頁あたりの広告欄に、イラストカットと「ジギタリス」というタイトル、そして、「目をつむると見えてくる星雲にジギタリスと命名した」という内容の紹介が載っていて、私は、もしかして、私の見ているものと同じもの?と思い、ずっと気になっていました。

ただ、当時の私は、今より30歳以上若かったわけで、今よりずっと忙しく、考えなければならない事、しなければならない事が沢山あり、気にはなっても、そのままになっていました。
今に至るまで、「ジギタリス」を読んでいませんが、
今はネットという便利なものがあるので、ググってすぐに調べられます。

   **********

ぼくも子供の時から裸眼で星はほとんどみえませんがね、
目をつむったら見える星雲はあるんです
眠れない時無理に目をとじていると
どこからともなくわいて出て消滅する不定形の発光体です 
子供の頃ぼくはそれをよく観察しました
すると、ある一定の流れと形をもつものがあるとわかったんです
ぼくは、その一番でかい明るい星雲を“ジギタリス”と命名したんです

   大島弓子「ジギタリス」(1986年)より

   **********

うーむ、どうも私が暗闇に見ているものとは違うっぽい。

私の見ているものは、どこからともなくわいて出て消滅、はしません。
不定形の発光体で、一定の流れもあるけれど、目をつむった暗闇全体にそれは広がっているし、目をつむらなくても、明かりを消した真っ暗の中に、それは広がっているのです。
それの形は様々で、幼い頃によく見て一番綺麗だったのは、丸いおはじきの輪っかを繋げて冠のような形にしたもの。色も七色全部あって、形も様々。
前の記事に書いたように、手でつかまえることができました。
今は、一番たくさん見えるのは、小さいひし形がトランプの12みたいに一面に並んでいるもので、12どころか数え切れないほどに並んでいて、これは幼い頃にも見えていたけれど、ほかには七色の小さい丸い点模様。

ただ、あれに名前を付けるなら、「ジギタリス」というのは、とても合っている気がします。
ジギタリスの花の点々模様に似ているから。
もしかしたら、漫画の作者の大島弓子氏も、私と同じようなものが見えていたのかなあ。

どなたか、自分にも見えるよ、という方はいませんか?
形は同じでなくても。

あなたは、暗闇に何が見えますか?

絶望の淵、諦めの先に2020/12/25

随分大げさなタイトルだと思ったかもしれない。
けれど、決して大げさではないのだ。

私が、生まれた時から既に様々な困難に合い、多くの障害と病気を持っていることは、前の記事で書いた。
ただ、おそらくは、多くの人が?????と思うだろう。
その辛さ、苦しみはほとんど理解されない。
「命に関わるわけでもなし、大した事じゃないやん。もっと大変な人一杯居るよ」って思われそう。
だから、私も、誰にも言えない。

以前の記事にも書いた通り、障害者就業・生活支援センターでも、冷たく扱われた。
市役所の障害福祉課では、ヘルプマークを渡されただけだった。
専門知識があり、支援する立場にある職員でさえそうなのに、隣近所や職場やごく一般的な人達が理解するのは難しいだろう。

実の姉も、大した事とは思っていないらしく、詳しい事を聞こうとはしない。3ヶ月前にヘルプを送った姉からは、もう2ヶ月半連絡がない。仕方がない。姉はコロナ禍で仕事や家族を守るのに精一杯だ。
私は、姉が心に寄り添ってくれることを諦めた。

半年前にヘルプした親友。優しい人だけれど、彼女もあまり理解しない。
「心無い返信をしてしまってゴメンね、過去にも同じ失敗で多くの友人を失った」という彼女に、
私は「大丈夫。貴方は優しい人。一人じゃないよ」と返した。
私は、自分の本心を打ち明けることを諦めた。
差しさわりの無い日常のみの遣り取り。
それでいい。彼女が私の苦しみを理解できなくても、私を気に掛けてくれていることは本当だから。

NHKの発達障害に関する番組やサイトでは、ある発達障害者の
「助けを求める資質も必要」といった内容も紹介されていた。
それは、救いの手が差し伸べられたから言えること。
私は何度も助けを求めたけれど、どこにも届かなかった。
地域包括支援センターも、障害者就業・生活支援センターも、市役所障害福祉課も、助けてはくれない。
自閉症スペクトラム障害と言っても、IQが高いゆえに、自立に問題ないと思われる。
私のHELPの求め方が悪かった?
諦めずにHELPし続けろ?
もう無理。これ以上、傷付きたくはない。

TVでは「おうちで家族と過ごそう」というけれど、一緒に過ごす家族はいない。
「離れていても電話で話そう」と言うけれど、私は親友に電話をして辛い思いをしたから、もう自分の都合で電話はできない。

まだ仕事をしていた頃、別の親友の声が聞きたくなり、何時頃なら忙しくないだろうかと考え、夜8時頃に電話した。
「(月)だけど、今電話大丈夫?」と聞いた。
「なんで、この忙しい時に電話なんかしてくるの!」
親友はいきなり怒鳴った。
「忙しいならいいよ。ごめんね」
私は電話を切って泣いた。
忙しいかもしれないから「大丈夫?」って聞いたのに。
忙しいなら「ごめん、今忙しいから、〇〇時頃に電話してくれる?」って言ってくれればよかったのに。
きっと、親友は、そんな余裕がないほどに、何かに気を取られていたのだろうと自分を慰めた。数日後には、「あの時はごめんね」と電話があるかもしれないと。
とうとう彼女からの電話はなかった。
年賀状は欠かさず送っていたけれど、返信はあったり無かったり。
それくらいの事?と思う人もいるかもしれない。
けれど、異常な記憶力がある私は、様々なことがいつでも脳内でフラッシュバックする。
同じ思いは二度としたくない。

多くの事は、やがて時間が解決すると、よく言われる。
過去の記憶が決して薄れることの無い私の場合は、時間の経過は解決にならない。
相手は忘れていくけれど、私の中では鮮明なまま。
執念深いと勘違いされるかもしれないけれど、私自身も、そうなのかと苦しんだけれど、そうではなかった。

信じられないかもしれないが、私は、被災者でもないのに、東日本大震災の津波の映像がフラッシュバックする。
熊本の豪雨で家を失った方々のニュースを見るたび、辛くなって胸が痛くて涙がにじみ、鼻をかむ。
ちびまる子ちゃんでさえ、私は何度も泣いている。
一人暮らしの私は、TVも一人で見ているから、誰かに涙もろいと思われたくて泣くわけではない。

自らの行動で、心が痛くて苦しくなることを招きたくはない。

見た目には全く分からない障害。
私の障害や病気は、直接的に命の危険に関わらないし、感覚過敏で日常生活にどのような困難があるかなんて、誰も聞こうとはしない。
全ての感覚が超過敏であっても、感覚は目に見えないから、本人の気にし過ぎ、我慢が足りない、そんなの大なり小なり誰だって感じる……と思われるだろう。
私自身が、そう思って我慢してきたのだから。

感覚過敏によってどんなに日常生活が困難となるか、該当者以外は誰も想像だにしないだろう。
ましてや、私は、全ての感覚が過敏なので、そういう人は多くはないかもしれない。

自分でできる対策はする。例えば、TV画面は調整して一番暗くするとか、パソコンは専用眼鏡を使うとか、部屋の明かりは暗くするとか、TV視聴は字幕にするとか、外出時は耳栓をするとか……。
だけど、自分ではどうしようもない事のほうが多い。

食料品の買い出しに近所のスーパーに行っただけで、頭のクラクラと吐き気に襲われる。クリスマスや年末で店内放送も慌ただしく大音量となり、しかも暖房など入っていたら、もう地獄の苦しみ。
極力、車の運転は避ける。右折しようとして、信号無視の直進車にぶつけられそうになった恐怖と、病院からの帰りに事故車の隣を徐行しなければならなかった恐怖。
もう一つ、病院からの帰りのスーパーの駐車場で、私が駐車スペースにバックした途端に右側の車のドアが開き、左側には急に車が入ってきて、体調が悪かった上に前庭覚障害のある私は、目が回って車を真っ直ぐに止められず、少し斜めになったが駐車スペース内には収まっていた。
車から降りた途端、左側の車から降りた中年女性に言われた。
「もっとちゃんと駐車したら!」
その女性は、ピンク色の制服の左胸に「アイコデイサービス」と青い刺繍がしてあった。
以来、私はそのスーパーに車で行けなくなった。

長距離の自動車運転は、信号無視の車にぶつけられそうになった恐怖や事故車の隣を徐行しなければならなかった恐怖で、もう出来ない。
駐車場も怖い。
公共の交通機関も怖い。
長距離の移動ができないし、付き添ってくれる人もいない。
映画にも行けない。
交通手段の問題だけではなく、映画そのもののフラッシュや点滅、急速度のカメラワークなどで頭痛と吐き気がするからだ。
自宅では、TVを消して目を閉じて休めば良いけれど、一人の外出先ではどうしようもない。
だから、引きこもるしかない。

コロナ禍で、ステイホームを呼び掛けられるから、家から出なくても、周囲の目を気にする必要は無いけれど、何処に行くにも何をするにも一人で、障害や病気による日常の困難も理解されず、一人で抱えるしかない孤独。

私は、決して自ら引きこもった訳ではなく、若い頃からボランティアや地域活動を始め、色々な団体に所属して活動したり講習を受けたり資格を取ったりした。
けれど、詳しい話はここでは書かないけれど、朱に交わっても赤くなれない私の孤独は、癒されるどころか、弥《いや》増すばかりだった。

私の障害や病気は、直接命の危機には至らないけれど、孤独こそは死に至る病であるとは、誰も考えないだろう。
私は子供の頃から何度も絶望の淵に立った。
小学4年生の頃、既に友人関係に絶望した。仲が良く、親友と公言する同士が、陰では互いの悪口を言っているのを見聞きして、誰も信用できないと思い、遠くに行ってしまいたかった。
虐められ、仲間外れにされ、担任からさえ耳を傾けてはもらえず、親友と思っていた相手に裏切られ、職場では体調不良をサボリや怠慢と思われてパワハラ被害に合い、恋した人は、自分から超アピールしてきたくせに、私が辛くて弱音を吐くと離れていった。

私は、この世界に絶望しかない。
けれど、死を選んでも解決しない。
だから、私は、自分ではどうすることもできない事を全て諦めることにした。
もう子供を産んで母親になることができないと分かった時の哀しみ。
それを諦める事でしか、前には進めなかった。
公的機関の支援も諦めた。
再就職も諦めた。
異性に理解されることも諦めた。
姉の寄り添いも諦めた。
親友に理解されることも諦めた。

絶望の淵の、諦めの先に、ただ一つあるのが、こうして書くこと。

幸いなことに、コロナ禍にあっても、私には住む家があり、質素に暮らしてきたから仕事をしていた頃の貯えにより買い物もできる。

小説投稿サイトへの投稿は、世間で主流のライトノベルとは逆行した小説なので、PVは増えないけれど、読んでくれる読者がいれば、それで心の支えとなる。

絶望の淵から、全てを諦め、ただ一つ残った、現実ではない世界を描くこと。
収入にはならないけれど、今できることは、ただそれだけ。
だから、私は全力を傾ける。

長文を読んでくださって、ありがとうございます。m(_ _)m