産休代替講師の立場2020/10/17

非正規雇用について何かと話題となっている。
私も色々な非正規雇用を経験しているが、今日は主に産休代替講師について書きたい。

私は、20代の若い頃に1回と、健康上の理由から早期退職をした後の40代の中堅の頃に1回の、合わせて2回産休代替講師をした。
職場では、私自身の頑張りが認められたこともあってか人間関係はとても良く、期間が終わる時には皆で惜しんでくれ、盛大な送別会をしてくれたり、全職員からのサプライズプレゼントを貰ったりと、何も不満は無い。

けれど、産休代替講師の立場が制度上どのように位置づけられているかについて、不公平さを感じたことも事実だった。

私が産休代替講師をすることになったいきさつは、2回とも、教育委員会からの電話だった。
正規の教諭が妊娠して産前産後休暇と育児休暇を取りたいと思ったら、代替講師が必要になる。
代替講師を見つけることは、実は全く簡単ではない。

教諭が産休・育休を取る時や、長期出張、病気などで代替講師が必要になると、本来は管理職が探すのだが、実際に探す作業は主任に任されることも多い。私は私立高等学校で教諭の経験もあったことなどから、県の採用試験に合格してから6年目には主任を命じられた。学校の立地条件や担当する教科・科目によっては、代替講師が見つからないことも多く、いつも大変苦心した。
管理職によっては、講師探しが難航していると聞いて状況を聞いただけで、余計な心配はしなくてよいと言われ、知らないうちに話が進んでいたこともあった。

山間部の高等学校で探した際には、結局見つからなかったらしく、授業のみの時間講師で本来は支給されない交通手当を支給するなどの条件で、地元の退職した高齢の方に時間講師が依頼された。授業以外のテスト問題作成と採点及び成績処理は誰がしたのかと言うと、一番キャリアのあった私。担任に加えて学科主任も教科主任も任されていた私の業務は大幅に増えたけれど、私の給料はもちろん1円も増えない。

そんなふうに、講師を見つけることの大変さを知っていたから、もう二度と教員はすまいと思って退職をした後も、困っている事情を慮(おもんぱか)り、快く引き受けたのだ。

まず、産休代替は学期途中の何でもない時に赴任するので、朝の職員朝礼での短い紹介のみで、全校生徒への紹介はないようだ。これは産休代替だけでなく、出張や病休に伴う代替講師の場合も同じ。つまり、授業を担当する全クラスで、最初の授業で初めて顔を合わせる。
それに、授業を引き継ぎ、代替期間が終わったらまた元の先生が返ってくるので、自分の好きなようにはできない。赴任前に簡単な説明は受けるけれど、準備期間は殆ど無い。

欠員補充の講師の場合は、正式採用の教諭と同様に4月最初に赴任して3月末の更新もしくは退職となるので、始業式での職員紹介や離任式での紹介などあり、全校生徒の前で挨拶をする場もあるけれど、産休代替、出張代替、病休代替ではそれがなく、ひっそりと赴任してひっそりと居なくなる、という事になる。

給与明細が手渡される順番も、私は最後だった。以前は職員室の各個人用の手箱(配布物や連絡事項を入れる棚や引き出し)に配布されていたこともあったけれど、誰でも見られるので、おそらくは個人情報保護の観点から直接手渡すことになったのだろう。
年功序列の順に校長室前の廊下に並び、順番に名前を呼ばれて手渡されるのだが、採用試験に向けて準備中の年若い欠員補充講師よりも更に後の、私は最後。給与明細をもらう順番なんて最初だろうが最後だろうがどうでもいいことだけれど、教頭以下年功序列の順番に並ぶ最後尾に並ぶことは、私の立場の不安定さをそのまま物語るものだった。

立場の不安定さ。

定められた期間が過ぎれば居なくなる私は、出過ぎた真似はできないし、会議に出席しても堂々と意見が言える立場ではない。期間終了後には元の先生が戻ってくるわけなので、休業中の先生のやり方を踏襲するのは当然であり、自分のやり方に変えるわけにもいかない。
単なる場繋ぎだから。
そして、私が引き受けた産休代替の2回とも、直前になって1か月短縮された。

或る日、管理職に呼ばれ、何の用事だろうと思っていたら、変更された辞令を当たり前のように渡された時の、驚きと失望。
職員室に戻り
「何の用だった?」と同僚の先輩教諭に訊かれ、
「新しい辞令を渡されて、1か月短くなってたんですよ」
私の顔には、不満の色が現れていたかもしれない。
「文句は言えないよ。生活があるからね」と同僚の先輩女性教諭は言った。
私は、自分の気持ちを飲み込むしかなかった。

教諭は、産前産後休暇だけでなく育児休暇中も給与の3分の2程度が支給される。
そして、一方的に1か月短縮された私は、収入ゼロになる。私にも生活はあるし、大好きな職場からも、1か月早く去らなければならない。

限られた期間であることは承知で受けた仕事ではあるけれど、せめて最初の辞令に示された期間は厳守して欲しいと思うのは、私の間違いなのだろうか。

正規の教諭が安心して産前産後休暇や育児休暇を取ったり、長期出張に行ったり、病気の時に長期療養できるのも、代替講師の存在があればこそ。
それなのに、辞令までもが途中で変更され、短縮される。
ある程度のスキルがなければ、いきなりの初めての職場環境や多様な生徒に対応して業務をこなすなんて、そうそう出来る事ではないのに、制度上では、講師は全く立場が無い。
どこにも不満をぶつけられず、戻ってくる先生に笑顔で引継ぎの説明をするしかないのだ。

例えば逆の立場で、講師の側が途中で「辞めます」なんて言ったら、激しく非難されるだろう。辞令期間中は職務を遂行する責任があると。
けれど、育児休暇中の教諭からは、「夏休みに入れば業務も楽なので1か月早いけど戻ります」が許される。

代替講師なんて、結局は、都合よく便利に使いまわされるだけ。

その上、全校生徒の前で挨拶をする機会もない。
学年集会でさえ、あらかじめ決められた集会の内容に、一度も退任者挨拶の場が設けられたことはなかった。
代替講師が何時何時までで去るなんて、集会進行役の頭には全く無いのだろう。

なので、私は自ら申し出た。
「学年集会の最後で良いので、挨拶をする時間を下さい」と。
クラスによっては、あらかじめ、お別れの言葉を寄せ書きした色紙を用意していて手渡されたこともあるし、
「もうすぐ〇〇先生が戻ってくるので、私の授業は□月△日で最後になります」と各クラスでの授業の際に話すので、個人的に手紙をくれたり、定期テストの回答用紙の裏にメッセージを書いてくれたりする生徒もいた。
「今までは授業内容に興味が持てなかったけれど、(月)先生になって、すごく興味が沸きました」
「(月)先生の授業を受けるようになって、授業がとても面白くて分かりやすくて、成績が上がったので嬉しいです」
そんなメッセージもたくさんもらった。

私は、たとえ3ヶ月間でも、決して手抜きはしなかった。
苦手意識のある生徒や興味を持たない生徒にも、授業内容をちゃんと理解して、学業を離れても自ら学ぶ態度に繋げてほしいと思っていたから、教科書をなぞる授業はしなかった。
生徒たちには、ちゃんと私の思いは通じていたと思う。
一年も過ぎる頃には、忘れられてしまったかもしれないけれど。

講師をしていて、職場にも生徒にも不満は無かった。
けれど、あらゆる場面で、虚しさを感じた。
講師が居なければ、長期出張や産休育休や病気療養などの制度そのものが成り立たないのに。
講師は経験豊かであろうと、同年齢の教諭には遠く及ばない給与しか支払われず、年齢が上がるほどにその差は広がり、それでも一生懸命に業務に励んでいる。
講師経験のない教諭には、講師の思いは分からないかもしれない。
せめて、制度の運用上は、講師の立場をもう少し尊重しても良いのではないか。
それが、私が講師をしていた頃に思った事。

今は、もう少し改善されただろうか。
改善されていることを望む。

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