優しい世の中に2020/08/02

月齢10.4 月出16:06 月没01:08 2020/07/31 20:25撮影
7月31日の夕方、TVで「dNHK全国のニュース」を見ていて、「“障害の内容を書かされ自殺”自治会役員らに賠償求め提訴」というニュースが目に留まった。
読んで目頭が熱くなった。
大阪平野区の市営の集合住宅に住んでいた36歳の男性がかわいそうでならない。
ただの同情ではない。私にとって、全然他人事ではない。

私は以前書いたように、宮城まり子先生の「ねむの木の子どもたち」を中学生の頃に読んで以降、障害児教育に強い関心を持ち、養護学校(現在では特別支援学校)教諭の免許を取った。教育実習では小学校に行ったが、県立学校教諭を46歳で退職したあと、常勤講師として特別支援学校に勤めた時には、高校1年生の担任をし、授業では小学生から中学生までも他の先生たちと一緒に受けもった。
障害のある子供たちは、みんな純粋だ。けれど、純粋さゆえに、社会に出ると様々な辛い局面にあう。日常の全てが辛さの連続になるかもしれない。犯罪被害にあうことも多い。
それに、私自身も高機能自閉症、感覚過敏、聴覚情報処理障害などの障害をもっている。

ネットで調べると、朝日新聞DIGITALにも記事があった。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/
「障害があると書かされ翌日自殺」 遺族が自治会を提訴
朝日新聞社 2020/07/31 20:13
「……市営住宅で一人暮らしだった男性は昨年11月中旬、くじ引きで自分が自治会の班長に選ばれる可能性があることを知り、自治会の役員に「精神の病気で班長ができない」と伝えたが、『特別扱いできない』と言われ……便箋(びんせん)2枚に『しょうがいかあります(原文ママ)』『おかねのけいさんはできません』『ごみのぶんべつができません』などと書かされた。さらに役員らから、文書を同じ階の住民(約10世帯)に見せると言われたという。男性は翌日、自宅で亡くなった。」

亡くなった男性は、どんな気持ちで便箋2枚をひらがなで書いただろう。その気持ちを思うと、私は堪らない。
そんな物を書かせる必要なんて無かったはずだ。少しでも寄り添う気持ちがあれば、そんな事をさせたりはしなかったはずだ。療育手帳が交付されている人を、本人の意思により班長候補から外すのは、「特別扱い」ではない。「合理的配慮」だ。

知的障害がありながら自立した生活をするのは、多くの困難があったことだろう。自分が班長になってしまうかもしれないと分かった時、「精神の病気で班長ができない」と役員に伝えるだけでも、どんなに勇気がいっただろう。けれど気持ちは伝わらなかった。理解しようとはしてもらえなかった。

障害があっても無くても、本人にとって困難なことを強要するのは苛めも同じだ。出来ないことは助け合えばいい。人は誰だって万能ではないのだから。今の時点で障害が無くても、今後病気になるかもしれないし、認知症になったら色々な事が出来なくなっていくだろう。

私は、まだ母の認知症が軽い頃、1年間自治会の班長をしたことがある。
私が住む地域では、1年交代の持ち回りで班長が回ってくるが、年々住人が減っているし、高齢になると班長が免除されるので、順番が回って来るのが早くなっていく。あと数年で、また私にも班長の順番が回ってくる。
前回、とても大変だったけれど、今より若かったし、母に対する責任感で今より強い自分でいられたから、無理も出来た。それに、当時の区長がとても懐の広い方で、私に対しても強い信頼を寄せてくれたので、私もそれに応えたかった。

けれど、その後幾つかの病気にもなり、突発性難聴になったことで聴覚過敏は強くなり、聴覚情報処理障害も顕著になったし、公的支援機関から重ねて相談を拒否されたショックもあるし、次回については不安が大きい。高機能自閉症や感覚過敏、聴覚情報処理障害などについて、地域では誰にも話していない。親しい人はいないから、話す機会もない。

高機能自閉症の場合、多くの人が、助けを求めるよりも一人でいることを選ぶらしい。
理解してもらえることは稀で、日常の中で誰かに拒絶されることは耐えがたく、むしろ孤独であることを選ぶ。
私もそう。人の優しさに助けられるよりも、悪意に晒されることのほうがずっと多い。
そして、地域の中で普通に生活しようと思ったら、障害を隠し、自分を偽るしかない。それは、ますます孤独になっていくということだ。

障害のあるなしや性別、年齢に関わらず、出来ないことは互いに助け合い、それを当たり前の事として誰もが受け止め、誰もが安心して暮らせる社会にはならないものか。
社会のシステムはノーマライゼーションに向かって進んでいるとは思うけれど、心のノーマライゼーションが進まなければ、結局は、弱い立場にある少数派の人が苦しい思いを耐え忍ぶしかなくなるのだ。

優しい世の中になって欲しいと切に願う。