カネ恋が見られない2020/09/29

芸能人の自死(10年以上前から、自殺ではなく自死と呼称すべきだという考えがあります)が続き、一般人でも増加していて、心が痛いです。

私は外出もしないし、訪問者も無いし、TVを低音量で毎日ほぼ点けっぱなし状態ですが、番組の合間にドラマの番宣映像が流れますよね?

 「おカネの切れ目が恋のはじまり」の番宣映像が辛いのです。

三浦春馬さんが命を削った遺作だから、お蔵入りにならずに放送されているのはとても良い事だと思います。
けれど、私は、番宣映像だけでも辛くなるので、見ることが出来ないのです。
私は三浦春馬さんの私生活を知らないし、どんな悩みを抱えていたのかも分からない。けれど、悩みを抱えながら演技していた事だけは確かだろうから、ドラマがコメディだけに、人と会う為に自分のテンションを上げ、演技では更にハイテンションを期待されて、どんなに大変だっただろうと、甚だ勝手ながら、そう思わずにはいられず、涙が出てしまうのです。


私は、子供の頃に連載が始まった美内すずえ先生の「ガラスの仮面」を見て演劇に興味が沸き、それ以前から自分で物語を書いていて、摩耶ちゃんに負けず劣らず物語に対して好奇心が強く、想像力も底無しだったので、いつか演劇をやってみたいなぁと思っていました。

私は超内気で大人しく、小学生の頃から先生に「声が小さい、引っ込み思案、消極的」等々言われていたし、体力もなく、疲れやすくて、度々病気をしたり倒れたりもしたけれど、音楽の授業や合唱クラブで皆で声を合わせて歌う時や、家で姉のピアノ伴奏で歌う時には、大きな声を響かせて歌うことができました。
学校のお楽しみ会寸劇や文化祭では脚本を書き、創作ダンスでは、その表現力に、皆から「役者じゃあ!」と言われ、保育系短大入学試験では、初めて聴く音楽で即興で創作ダンスを踊ると言う実技試験に真っ先に手を上げ、脳内で組み立てた通りに踊って合格しました。

声が小さいという短所も、大学時代に経験した様々なアルバイトを通して、人前で大声を出すことにも慣れていきました。
教育実習での最初の授業は散々だったけれど、県の教員採用試験に合格できずに恩師の紹介してくれた他県の私学に採用された時の新人研修では、体育館のステージ上からマイク無しで、体育館最後部に立つ教頭に聞こえる声で決意表明演説をする最終試験にも、一度で合格しました。
だから、演劇をやってみたい、やればできるのではないか、という気持ちは、ずっと消えずに心の中にあり、高等学校教諭の仕事を早期退職した後、地域に劇団が出来たことを知った時、迷ったけれど入団したのです。
「やらずに後悔するより、やって後悔した方が良い」という、良く耳にするフレーズに後押しされて。

発声練習に早口言葉、セリフの読み合わせ、ストレッチ……、どれも楽しかった。
劇団を主宰するのは郷土出身の高名な演出家の先生で、その先生が戯曲教室も始めたので、私はそれも受講しました。
一通りの理論講義を終えて実技になった時、私は溢れ出るイメージを次々に戯曲にしていきました。
けれど、先生には、「(月)さんの場合、イメージがあり過ぎるのが欠点になっている」と言われてしまいました。

その後、その先生の門下生である若い演出家のもとで第1回の公演をすることになり、チェーホフ短編集の幾つかを上演すると言われて、私はその中の1つの主役をすることになりました。
セリフは直ぐに覚えて、稽古の時には、セリフを忘れた他の出演者にセリフを教えることも度々だったけれど、役者というのは、思った以上にストレスフルでした。

私は既に40歳を過ぎていて人生経験もあり、20歳代半ばの若い演出家の解釈には納得できないことも多くありました。
何度演じても違うと言われ、しまいには手本を見せられました。
「この場面での主人公の気持ちを考えると、その口調や動作は、私には不自然に思えるのですが?」
けれど、若い演出家は耳を貸してはくれませんでした。
「演出家は俺だから」
それ以上は何も言えませんでした。

役者は、ただ演出家の言いなりに操り人形のように演じなければならないのか。舞台は演出家だけのものではなく、役者と一緒に作り上げていくものではないのか。
演出家の演出に口出しするのは良くないのだろうけれど、プロではなく船出したばかりの民間アマチュア劇団であれば、演出家のごり押しではなく、役者の想いも汲み取って、互いに擦り合わせていくべきではないのか。
私は熱意を失って、全く楽しく無くなりました。

けれど、演目は喜劇だったので、どんなに意気消沈していても、テンションを上げ、舞台演劇特有の抑揚で、オーバーアクションをしなければなりません。
それは大変な疲労を伴い、少しも楽しむことが出来なかったけれど、公演を終えるまでは投げ出すわけにはいかなかったから、私は私を捨て、演出家の言いなりに演じました。
他劇団から客演の先輩役者達からは、演劇未経験者なのに短期間で物凄い成長ぶりだと称えられました。

公演1週間前の初めてのリハーサルの時、ステージに出た途端に頭が真っ白になり、セリフも何も空っぽになってしまい、以降、本番でも同じように頭が真っ白になったらどうしようと、そればかりが心配で、四六時中台本を読んでいなければ落ち着けませんでした。

本番前のゲネプロの時、私は心臓がバクバクしていましたが、自分を切り離して役になり切ることにしました。
心の中は静かになり、舞台や客席の隅々まで見え、ゲネプロで緊張して出やセリフを忘れた他の出演者に教えることさえ自然にこなし、本番の幕が上がっても全く緊張せずに、観客一人一人の表情を見る余裕さえありました。
けれど、幕が下り、湧き上がる歓声の中で、達成感も感動も喜びも私にはありませんでした。
客演の先輩役者にその事を話しましたが、「自分を無くして役になり切れるなんて、初演なのに凄いじゃない」と言われ、私の虚しさは分かっては貰えませんでした。

打ち上げで一人一人感想を言うことになって、本心は「これでやっと劇団を辞められる」だったけれど、さすがにそれは言えません。
「初めてのリハーサルでは頭が真っ白になって、どうしようかと思ったけれど、無事に終えることが出来て、とても良い経験ができました。ポスターとプレゼントと衣装の仕事も頑張ったので、良い思い出ができました」
すると、演出家がポロリと言ったのです。
「仕事らしい仕事は何もしてないじゃん」

私は自分の特技を生かし、演出家も含めた劇団員全員の似顔絵を描いたポスターを作り、来場者へ渡すお土産の絵葉書も全て描いたし、予算の無い中で、自分や劇団員の持ち合わせの衣類からイメージに合う衣装を考えて準備したのに、信じられない一言でした。

私は演劇には向かないな、そう分かって、暫く後に止めました。
直ぐに辞めなかった理由は、劇団の会計の仕事も担っていたからです。
劇団を辞めた後も、差し入れに行ったり、時代劇をするので着付けをしてほしいと頼まれれば、私は子供の頃から自分で着物を着ていて着付けが出来たので、もちろん無償で手伝いにも行ったけれど、もう劇団には戻りませんでした。

後に自身の高機能自閉症が分かったので、元から自分には役者は向かなかったのだと思いました。

実際に芸能界で活躍されている俳優の方々の気持ちが、僅かな演劇経験しかない自閉症の私に分かるはずはありません。
けれど、「カネ恋」を見ようと思っても辛くて見らないのは、どうしようもないのです。

芸能人に限らず、きっと多くの人達が、本当の自分の気持ちを隠して、表面上は元気そうに社会生活を送っていると思います。
裏表なく本当に元気でパワフルな人も多いでしょうけれど、そうではない人も沢山居るはずです。

生きることは、本当に楽じゃない。
なぜ人間は、こうも複雑に作られてしまったのだろうかと思います。

やる気も感情も気持ちの浮き沈みも、神経伝達物質の作用によるものらしい。自分の意志とは関係なく、アドレナリンやドーパミンやセロトニンなどの化学物質が私たちの感情をコントロールしていて、それらの投与は治療や違法なドーピングにも用いられたりするようです。

人間は、とても哀しい生き物のように思えます。

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